こんにちは。入団してから4年の月日が経ち、引退ブログを書く日がついに来てしまったことに驚きと寂しさを隠せません。
現在、フランスに留学中の私にとって、最後に立ったステージは、1年前。もっと記憶が鮮明なうちに書いておけばよかったとほんの少し後悔をしています。
フランスから帰る時、同期たちは既に引退をしています。もう、練習と練習の合間に、 セブンイレブンで夜ごはんを買ったり、9カフェで STARBUCKS の1番大きいサイズの ドリンクを飲みながら練習まで課題をしたりすることもないと思うと本当に寂しい気持ちでいっぱいです。
私が、大学でチアを始めたいと思ったのは、高校1年生の時でした。映画「チアダン!」に感化され、勉強後のご褒美にYouTubeでチアの動画を見るような、本当にチアに憧れを抱いた高校生でした。 たくさんの演技を見てきた私ですが、「一生忘れられな いほどの感動」で胸に焼き付いた1つの演技があります。その演技は、全国優勝を本気で目指すような強豪チームの引退演技だったのですが、大学生活の全てを捧げなくてはできないようなクオリティの演技に涙が溢れて止まらなかったのを覚えています。
本番の2分30秒のためだけに、100時間以上の練習をする姿。一見、キラキラしているように見えて、泥臭い地道な努力の積み重ねの日々。
だけど仲間と努力を重ねるその姿は本当に苦しくも楽しそうで。
夢や目標のためにがんばる人の姿は本当に美しくて。
上智でも、そんな熱いチームでチアがしたいと思い、たくさんの部活動やサークルを探し、EAGLES と出会いました。大学に合格する前から、EAGLESの先輩方の卒団ブログやEAGLESブログを読み漁っていたので、入団した頃には、現役の先輩だけでなくOGの先輩方の名前まで既に知っていました。
そして、晴れてEAGLESの一員になれた2021年春。コロナ禍のため、オンラインからのスタートでした。
声応援がメインの練習でも、楽しくて楽しくて。 対面練習が再開され、少しずつスタンツの練習が始まると、もう本当に楽しくて。
今まで、部活動を続けてきた中で、基礎練さえもこんなに楽しい競技に出会ったことがなく、ただ毎日ワクワクしていました。
この頃の後悔は、同期との時間よりも勉強を優先し続けてしまったことです。わたしは、「棘のフランス」と呼ばれる、厳しいことで有名な外国語学部フランス語学科に通っているのですが、勉強と両立することが本当に大変でした。誰かと一緒に課題をすることに憧れはあるのですが、不器用な私は集中して終わらせることができず、いつも家や図書館でテスト勉強を行っておりました。今では、家族のように仲が良くて、笑いが絶えない愛おしい同期なのですが、もっと早くから一緒にいる時間を作ればよかったと少し悔やんでいます。
また、この年は、コロナの影響で応援や上南戦などの活動はなかったのですが、12月の大会に向けて夏にトライアウトが行われました。ダンス未経験の私にとって、初めてのダンスがこのトライアウトダンスでした。くじ引きの結果、平場の班は、各学年のエースのような実力者の先輩2人と同じ班だったのですが、毎回私が足を引っ張ってしまうことが悔しく、本当に何度もこのダンスを踊り込んだ記憶があります。
先輩方2人がほとんど完成している中、1人だけズレていることが多く、私には数えきれないほどの直す点がありました。しかし、先輩方が本当に優しく、お忙しい中も、送った動画にアドバイスをくださったり、できない箇所の治し方を教えてくださったりしました。ダンス未経験の私にとって、平場班での時間がなければ、一生、振り付けの覚え方も、直し方もわからないままだったと思います。本当に感謝してもしきれない大切な時間でした。
そしてそんなトライアウトを経て、わたしはCチームになりました。後に、CDチームとして、本番のステージを迎えるのですが、これが私にとって初めてのチーム練習でした。全員、チアリーディングを始めたばかりのメンバーで、エレベ(チアリーディングに おいて基本とされる技)でさえもできないようなスタートだったことを覚えています。構成の関係上、私はゆずと組むことが多く、基礎練の時間を、ほぼずっと一緒に過ごしていました。今や当たり前にできるザウェイですが、当時のCDチームにとっては大きな進歩であり、チームのメンバーだけで初めて成功した日は本当に嬉しかったです。あの時一緒にスタンツを組んでいたメンバーは、わたしにとってずっと特別で大切なメンバーです。
