片瀬江の島の「隠れ家ピザレストラン KOKO KAI」にお邪魔しました。
台風の余波の雨が降りしきる中、江の島(神奈川県藤沢市片瀬3-9-23)のピザレストランKOKOKAIにお邪魔しました。片瀬の高級住宅街の中にあり、民家を改造したものです。閑静な住宅街の中の隠れ家ピザハウスです。シェフは、イタリアンの有名店イルキャンティで修業を積み本格的なイタリアン料理を提供できます。
2020年10月5日オープンなのでまだピザだけの提供ですが、本格的なイタリアピザで石窯で焼いています。
江の島名産浜野水産のシラスを使ったピザは、江の島の潮とイタリアの融合です。プロシュートマルゲリータ、ミックスピザ、4種のチーズピザ、マルゲリータと食べましたがどれも本格的なイタリアンの味がします。特に生地のもっちりとした歯触りと味が秀逸です。














新型コロナ 対策の真意、すなわち「国策」
コロナ対策の本質を説明した記事 https://article.yahoo.co.jp/detail/3817d2d8279dad4c4dc6635163f3fab862a38866
市中感染は全国で相当に拡大していると見ているまた、若年層においては感染しても軽症でインフルと見分けがつかないか、無発症のケースも相当に出ているであろう市中感染が拡大し、その多くが無発症のケースだとすれば、これを放置すればどんどん拡大する。この点についてはSARSよりも、インフルよりも厳しい条件だと考えられるその結果として、重症者が増加して医療機関が対応できなくなり、救命できる重症事例が救命できないケース、これが最悪シナリオであり、このシナリオを避けるのが国策の最優先事項である
この点に関しては、少なくとも2月25日以降の政府は「ブレて」はいません。例えば、加藤勝信大臣は、この25日の時点で「先手先手」ということを言っていました。この点に関して言えば、例えば春節時における膨大な入国許可とか、「ダイヤモンド・プリンセス」での防疫といった点に関しては「後手」であり、弁明の余地はありません。
ですから、この25日の「先手先手」という加藤発言は批判を浴びたわけですが、この発言に限って言えば、加藤大臣は「後手に回った過去の失態」を否定したり、ウヤムヤにしようとしたわけではないと思います。「医療機関の受け入れ体制が崩壊して、救命できるケースの救命ができない」という最悪シナリオに対しては、「まだ間に合うので先手を打っていく」という趣旨での発言であり、この点に関しては理解できますし、29日の総理会見に至る一連の施策との整合性もあると思います。
そこまでは良いことにしましょう。と言いますか、これは決定された国策であるばかりか、極めて大人数の生死のかかった判断であり、その対策の効果が見えないうちから否定したり妨害するべきものではないと思います。
問題は次の2点です。
1.子供は重症化しないという報告がある一方で、子供は無発症のまま感染を拡大させる可能性があり、高齢者や基礎疾患を持つ成人に感染させて重症患者を発生させるのを抑止するために、学校の一斉休校は有効と考えられます。
ところが、そのような説明は「結果を得られない」可能性があるため「子供の命と健康を守る」という説明に「言い換え」をしています。その判断が吉と出るか、凶と出るかはギャンブル性が高いと思います。
2.PCR検査については、キャパに限界がある中で軽症者、無症者が検査のために医療機関に殺到すると、必要な患者の検査ができず、治療体制を潰すことになります。また、医療機関こそ感染の場になりうることもあり、若年者や軽症、無症状の人を対象とした検査は最小限としたいわけです。
更に言えば、ウィルス量が少ない患者の場合は陰性判定となりますが、それで本人が100%安全と誤解するとかえって危険です。また韓国のように徹底的に検査しても一定程度以上感染拡大した場合は、制圧にはつながりません。従って、隠された国策としては、PCR検査の大規模化には消極的とならざるを得ません。
ですが、検査に消極的だなどという方針は明快に説明はできないので曖昧な説明をせざるを得ません。けれども、それが政府不信やモラルダウンを招くと感染拡大につながる可能性があり、この意図的な曖昧姿勢それ自体にもギャンブル性があるわけです。
この2つの問題は非常に重たい課題を含んでいます。
まず1.ですが、一斉休校をするにあたって、仮に「お子さんは重症化しません。ですが無症状のままクラスター化することが回避できれば、結果的に多くの人命を救うことができます」という言い方にしたらどうでしょう?この説明の方が誠実と思いますが、どう考えても「回りくどい」わけです。
ですから、対策を徹底するには「お子さんの健康と命を守るため」という「言い換え」をした方が「結果が得られる」という判断になるのはわかります。更に言えば、安倍政権(の周辺)では、アンチ安倍の世論というのは比較的高学歴・高収入であり、ここまで人命のかかった問題には「ヘソを曲げて来ることはない」という判断があったのかもしれません。仮にそうなら、(そうだとは絶対言うはずはないですが)それも分かります。
しかし、この「言い換え」作戦には問題もあります。今回の休校が「子どもの健康と命を守るため」だと100%真に受ける世論もあり、その中では「無症状なら健康」だという判断の元で、塾に行くのはいいだろうとか、満員電車に乗せて職場に子連れ出勤してもいいだろうという判断を誘発してしまうからです。
