第97回 Man of Sorroes(後編) | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

 

自分に向けられた、サンドロの想いは、何なのか?

 

 

ヨハネの黙示録12章に絡むものを

無断で描いたことへの憤りなのか?

 

直接に尋ねたとしても、レオナルドが聞きたい答えは無かったと思います。

 

サンドロは怒っているのか、悲しんでいるのか、

自分に対しどう思っているのか、気になっていって、

何日も何十日たっても、あの絵が心に残り、

 

そして、レオナルドは気づいた。

 

 

 

 

 

想い・願いを込めたもの・・・

自分はこれまで描いていたか?

 

 

 

 

  過去作を振り返る

 

1472-75年。

ヴェロッキオ工房で共同制作した「キリストの礼拝」は、二人の天使と三羽の鳥を使って、イエスの異なる時間を表現したものでした。このアイデアはボッティチェリ主導によるもの。

 

ボッティチェリの師匠フィリッポ・リッピの、プラート大聖堂の「聖ステファノの生涯」「洗礼者ヨハネの生涯」など独創的な異時同図法をみて、「キリストの洗礼」でボッティチェリと共に人に気づかれずに別のテーマを仕掛けることの楽しさを知ったレオナルドは、普通の作品では物足りなくなっていたと思います。

 

「自分も彼らのように、独創的な仕掛けのあるものを描きたい。」

 

 

そうして、「受胎告知」に「死の告知」のテーマを重ねたのは、単に異なる意味(異なる時間)を重ねるためだけのものでした。

 

 

1478-80年、猫を抱く聖母子の素描を描いた時期がありました。

ただ猫は、魔の寓意として「最後の晩餐」のユダの近くに描かれる動物でした。

 

「受胎告知」のテーマにも何点か猫がいるのがあります。

「受胎告知」の猫には、「魔」とは違った寓意をもっていると思うのですが、

それでも聖母子らが猫をしっかりと抱くポーズは、前例が見当たらないものでした。

この素描からみても、普通の人が描かないものを描きたかったとみえます。

 

 

レオナルドの聖母子と猫の素描を、当時、ヴェロッキオ工房の兄弟子らが見ていたら、

「何故、イエスに猫を抱かせるのか?どういう意味なのか?」と尋ねたことでしょう。

ボッティチェリなら「直接的すぎるから、やめた方がいい」とアドバイスしたかと思います。

 

 

システィーナ礼拝堂の壁画制作に選出されなかったレオナルドは、「マギの礼拝」を請け負いますが、途中放棄しミラノに移転しました。

「キリストの降誕」と「マギの礼拝」の異なる時間を描こうとしたのですが、自分の満足のいくものにはならなかったからで、この祭壇画を待ち望む依頼者や、その教会に通う人たちのことなど、大して気にかけなかったのでしょう。

 

その後、「マギの礼拝」を納めたのは、ボッティチェリの弟子のフィリッピーノ・リッピでした。

 

 

ミラノ移転後、「岩窟の聖母」では、体の一部分を移動させることによって、洗礼者ヨハネの異なる時間をみえるようにしました。「岩窟の聖母」も、独自の仕掛けでもって、普通には判らない異時同図のものが描きたかっただけであり、依頼主の要望は二の次であったのです。

 

 

 

「最後の晩餐」は、レオナルド独自の部分的な移動(マグダラやペテロ&ユダ)のある異時同図法には見えない異時同図法であり、しかもこれまでに比べ、さらに複数の異なる時間でした。

 

その仕掛けの最も要となる、「ヨハネにマグダラのマリアを兼任させる方法」は、ボッティチェリの作品と関連づけたものでした。

 


レオナルドは、「最後の晩餐」の異時同図に気づくかどうか、自分のもてる最高の仕掛けある作品を、誰よりもボッティチェリに見てほしかっただろうと思います。

 
当時、壁画は長期保存のきくフレスコという技法が使われるものでしたが、レオナルドは自分の得意な重ね塗りができるテンペラ技法で描きました。
 
完成後、食堂の湿気により壁画は剥落、カビなどの痛みがでてきます。それでもレオナルドが修復に責任を持たなかったのは、教会に通い作品を見上げる一般の人々のことは、やはり気にしていなかったからだと思います。
 
自分の得意な技法で、最高の仕掛けのある作品を創りあげることができれば、それで満足だったのでしょう。
 
 
フィレンツェに戻ってからは、ボッティチェリがヨハネの黙示録11~12章の作品を描いていたことを知り、おそらく「彼とは違う方法で、彼を超えるものが描きたい」という動機で、ヨハネ黙示録12章の、「荒野で男の子を産む女」と、その子である「鉄の杖をもって国民を治めるべき者」を模索して描くようになったもので、
 
 
 

 

弟子らの作品しか現存していない「レダと白鳥」も、

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の女性の裸体のポーズに触発されて、それを超えるギリシア神話ものを模索したものだと思います。

 

 

過去作を振り返れば、

依頼主や、作品を見る一般の人々はそっちのけなのです。

未完成で放棄(マギの礼拝)し、

依頼主の意向に合わせず(岩窟の聖母)、

その後の作品(最後の晩餐~)においても、ボッティチェリやリッピを超えるもの、独創的仕掛けのあるものを描きたいといった我欲が動機となっていたとみえるのです。

 

 

 

 
「 同じ過ちを繰り返すな 」
 

 

 

第98回に続く