トライアウトが終わってから、本番までの約3ヶ月、コロナ禍の影響で秋構成の出番がほとんどなかった私にとって、CDチームの構成の時間がチアの全てのようなものでした。しかし、体の使い方もわからないまま、トップさんのことを上げることだけを優先し続けた結果、いつのまにか体を酷使しており、だんだん痛くて上がらないという時が増えていきました。早い段階で異変に気がつき、休息を取るなり対処ができたならよかったのですが、当時の私は「チアリーディングは痛くて当たり前。全員がどこか痛い部分を常に抱えながら演技している。」という考えが頭に染み付いており、痛みを抱えながらもずっと続けてしまいました。
しかし、だんだんと日常生活に支障が出るようになり、痛みのあまり、髪の毛を洗ったり、パソコンを持ち上げたりという当たり前の動作が難しくなりました。玄関のドアさえも、1人で開けることができず、玄関前で泣いてしまったこともあります。テーピングをキツく巻いていると痛みが緩和されたのですが、だんだんと使わなくてはいけない量が増え、病院に行って診断を受ける日の練習では、テーピングの半分ほどを使うようになっていました。
ついに我慢ができなくなり、病院を受診したのですが、急遽MRIを撮ることになり、 その日の午後に撮影することになりました。診断の際に、「靭帯が完全に切れていますね」と先生から言われたのですが、状況が飲み込めず「1週間後に成果発表会があるのですが、その日までに治りますか?」と能天気な質問をしてしまったことを覚えています。 その後、先生から手術の話や固定する期間の説明を受けるうちに、自分は成果発表会でスタンツをすることができないことをだんだん理解しました。その帰り道に、同期から「今日のプレ発表会で全乗せをし、泣いてくださった先輩もいた」というLINEが届いたのですが、自分がいなくても成り立ってしまう演技を前に、チームでの自分の存在意義がわからなくなってしまい、子供のように大号泣をしながら家に帰ったのを覚えています。(今思うと、人入れの変更に柔軟に対応していただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。)
大会に出ないCDチームの成果発表会に出演できないこと。他の人にとっては、「大会じゃなくてよかったね」とか「まだまだチャンスがあるよ」と思えるようなことだと思うのですが、当時の私にとっては、何日間も涙が止まらない出来事でした。それだけ、本当にチアリーディングが大好きだったのです。そしてこの時に、チアリーディングの残酷な面を知りました。何ヶ月もかけて積み上げてきたものが崩れるのは一瞬なこと。私がいなくても構成は完成すること。この2つを知った時の孤独感はとても強いものでした。
「今度チームメイトが怪我をした時があったら、絶対に孤独感を感じさせないようにする。」
次に私ができたことは、怪我をした時に感じる心の痛みを誰かのために大切に取っておくことでした。これまでたくさん、怪我により構成から外れた部員たちを見てきました。 お手紙やお菓子を渡したり、お話を聞かせてもらったり。できることは限られていましたが、孤独感を感じないでほしいという想いが、部員たちの心に届いていたら嬉しいです。
引退を迎えた今、早い段階でチアリーディングの残酷な面を知ることができ、本当に良かったと思っています。
この団体に所属していた3年間は、間違いなく歩んできた人生の中で最も濃い時間でした。尊敬するところを挙げたら朝を迎えてしまうくらい、本当に素敵な魅力に溢れる同期たち。家族よりも⻑い時間を共に過ごしたからこそ、痛いほど1人1人がこの団体に多くの時間と犠牲を払いながら真剣に向き合っている姿を見てきました。遅刻厳禁の日々の中で、朝から晩までずっと忙しく、もっと寝たいはずの土日も、朝早くから電車に揺られる日々。ステージの上では絶対に見せないような、部員たちの凄まじい努力やたくさんの感情を見てきた自信があります。