反対に対策の真意が理解されている、つまり「無症状の子どもが隠れたクラスターを形成して、静かなパンデミックを誘発、気づいたら重症者が溢れて救命がお手上げに」というシナリオを回避するということで、それが理解されていたらどうでしょうか?塾へ行こうとか、子連れ出勤を認めるのはいい会社という判断は、また別のものとなって行くのではないでしょうか。
一点だけ思うのは、学童保育については、余り批判しなくていいようにも思います。学童に行かざるを得ない子どもというのは、少なくとも「相当に高い率」で「高齢者とは同居していない」からで、仮にそこで自覚のない感染が起きても、直接的に重症者を生み出す可能性は低いからです。
反対に、ベビーシッター代わりに地方から祖父母を呼び寄せて一時同居というのは、ちょっとマズいのではないかとも思います。
この問題は2.も重なって来ます。つまり政府としては、
無症状者や無症状の子どもは、PCR検査をしない従って、無症状の子どもによるクラスターが発生する可能性はあるが、それは可視化できないし、しないだからこそ、一斉休校措置により統計的に感染の可能性を抑え込むしかない
というのを国策としたわけです。一連の発表には一貫性があるというのは、そういうことです。現時点では、国としてはこの政策に賭けることにしたわけです。つまり、これが国策です。そして、繰り返しになりますが、その最大の問題はギャンブル性ということです。
勿論、このコロナウィルスの新型については、分からないことも多いわけで、そう考えるとどんな政策も100%正しいわけではなく、ギャンブル性があるわけですが、それはさておき、「高齢者、基礎疾患のある人は重症化する」「反対に子どもは重症化しないばかりか、無症状のまま感染源になることもある」ということを前提とした場合に、「全校一斉休校」「PCR検査は積極的にはしない」「軽症者、軽症疑い者は自宅療養」というのは理にかなっていると考えられます。
問題は、そこを「言い換える」、つまり「一斉休校は子どもを守るため」「PCR検査は拡大へ向けて努力中」と言う言い方にすることで、果たして世論が正しく反応するかは、そこにギャンブル性があるという点です。
対策の真意が理解されている、つまり「無症状の子どもが隠れたクラスターを形成して、静かなパンデミックを誘発、気づいたら重症者が溢れて救命がお手上げに」というシナリオを回避するということで、それが理解されていたらどうでしょうか?塾へ行こうとか、子連れ出勤を認めるのはいい会社という判断は、また別のものとなって行くのではないでしょうか。
一点だけ思うのは、学童保育については、余り批判しなくていいようにも思います。学童に行かざるを得ない子どもというのは、少なくとも「相当に高い率」で「高齢者とは同居していない」からで、仮にそこで自覚のない感染が起きても、直接的に重症者を生み出す可能性は低いからです。
無症状者や無症状の子どもは、PCR検査をしない従って、無症状の子どもによるクラスターが発生する可能性はあるが、それは可視化できないし、しないだからこそ、一斉休校措置により統計的に感染の可能性を抑え込むしかない
というのを国策としたわけです。一連の発表には一貫性があるというのは、そういうことです。現時点では、国としてはこの政策に賭けることにしたわけです。つまり、これが国策です。そして、繰り返しになりますが、その最大の問題はギャンブル性ということです。
勿論、このコロナウィルスの新型については、分からないことも多いわけで、そう考えるとどんな政策も100%正しいわけではなく、ギャンブル性があるわけですが、それはさておき、「高齢者、基礎疾患のある人は重症化する」「反対に子どもは重症化しないばかりか、無症状のまま感染源になることもある」ということを前提とした場合に、「全校一斉休校」「PCR検査は積極的にはしない」「軽症者、軽症疑い者は自宅療養」というのは理にかなっていると考えられます。
問題は、そこを「言い換える」、つまり「一斉休校は子どもを守るため」「PCR検査は拡大へ向けて努力中」と言う言い方にすることで、果たして世論が正しく反応するかは、そこにギャンブル性があるという点です。
韓国方式とでも言うべきもので、民間の企業も幅広く対象としてPCR検査を思い切り拡大するという方法です。そうなれば、陽性の人の隔離を徹底することで問題が可視化して封じ込めが容易になる、そんなイメージがあります。
ですが、その場合も、無症状の若者や子どもがウィルスを持っていても検査には引っかからず、後日クラスターを作ってしまうというようなケースが出るようですと、これは抑え込めません。反対に、前述したように「100%の確度ではないにも関わらず、陰性だと安心しきってしまう」という中で相当な副作用もあると思います。
それ以前の問題として、猛烈な数の検査が可能になって、その結果として猛烈な数の陽性者が出てしまうと、これは五輪の延期などという話だけでなく、ただでさえ弱くなっている日本経済がボロボロになってしまう危険性もあるわけです。更に言えば、軽症の陽性者を安心して自宅療養させるのは難しく、結局は医療体制を潰してしまうことにもなる可能性があります。
そうなると、100%可視化した透明性のある施策のように見える「ニーズに応えたPCR検査」というアプローチも、それ自体が大きなギャンブルになるということです。ちなみに、現時点でのアメリカは「余計な検査はしない」という姿勢で、本日(2日の月曜日)の現時点ではNY株が大幅に反発しているのも、その効果と言えるように思います。