5年と言う年月。 | ミタクエ・オヤシン

ミタクエ・オヤシン

【ミタクエ・オヤシン】はアメリカ・インディアン、ラコタ族の「私に繋がる全ての存在」と言う意味です。

ご無沙汰しております。

 

忙し過ぎて視線泳いでいる、今日この頃。

ほぼ日手帳分冊版「avec」が、7月スタートで新しくなりまして、あれ?もう7月なの???って、ビックリした程でありました。

 

7月1日より、恒例のくじキャンペーンがスタートしまして。

(ここまで言えば、バイト先が想像できるでありましょう、うふふ)

店内走り回って、筋力落ちてる足がガクブルしております。

 

ご無沙汰している間に、色々ありました。

 

まずは、保護犬のもんじゃ君に関してです。

 

お預り当初から、パワーが有り余って居る彼を散歩させることが出来なかったワタクシに代わって、主人がずっと外に連れ出してくれていました。

ハウスからドッグランの距離すら、何かあった時に対応出来ないこともあって、主人が頑張ってくれていたのでありました。

 

しかしながら主人の仕事が激増してしまい、早朝(2時とか3時とか)から丸一日の仕事なども出てきた関係で、もんじゃ君のお世話が難しい状況に…。

 

主人が外出する時にドッグランに出して出掛けることもしましたが、まだ真っ暗な中で吠えるようになってしまって、これ以上はもんじゃ君にとって、良い環境と言えないと判断しました。

 

Life of Dogさんにご相談させて頂いた上で、今回はお預かりを辞退させて頂くこととなりました。

 

無力で申し訳なく思いますが、自分たちを過信すべきではないと思っての判断でした。

 

今後は、Life of Dogさんで直接、里親さん募集となります。

よろしくお願いいたします。

 

そして、猫ご一家です。

 

三毛猫ちゃんは、お友達(ピアノの先生なのです)の生徒さん宅へ、無事にお嫁入りしました。

お友達は瀕死の仔猫を何度も育て上げた経験があるので、安心して託すことが出来ました。

先住猫(♂)とも仲良くしているらしく、【きなこ】ちゃんと言う可愛いお名前になって、大事に育てて頂いて居ます。

もう、何も言うことがありませんって言うほど、嬉しい。

 

母猫コットンさんは、9月頃に避妊手術を予定しております。

 

残る仔猫らは、サバトラくん、カギ尻尾くん、黒猫くん、サビ子ちゃん。

現在、寝ている時しか写真に写らないよ?ってぐらい、物凄いヤンチャ盛りでして…(-"-;A ...アセアセ

ありとあらゆるイタズラを見つけ出して、小悪魔ぶりをお披露目する日々です。

まだまだちびっ子なのに、なんでこんな場所に登れるの???それは、猫だからー…的な???あはは…。

 

猫部屋(私のお洋服、バッグ、靴などを保管している部屋)は、迂闊にモノを置けない部屋となりました。

部屋は片付くけどね…(涙)

 

引き続き、善きご縁を探していく所存でございます。

 

そして、ワタクシのお話。

6月29日に、術後経過5年となる診察を受けて来ました。


その前にCT造影検査&血液検査、線維筋痛症や貧血の治療で通院中の富士見高原病院で受けた内視鏡検査の画像診断も含めて、今後の通院をどうするかが決まる診察日であります。

 

結果は、無事に卒業となりました。

 

手術から卒業に至るまで、5年間付き合ってきてくださった外科の担当医からは、「取り敢えず、今は言わせて。おめでとう!よく頑張ったねー!これからは、自分の身体を大事にね。ちゃんと自分の身体の声に耳を傾けてね。」と言われました。

 

担当医からそんなことを言われると思わなくて、凄くびっくり。
物凄くドライで、切った貼ったの真性外科医だと思って居たから。
 

思い返して見れば。

腹を開く以上は、手ぶらで終わらせないで欲しい!と言うリクエストに応えてくれて、閉腹してもおかしくなったのにガッツリ臓器を取り出してくれたり、緩和の(元)担当医とも連携してくださった(これは私が強く希望してごり押ししたんだけどね…)り、本当は入院治療しか許されていない抗がん剤治療を通院加療で許可してくれたり…。