その想いはいつの日か「構成を作りたい」という想いに変わっていました。どうして も、自分の手でみんなが映画の主役のように輝ける構成を作りたかったのです。
けれども、曲の編集もしたことがないし、チアリーディングも未経験。自分の技術に自信もない。こんな私が作れるのだろうか。完成まで持っていけるのだろうか。そんな不安を抱えながらも、構成作りを1年生の12月から始めました。恐らく、歴代の構成で最も早く作り始めた自信があります。
才能なんてなかったのに、絶対に心にある想いを形にしたかった。
絶対に妥協なんてしたくなかった。
心に焼きついて離れなかったあの演技のように、私も誰かの心に残る演技を作りたかった。
そうして、まだ構成担当にすらなっていないにも関わらず、コツコツと構成作りを始めました。
約2年かけて作った構成。使ってみたい曲が本当にたくさんあって、毎日隙間時間を見つけては、音源の編集に充てていました。歩いている時も、電車の中も、暇さえあれば構成の曲を試行錯誤していました笑。この2年は、音楽を自分のためではなく、構成のために聞いていた気がします。構成を全体に共有する日には、本番に使えるような音源を約70個も作っていました。
季節ごとに披露する構成のうちの1つ。その存在はきっと、多くの部員にとってはそんなに大きなものではないと思います。けれども、その1つに凄まじい熱量を注ぎ続けられたことには理由がありました。なぜならどうしても体現したい想いがあったからです。 それは、「Bloom with you あなたがいるからチアしたい」という私たちが準幹部の際に掲げていたスローガンでした。
この
「あなたがいるからチアしたい」
という言葉には2つの意味が込められています。
1つ目は、すべての方への感謝の気持ちです。私たちは、応援する相手や演技を見てくださる相手がいるからこそチアをすることができます。自己満足な演技ではなく、見てくださった方の心に届く両想いのチアを目指したい。演技が終わった後に、お客様が「明日も頑張ろう」と思えるようなエネルギーを届けたい。選手にとって体力的に負けそうな時に、ほんの少し踏ん張れる力を応援を通して届けたい。そんな想いを込めました。
2つ目は、一緒に活動しているチームメイトを誇りに思い、お互いに「あなたのために チアしたい」と思えるチームで在りたいという想いです。
「この子は今、この技がスランプだから、私たち3人で絶対に安定した地面を作って安心させたい」とか、「この子はこの技ができるようになりたくて誰よりも早く体育館に来て練習をしていたから、報われるためにも絶対成功させたい」といったようにチームメイトの存在が頑張る理由であるようなチームを作りたいと思い、このようなスローガンを提案させていただきました。
「あなたがいるからチアしたい」を体現した構成は、わたしの見てきた3年間をそのまま体現していたと思います。
かなり熱く語ってしまう予感がするのですが、これで最後なので語らせてください。
部員それぞれが、「チアをやりたい!」という気持ちや「応援をしたい!」というそれぞれのきっかけを持ち、入部を決めたはずです。けれども、この団体を選んだ以上、本当にたくさんの時間と労力を捧げていると思いますし、楽しいだけの思い出ではこの4年間は語れないと思います。
実際に、この団体で過ごした3年間は、私にとって人生で最も感動して、そして同時に最も泣いた期間でもありました。初めての一人暮らし、初めてのフランス語、初めてのアルバイト、初めてのチアリーディング。特に、フランス語との両立は、試行錯誤をし続けた4年間でした。常にテスト勉強や予習に追われ、21時に部活が終わった日でも、 カフェインを摂取して次の日の予習を行っていました。睡眠時間は毎日4-5時間が普通。 勉強に集中するために、Instagramを消したり、靴箱にスマホを置いて勉強したり。受験生のように日々、試行錯誤していた記憶があります。
