先日、旦那様が世間から一目置かれている方であり、豊かな財産があり、時間的にもゆとりがある方にお会いしました。
どんな生活をしているのかと聞いたら、
「どこに行っても老婆ばかりだ」と嘆き始めたのである。
歌舞伎を観に行っても、周りは老婆ばかり。
昼間のヨガに行っても、老婆ばかり。
ランチに行っても、老婆ばかり。
前にもお会いしたことがあるこの方は人生を悲観的に観るのが得意な方で、目に入るもの全てが嘆きの対象となっている。
歌舞伎を堪能するのではなく、
それよりも老婆の存在がもっと気になったこの視点の方向を、私は面白いと思った。
なぜならば、持ち合わせていない視点と感覚だったからだ。
バラエティー豊かな感覚があるこの地球に来たことを、心より楽しんでいる。
「歌舞伎」という単語が出てきただけで、私は優雅、豊か、伝統、粋、特別、神聖などの感覚が一瞬で出てきた。
歌舞伎を観に行ける年配の方は、自由な時間と心の喜びがある方々だろう。
ヨガに行かれている方々は、ご自身の身体を丁寧に扱い、身体を気持ちよくすることによって、気持ちもスッキリされている方々だろう。
ランチを友人と摂っている方々は、
美味しい食事と楽しい時間を過ごしている方々だろう。
と思うわけである。
自分がいる場所が、ものごとの質を認定します。
(当然、身体が在る場所のことではありませんね)
悲観的な場所にいると、全てが悲観的に見え、
好奇心旺盛な場所にいると、全てがワクワクした魅力的なものに見える。
旅行に行っても同じこと。
「あ〜、こんな素敵なところが見れて、その上 上げ膳据え膳なんて、なんて幸せなんだろう〜」
と幸せ&ありがたさに感謝しながら旅行することもできるし、
「あ〜、旅行が終わったら、また仕事が大変だ」
「あ〜、旅行が終わったら、また現実※に戻らないといけないな」
と、仕事の大変さを引っ張り出してきて再度体感したり、あらぬ現実を嘆いたりしながら旅行することもできる。
※現実についての考え方はとても大切なので、また別の記事で。
もちろん、どのような感覚で過ごしてもいいのです。
嘆きの人生にするか、
幸せな人生にするのかは、
自分で選び、自分で創造できます。
ちょっと心が重たく感じるなという方は、
自分が今いる場所から在りたいところへとシフトします。
今までの人生で、例えば安心だと感じた感覚を引っ張りだして、その感覚に浸る。
あるいは、
使い放題の妄想を使って、在りたい状態に浸る。
外からの刺激で、自分の人生が変わるのではありません。
良いタイミングで出来事が起こったり、アドバイスをもらうと、方向転換しやすくなります。
が、方向転換をしているのは紛れもなく自分。
アドバイスしてくれた方があなたのために方向転換をしても、あなたの場所自体が変わることがありません。
他の人や環境などで影響はされますが、その刺激が薄らいだり無くなったら、また喪失感や退屈や不安が湧き出てきます。
自分がどう思うかで、どう感じるかで人生が・日々が変わるのです。
ご自身が毎瞬毎瞬、どう感じているか、どういう感覚でいるのか「だけ」が、重要です。
🌻人生は複雑だと思えば複雑だし、
人生はシンプルなのかなぁ〜と、今までの固定概念を柔軟にすると、あとはやることはただ一つ。