またまた長くなったので、今日と明日と2回に分けて投稿します。

 承前。
 まさか今回暴れた一部のコロンビア人達は、ちょうど30年前の「FIFAワールドカップ1994 USA大会」で、今回と同じようにUSAの各スタジアムで大騒ぎし、その数日後の7/2に、コロンビアのメデジンで起きた悲劇を決して忘れてはいないだろうと思う。
 それは真っ当な広島県人が79年前の8/6を決して忘れてはいけない、と願うことと同じだ(原爆投下の理由=明治時代から広島市および呉市が軍事拠点として機能し発展してきたことの猛省をも前提に踏まえて。最近はここを出発点としない、下品で愚かで市民や国民のことなどに一切関心がない、それゆえ実は何の政策もない、『私だけファースト』の政治家達が選挙で選ばれ、あるいは選ばれそうになっている。愕然とする)。
 ボクも1994年7/9にテキサス州ダラスのコットンボウルで「FIFAワールドカップ1994 USA大会」のセミファイナル ブラジル VS オランダを(3-2でブラジル勝利。最終的にブラジルが優勝)、そしてニュージャージー州のジャイアンツスタジムで同じくセミファイナルのブルガリア VS ドイツ(2-1でブルガリア勝利。ブルガリアのストイチコフ選手が大会得点王)という2ゲームを生観戦した。
 その「FIFAワールドカップ1994 USA大会」に出場したコロンビア代表チームは優勝候補のひとつでもあった。

 多くのスター選手が、パスとランニングにスピードと距離の緩急をつけ、独特のリズムで実に魅力的なプレーを展開していた。チームには、バルデラマ、アスプリージャ、リンコン、バレンシア、そして頼れるキャプテンのアンドレス・エスコバルがいた。エスコバルはこの大会後にイタリアのACミランへの移籍が決定していた。
 ただ当時のコロンビア国内は麻薬カルテル「メデジン・カルテル」のドン、パブロ・エスコバルと他の麻薬組織との爆破・殺人などの抗争が先鋭化し、そこにUSAの支持を受けたコロンビア政府軍、そしてFARCなどのゲリラ戦も絡まり、脅迫・誘拐・身代金要求・傷害・殺人が日常化した、どうしようもない、逃げ場のない、出口の見えない内戦状態に突入しつつあった。だからこそ出口と希望を求めてコロンビア国民は、コロンビア代表チームにすべてを「賭け」、自分達の未来を彼らに『付託』した。
 しかし残念ながらコロンビア代表チームは、コロンビア全国民に期待されながらも1勝2敗でグループリーグで敗退し、ほとんどの選手がこのまま帰国したら誹謗中傷、脅迫、誘拐、傷害の被害に合うと怖れ、コロンビアへの帰国を拒否しUSA内に留まった。
 そういう状況下で、キャプテンのアンドレス・エスコバルだけは今回の結果を国民に説明する責任があるとしてコロンビアに帰国し、そして7/2の早朝に「オウンゴールありがとうよ」(6/22のVS USA戦で彼のオウンゴールがあり、1-2で敗北)と叫びながら犯人に多数の銃弾を浴びせられ惨殺された。

 ボクが思うに、これはコロンビア代表チームを賭けの対象とし、その賭けに負け大損をしたことへの、あるいはパブロ・エスコバルへの報復だと思う(当時、アンドレス・エスコバルはパブロ・エスコバルがオーナーでもあった、コロンビアを代表する強豪プロサッカークラブ『アトレティコ・ナショオナル』の所属選手でもあった。『二人のエスコバル』という映画も視聴してみてください)。
 そしてこの事件以降、多くの優秀なサッカー選手達が大量に引退、あるいは代表チームへの参加を拒否し、コロンビアのサッカーレベルは一挙に低下し衰退していった。hasta mañana.