実は大学3年生の時から、将来の夢のために専門学校にも通い始めました。アルバイトや2つの学校の課題、構成作りなどに追われる日々は、本当に忙しく、朝 6:30 から夜の 23:30 までびっしりと予定が毎日詰まっていました。けれども、自分のやりたかったことが全てでき、忙しくも、一生忘れられないほどの濃い毎日だったと、振り返った今、愛おしく思っております。
EAGLES の一員として、活動していた頃は、毎日何かに追われていていた気がしま す。次から次へと覚えるべきことがあり、またミス決め、サバイバル、セレクションやトライアウトなど、緊張感のあるイベントと定期的に向き合わなくてはいけない日々。プレッシャーと戦い続ける日々の中で、「明日のことを考えなくていい日がほしい」とずっと思っていました。
恐らく多くの部員が、たくさんの感情を抱えながらチアリーディングに向き合っていたと思います。だからこそ、ステージの上では、「自由な大学生活をチアに懸ける部員一人一人が輝く姿を見てほしい」「一人一人が捧げてきたものが、光となって輝いてほしい」 という思いが強くありました。構成を作っている期間、部員一人一人のことを痛いほど想いながら、「この音楽はこの子に似合うなぁ」とか、「この子は、前に怪我をして泣いていたから、秋構成では咲き誇ってほしいなあ」と、とにかくたくさん部員のことを考えて作った記憶があります。
ここで2つこだわったポイントを紹介させていただきます。
1つ目は、メッセージ性です。
構成の中には、コールと呼ばれるメッセージを呼びかける部分があります。秋構成では、 その言葉1つ1つも大切に作り上げました。特にお気に入りのメッセージは
「あなたの代わりはいないから、頑張れない日も大丈夫」という言葉です。
生きていれば、頑張りたくても自信を無くしてしまうことや、涙が溢れてしまうようなこ とも多くあると思います。そんな時にそっと優しく寄り添える言葉にしたいと思い、敢えて「頑張れない日も大丈夫」という言葉を選びました。
後輩のみんなは、これから先、起きないことを願っているけれど、怪我をして自分の積み上げてきたものが崩れるように感じてしまうことがあるかもしれないです。そんな時は、「あなたの代わりはいないし、あなたは間違いなくチームにとって必要な存在」このことを絶対に忘れないでいて欲しいなって思います。
2つ目は、感動を与える演技であることです。
私の知っているチアは、可愛いだけのものじゃなくて、盛り上がるだけのものでもなくて、心を震わせるものだった。だから、お客様の心に焼き付いて離れないような感動を届けたいと強く思っていました。
そんな私には、目標がありました。
それは、カーテンコールの際に、感動で泣いているお客様を舞台から見ること。
夢中になって見ていたら、いつの間にか泣いていた。そんな構成を作るべく、一切の妥協をせずに、曲の編集や技のカウントを作り上げた自信があります。全てこだわったのですが、特にこだわった部分は、ハーフからトスの流れです。トスでクライマックスを迎えるように、クレッシェンドのようにじわじわとボルテージを上げていくことを意識しました。このトスを飛ばすカウントは、秋構成係の3人でたくさん話し合った記憶があります。(EAGLES の公式 Instagram に演技が公開されているので、是非見ていただけると嬉しいです。)
そして、盛り上がりを見せた後、ラストは、絶対に当時のキャプテンであったゆずの声で締めたいと考えていました。同期として、キャプテンとして奮闘するゆずをずっと近くで見てきたこともあり、彼女に舞台の上で輝いてほしいという思いが強くありました。どんな時も本当に優しくて、裏表がなく、全員に平等。「本当に同い年なのだろうか?」と思うことも多々あるほど、尊敬できるところで溢れた自慢のキャプテンでした。
そんな彼女は、キャプテンとしてオフの日にも団のイベントの下見に行き、団員が当日こなす予定のスケジュールを1人で試したり、応援係や広報の仕事をこなしたり、多忙な中も努力を重ね、ミスやトライアウトのマシーンに選ばれるなど本当にたくさんの時間を応援団に注いでいました。
ソフィア祭本番の日。会場に響いた彼女の声は、凛と澄んでいて本当にかっこよかったです。キャプテンとしてたくさんの責任を背負う中で、純粋にチアリーディングだけを楽しむことが難しい時期もあったと思います。だからこそ円陣の10秒間は、そんな彼女が誰よりも輝いて、チアリーディングができる喜びに溢れた時間であって欲しいと願っていました。
