得意なことに限界が訪れたということ | マザーズ・ソフィア学習館 塾長Blog

マザーズ・ソフィア学習館 塾長Blog

仙台の学習塾兼カルチャースクール「マザーズ・ソフィア学習館」塾長の考えやアドバイス、他愛もない独り言を集めました。

近頃、生徒たちからプールの授業の話を聞いて、もう夏になっていたんだと気づきました。
夕方頃に教室から外へ出ると、気温が下がらずムシムシした空気と、教室の入口近くで焚いている蚊取り線香の煙が交じり合って、何とも懐かしい匂いがしました。
それは確かに、昔夏休みにワクワクしながら吸い込んでいた夏の匂いでした。
ここのところ、夏期講習に向けた準備ばかりで、ゆっくりと季節を感じる余裕もなかったようです。
なんとかかんとか、マザーズ・ソフィア学習館は来週から夏期講習期間に突入します。




現在、マザーズ・ソフィア学習館では、在籍してくれている中1生から高3生までのすべての授業を、塾長がひとりで指導しています。
中1生の国語と高1生の数学、中3生の理科と社会など、まったく異なる科目を同時に指導することもよくあります。

先日、生徒から「塾長が学生時代に得意だった科目・苦手だった科目は何か」を尋ねられました。
得意だったのは「国語」、苦手だったのは「数学」だと答えました。
次に、「いま教えやすい科目・教えるのが難しい科目は何か」という話題になりました。
教えやすいのは「数学」、難しいのは「国語」だと答えると、生徒は不思議そうな顔をしていました。
今回は、この「国語」についてのお話です。

塾長は、小学生や中学生の頃、国語の授業が好きでした。
教科書のお話を読んだり、読書感想文を書いたり、論文大会で発表したり、そういう活動がとても楽しくて好きでした。

さらに塾長が国語を好きだったもうひとつの理由は、テストがなんとなく解けていたからでした。
もちろん、毎回100点だったなんてことはありませんでしたが、問題文を読んでいるとなんとなく、感覚で答えの見当がつきました。
そんな調子で解いているにもかかわらず、5教科のなかで国語の点数が1番良いこともよくあったので、自分は国語が得意なのだと思うようになりました。

こうした傾向は、高校生になってからも変わりませんでした。
塾長は高校時代に勉強よりも遊ぶことに時間をかけてしまいましたが、それでも国語のテストはなんとなく、それなりの点数をとれていました。
2年生からの文理選択では、国語が得意だという理由で文系に決めました。
それぐらい国語には自信を持っていました。

ところが、高校3年生で受験したセンター試験で、これまでの国語に対する自信は一気に崩れてしまいました。
本番の緊張感のせいもあったのかもしれませんが、いつものように感覚で解こうとしても、まったく答えがわかりませんでした。
センター試験の国語はすべて選択問題ですが、選択肢を2つまでは絞り込めても、どちらも正解のように感じられてどちらかに決めることができません。
結局、その時の国語はいままでで一番正答率の低い結果になりました。

センター試験の時は調子が悪かったのかもしれないと思い、大学で受験する2次試験に臨みましたが、結果は同じでした。
いままでと同じように問題に向かっても、まったく解けません。
それどころか、いままでどうやって国語のテストを解いていたのかすら、わからなくなってしまいました。

その時は、センター試験や2次試験の問題が難しすぎたのかもしれないとも考えましたが、浪人してからというもの、それまで解けていたはずの問題ですら、まったく解けなくなってしまいました。
いまになって思うと、あれは国語を感覚で解くというやり方の限界点に達した瞬間でした。
そして、1度感覚で解けなくなってしまったためにそれまで蓄積していたノウハウが役に立たなくなってしまい、国語が一気に苦手科目になってしまったのだと思います。

それからというもの、塾長は感覚に頼らず、きちんと論理的に筋道を立てて国語の問題を解くことのできるやり方を求めて、勉強をやり直すことにしました。
色々な予備校の先生たちが勧めているオリジナル解答法もたくさん試してみましたが、それまで何年もの間やってきた経験が邪魔をして、余計に混乱するだけでした。

結局、いままでのやり方は大きく変えないことにしました。
その代わりに、これまでのように「正解」を選ぶことを止め、すべての選択肢について「なぜこの選択肢が正解ではないのか」をはっきり説明できるまで考える練習をくり返しました。
選択肢を本文と照らし合わせて矛盾していることを証明したり、「あれ」「これ」「それ」といった指示語が意味する内容をすべて書き出してみたり、選択肢と本文の表現の言いかえが適切か検討してみたり、それはまるでもう一度文章を読みこなせるようになるための「リハビリ」のようでした。

この「リハビリ」は、結果的に浪人していた1年間丸々時間をかけても終わらず、ようやくまた文章を読むのが得意だと思えたのは、大学に入学してしばらくしてからでした。
受験には十分に間に合いませんでしたが、それでも文章を読んだり書いたりすることそのものを深く考えるきっかけになった点で、この「リハビリ」は無駄ではなかったといまになって思います。


国語のテストは、それが母国語であるだけに、ある程度は感覚・センスのようなもので答えられてしまう場面がたくさんあります。
そのため、生徒が感覚で解いていて間違った問題を解説し、同じ間違いをしないようにその根拠ごと納得してもらうには工夫が必要になります。
だからこそ、国語は授業をすることが難しい科目だと思っています。

今回の話は、たまたま塾長が経験したことなので全員に当てはまるのかはわかりません。
しかし、「なんとなく国語を解くこと」のできる限界は、おそらく人それぞれのタイミングで多くの人が直面する問題だろうと思います。
その時求められるのは、論理的に筋道を立てて考える力や、ハッキリとした根拠を持って答えられる力です。
塾長が、国語だけでなく、数学や英語の授業で常に意識しているのは、生徒の皆さんにこうした力を身につけてもらえる指導をするということです。
国語を解きこなすための力は、あらゆる科目を攻略するためのカギになる力だと、塾長は考えています。