 

相当厄介な患者だった私のことを、見捨てずに辛抱強く付き合ってきてくれました。

ワタクシのトリセツでもあったのか?と思えるほどです。

 

そんな雑談をして診察室で大爆笑。
 

「さて、この先はどうする?」と聞かれたので、「もう、終わりで良いでーす!」となりまして、感謝とお礼を申し上げて。

「無理をしないように、今後は掛かりつけ医の先生に何かあったらすぐに相談するんだよ。必要な検診は受けるように!」とお言葉を貰って、「先生もお体、大事にしてくださいね!ありがとうきらきらピース」と伝えて、診察室を後にしました。

 

お会計の際に、かつて外科外来窓口でお世話になった事務員さんに遭遇しまして。

受付業務に移動になったそうで、その事務員さんにも、5年クリアのご報告とお礼をして。

 

晴れやかに、軽やかに、病院を後にしました。

 

さらばじゃ、山梨県立中央病院(笑)

 

あ、でも、またがんになったら、ヨロピコハート

 

この5年は振り返ってみると、長いような、短いような期間でした。

 

手術後に始まった抗がん剤治療では、何度か死に掛けました。

普段の食事中でも、つっかえて息が出来なくなり、死に掛けたことも何回かありました。

身体も心もヘトヘトになってしまって、生きる気力が湧いて来なかった時期もあります。

時間の経過とともに変化する術後後遺症は、今現在もあって、昨日も早朝突然の消化液大逆量を起こして七転八倒。

鼻から喉から焼け付くような痛みで、そのまま起きて時間をやり過ごすしか無かった朝でした。

貧血の治療も継続中ですし、がんが引き金になったであろうと言われている線維筋痛症の治療も続いています。

線維筋痛症は服用している薬のタイミングが外れると、痛みで何も持てないほどです。

 

がんは完治ではなく、寛解。

今も私の身体の中に存在しています。

 

そんなこんなを抱えて、これからも生きて行く私です。

 

ステージ4のスキルス胃がんになり、胃を全摘し、棺桶に片足突っ込んだのに思いがけず生き延びた中で実感していることは、明日がくることが、当たり前だと思わない方が良いということです。

 

今出来ていることの、何もかもが、当たり前だと思わない方が良いです。

 

変わらないことなんて何一つなくて、当たり前なんて何一つなくて。

 

歩く事、眠る事、食べる事、排泄をするという事、考える事、聞く事、見る事、話す事、笑う事、泣く事、怒る事、働く事、誰かを何かを愛するという事、etc…そのどれもが、明日も同じように出来るわけではありません。

 

そして同時に、命あるものは、いつか必ず死を迎えます。

死は恐れる事ではなく、誰もがいつかは迎える自然な理です。

 

だから、大切に生きて行きたいと思います。

生かされた命、死ぬことを許されなかった命、まだまだこの世を卒業するには、単位不足とされましたから。

自分の心を偽ることなく。

自分にとって窮屈で無理な執着はしないこと、手放して諦めることは負けではないということ、自分自身で選択したのであればどんな結果でも受け入れるということ。

 

そんなことを学ばせてもらった5年だったのかもしれません。

 

色々なことが沢山あったけど。

これからも、色々なことが沢山あるだろうけど。

 

生きている限りは、生きるしかないのです。

そうやって腹決めれば、日々起きる諸々のことも、なんとかやり過ごせるってものですよね。

 

この場を持ってお礼を申し上げます。

闘病生活を応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。

なんだかんだ言いながらも、5年を迎えられました。

時にヘタレな愚痴満載もあったり、ご心配させてしまうようなことも書きました。

この先は闘病ブログとはならないでしょうが、私でお役に立てるようなことがあれば、お気軽にメールでもコメントでもしてくださいね。

これから闘病される方も居るかもしれません。

今、闘病中の方も居るかもしれません。

不安になったり、怖かったり、誰にも言えない、聞けないと思うような事も、遠慮なくどうぞ。

 

これから先は、出来る限り、ドアを全開に開けておきますよキラキラハートキラキラ

 

画像は、2012年6月20日。
手術して退院する日の朝、病室から見えた虹です。

ラッキー画像だと思われます(笑)

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