そして、ありがたいことに、カーテンコールの際に、泣いている何人ものお客様を見ることができました。その瞬間に「あなたがいるからチアしたい」を体現できた気がし、私自身まで泣いてしまったことを覚えています。
構成係の2人へ
愛菜と乙丸と3人で構成係を務めたのですが、本当に2人は抱えきれないほどの感謝をしています。この2人がいなかったら、わたしの頭の中で終わっていたような構成が、2人のおかげで形になりました。構成係が始動した後、すぐにカウントや技を決め始め、スケジュールを立て、驚異のスピードで完成した記憶があります。否定から入ることなく、いつだって話を聞いた上で、正しい意見をくれる2人。この2人と構成係を務めることができて本当に幸せでした。
絶対に成功させるために、6月から始動し、本当にたくさんのミーティングを重ねたよね、私たち。
朝から部活動をして、そのままアイスホッケー部さん応援に直行して、帰りにSTARBUCKSに寄って閉店までミーティングをした日。
先に音源を作ってしまったから、223のカウントが 4つ足りず、乙丸とSTARBUCKSで試行錯誤を重ねた日。
何パターン作ってもうまくいかなかった The Nightsの間奏部分が、奇跡的にうまく繋がった時の喜びは今でも覚えているよ。思い通りにいかなくて大号泣した日も何回かあったし、その度に抱きしめてくれて本当にありがとう。フランスで暮らす今も、泣きそうになるたびに、愛菜と乙丸の「ゆかぁぁぁ」っていう温かく優しい声を思い出します。
たくさん準備をした分、スムーズに本番まで迎えることができ、最強な2人には感謝してもしきれません。本当に本当にありがとう。
この間、久しぶりに通しを見返したのですが、本番 1ヶ月前の通しの時点で、ポン送りの揃いや、カーテンコールの起き上がりが本番同様に揃っていました。そんな小さいところに、私たちの構成への強い気持ちが宿っていたように感じ、ちょっと嬉しくなったのを覚えています。
先輩方へ
EAGLESでチアがしたい。上智大学応援団で応援がしたい。
そう思えたきっかけは、先輩方の演技を見てのことでした。1 年生の頃は、ずっとSNS上で見ていた先輩方を前に、芸能人に会えたような気分に包まれていました。
ずっと憧れていた先輩方と同じステージに立てたことが本当に嬉しくて仕方がなかったです。
また、特に大会で同じチームで関わらせていただいた先輩方には大変お世話になりました。怪我の影響で、構成に変更を出させてしまうことも多く、本当に柔軟に対応していただきありがとうございました。
後輩へ
あなたたちは目に入れても痛くないくらい、かわいくて可愛くて仕方がないです。
素直で、礼儀正しくて、上達が早くて、みんなのこれからが楽しみで仕方ありません。この団体での日々は忙しくて、プレッシャーと戦わなくてはいけないこともたまにあると思います。けれど、もうどれだけお金を払っても絶対に取り戻せない日々です。引退の日は必ずやって来ます。だから、同期と過ごせる忙しくも愛おしい日々を最後まで大切にしてほしいなという気持ちでいっぱいです。
同期へ
フランスに留学をして、みんなの存在がどれだけわたしにとって大切だったかを知りました。会いたくて会いたくて、何度も夢で逢うことを試みたよ。
性格が良くて、努力家で、ありのままの自分でいられて、笑いのツボが同じで、見ているだけでインスパイアされるわたしの自慢の同期たち。
大学生活のほとんどの時間を共に過ごし、恐らく全員の涙を見たことがある気がします。時には本音でぶつからなくてはいけないことも多く、これまでの人生でこんなにも真剣に人と向き合ったのは初めてでした。本当に深い関係で、友達ともちょっと違くて、家族のように大切な同期と大学生活で出会えることができたわたしは本当に幸せ者です。
今もこうして書いているうちに、また会いたくなってしまって、必死に涙を堪えながら書いています。いつまでもわたしの誇りで、ずっと愛してます。
家族へ
