イマドキのセンセ について考えてみました | あくせくしたってはじまりませんぜ

あくせくしたってはじまりませんぜ

とか言いながら、けっこうあくせくしちゃってるんですが。
まあ、できればまったりと生きたいなあ。


 


この記事に関して、Facebookで、年配の教師や、元教師や、元生徒の方々が、「今の教育、教師、学校」の現状について嘆いていらっしゃいました。

教師に限らず、若い日本人の社会への関心の低さにには驚きますね。

私が「若い」というのは、40代以下ですが。

大昔、「デモシカ教師」とか「サラリーマン教師」という言葉がありましたが、現代の教師こそ、ほんとの「サラリーマン教師」だなあと思うことがしばしばあります。

百歩譲って政治や社会に関心がなくてもいいけど、せめて「人間」には関心を持ってほしい。

生徒に対して人間として考える人、「生徒である前に自分と同じ1人の人間」として見たり、興味を持ったり、考えたりする人がとても少ないように思います。(もちろん全員ではありませんが)

世間や親が教師をサービス業みたいに見るようになって来たのと同様に、教師の方も、生徒を消費者、客として見るようになって来たんじゃないでしょうか? 生徒の面倒を見る場合も、何かマニュアル的な「消費者対応」みたいな感じがする人が多いような気がします。「こういうケースではこういう対応をしなくちゃ」じゃなくて、隣人として、あるいは近くにいる大人として「こうしてあげたい」とは思わないのでしょうか?

たとえば、電車で老人や妊婦さんに席を譲るにしても、「譲らないと世間体が悪い」「バッシングされたくないから」ではなくて、「譲ってあげよう」と自然に思うみたいな。

これは、教員としての資質、スキル以前に、人間としての資質の問題のような気がします。

「人間力」と「想像力」かな?

もうこうなると、教師だけの問題じゃありませんが。

【追記】
真面目でちゃんと勉強してる若い先生も結構おられます。
でも、そういう方が勉強のために読んでる本が「教育技術」や「授業技術」みたいな本ばっかりなのが気になります。あるいは「自己啓発本」みたいなのも。
やっぱり、仕事にも人生にも「マニュアル」を求めちゃうんですよねぇ。

もっと、教育とかに全然関係ない本をたくさん読んだらいいんじゃないかな? 人間を磨くというか、自分が成長するために。
「急がば回れ」だと思いますよ。