1年で帰るのは、全部合わせても1週間程度。電話するのは、怪我した時や、心が壊れそうな時ばかりで本当に心配しかかけてこなかったと思う。本当にごめんね。1 人で夜遅くに机に向き合う時間が増え、孤独や不安を感じる度に、高校生の時まで、どれだけ支えられていたかを知りました。あんまり帰ってこないから、帰った時のごはんは好きなものしか出てこなくて、温かい愛に帰りの新幹線ではいつもこっそり泣いていたよ。4年間支えてくれてありがとう。
吹奏楽部さん、リーダー部さんへ
音源ではなく、吹奏さんの楽器とリーダーさんの太鼓で踊る野球応援が大好きでした。 人数が少ない分、1人 1人の責任や仕事が多く大変なことも多かったと思います。特にわたしは春合宿係だったので、春合宿の時にはお世話になりました。連絡があって、吹奏さんの部屋に行く度に、柔らかい雰囲気が漂っていて癒されたのを覚えています。一緒に幹 部演技に出演して、応援団人生に幕を閉じることができないことが本当に残念です。
最後の瞬間まで、ステージの上で最高の演舞や演奏ができることを祈っています。
そして、顧問の川中先生、 OBOG の先輩方。
この団体の歴史の一部になることができたことが私にとって本当に誇りです。団員をいつも優しく支えてくださり本当にありがとうございました。
学科の方々へ
「フランス語学科で1番忙しいのは間違いなくゆかだよ。」会うたびにかけてくれたこの言葉に何度救われたかわかりません。昼練があり、なかなか日常的に一緒にご飯を食べたりすることはできなかったけれど、オフの日に旅行ができたり、遊びに行くことができ、 本当に嬉しかったです。フランス留学中も、大変お世話になりました。帰ったら、またリール会しようね。
また、教授の方々も本当に温かく、この学科を選んで良かったと何度思ったかわかりま せん。部活動との両立に自信をなくし、面談をしていただくこともあったのですが、「辞めなさい」と言われたことは1度もなく、いつも温かく両立を応援してくださったことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。多忙な中、ソフィア祭ステージにも足を運んでくださり、最後の演技を見ていただくことができました。この学科で勉強することができたことが本当に幸せでした。
演技を見にきてくださった方々へ
大切な時間を使って、私たちの演技を見に来てくださりありがとうございました。見に来てくださる方々の存在がいらっしゃるからこそ、本番のステージが本当に楽しく幸せで、 いつもひまわりのような笑顔でパフォーマンスをすることができていました。多忙な中、 うちわを作ってくださったり、花束をくださったり。その心と優しさが本当に嬉しかった です。
また、最後のソフィア祭では、ありがたいことに高校生の頃からずっと憧れていたチアリーダーの方々にも来ていただくことができました。
最前列の中心に、ずっと憧れていた皆様の顔がありました。「今度は自分の作った演技を見ていただく。」ということをずっと夢見ていた私にとって、紛れもなく夢が叶った瞬間であり、演技が始まる前から泣いてしまいそうになりました。
そして演技終了後、ありがたいことにお手紙をいただいたのですが、
「ゆかちゃんの最初の『ハイ』をきっかけにした瞬間から涙が止まらなかった。私こんなに誰かの演技で最初からずっと泣いていたことないし、本当に心を動かされる演技でした。私にとって最高で最愛のチアリーダーでした。」
とそこには書いてありました。
高校生の時から、ステージを夢見ていた私にとって、これほど嬉しい言葉はなく、読んだ瞬間に部屋で一人、号泣してしまったことを覚えています。私に、チアの魅力を教えてくださり本当にありがとうございました。EAGLESでチアができ、本当に幸せでした。
休団をしているわたしにとって、このブログを書くことは引退そのものでした。書き終えるのと同時に応援団生活が終わってしまう気がして、ずっと書けずにいました。今日、ようやく書き終えることができ、達成感と少しの寂しさに包まれています。
この4年間は本当に濃く、感謝の気持ちでいっぱいです。私に、こんなにも素敵な夢を魅させてくれてありがとうございました。
チアリーディング部4年 ゆか












