なんか変だ、世の中は。
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2018年11月29日 09時50分49秒

アマゾンの凄さ。

テーマ:マーケティング

Amazonを分かりやすく分析した本がでている。

https://www.amazon.co.jp/dp/4478105057/?coliid=I32I5D7WCDQ1JW&colid=1XOZEYA2FZ7HS&psc=0&ref_=lv_ov_lig_dp_it

 

とても面白いというか興味深いというか、空恐ろしいというか、完全に新しい時代の企業だということと、時代や社会は、回り舞台のように変わりつつあるということを実感した。

一番の驚きは、アマゾンは小売業ではなく、IT技術の売上で食っているということだ。小売業は今に至っても赤字らしい。なんということか。そのあたりのアマゾンマジックを本では解説しているが、上手く仕組みを作った結果の巨大なキャッシュフローで次々と投資し、新しい事業をてがけている。我々の知らないところでもアマゾンは、世界の根幹部分に進出している。

そして、この創業者は、一般的なIT企業の創業者にありがちな理屈っぽいイメージとはかけはなれた商売人だと知りました。なので、ITの新しい企業だけれども、泥臭いほどの商売根性でやっているという印象。

また、そもそも今までの企業がおざなりにしていた、あるいは見過ごしていた部分をアマゾンがちゃんと拾い上げているという印象もある。
まっとうに客の利益を追求していって、自社の資源を活用し、ノウハウを横展開し、と、当たり前のことを地道に積み重ねた結果とも言える。

小売業においてのアマゾンのアドバンテージは、品揃えと低価格だ。客にとっての利益は、これに勝るものはない。そのあたりも良く分かって妥協をせず徹底的にやるところが、アマゾンのすごさなのだろう。

昭和生まれの僕などの「新しいサービスやショップができると、便利だけど必ず少し値段が高い」という昭和の価値観も、アマゾンには根本的に打ち砕かれた。アマゾンは、いつもカカクコムの上位にいる。

もうアマゾンの圧倒的な増殖状況に、地球の社会の仕組みがついて行っていないところがある。

JASRACのやり方がかねてから問題になっているが、もしアマゾンが音楽の著作権ビジネスに商機を見いだしたら、最先端のIT技術を使って思ってもみない方法で一気に展開してJASRACなどひとたまりもないと思う。しかし、アマゾンにとっては、マーケットが小さすぎて興味ないかも(笑)
 

2018年11月11日 23時26分35秒

ハザードマップについて

テーマ:社会

最近、防災意識が高まり意識されるようになりましたが、ハザードマップって、存在はみんな知っているのに、ちゃんと見ている人は少ないのではないでしょうか。また、ちゃんと見ないわりには、見たらみたでハザードマップを過剰に信用してしまうというねじれ現象があると思います。

防災の仕事をしたことがあります。専門家が言うには「ハザードマップは、あくまである”想定”を元に作ってある。災害は、想定を越えることもある」。考えたら当たり前のことです。
ハザードマップは、過去の災害のデータを元につくってあるので、その「想定」を越える災害が来ないとは言えないのです。

ですから、ハザードマップがあくまで「参考」なのです。危険地域になっているからと言って必ずそうなるとは限らないし、危険地域ではなくても、危険になることもある。
素朴に考えたら、ごくごく当たり前のことです。

最近、ハザードマップで住宅を買ってそこが間違っていて、浸水したというようなニュースがありました。被害に遭われた方はお気の毒ですが、買われるときに少し注意すれば防げたのではないかと思います。
もちろんハザードマップで売り込む業者も業者ですが、買う側もそもそも「ハザードマップで売り込む」こと自体がおかしいことに気づかないといけないと思います。
該当地区の地理を客観的に見れば、災害の可能性はある程度分かります。水のそば、山のそばは、危険です。また、歴史を調べるともともと沼地だったとか、低い地域だとか、という地区は、物理的に水が溜まりやすいなどなど、よく考えるとある程度わかります。そういう素朴な視点を忘れないようにしなければならないと思います。

過去の広島の水害地も、地元の不動産業者の間では、家を建ててはいけない地域として知られていたという話が書いてありました。なのに、家が建って売られてしまった。そのあたりの事情は分かりませんが、わかっていたのにそうなったとは、どういうことでしょう?
昔から、水害が多く、地名もそれを表していたのに、縁起が悪いということで、変えられてしまっていたそうです。縁起が悪いから変えたのか、売るためにかえたのか、後者の場合、人災ともいえる話です。

地名というのも災害の可能性を知る手がかりになります。
少し前に鬼怒川が氾濫しましたが、地名をよく見ると「鬼が怒る川」なのです。しかし、広島の例にあるように、地名というのは、しばしば字を変えられてしまっているので要注意です。
大阪の梅田も元は埋め立てた場所で、「埋田」だったそうです。数年前の台風の時に、浸水して梅田の繁華街は、水浸しになりました。土地が低くて、柔らかく、水が来やすいわけですね。

これから、災害が増えそうです。
住む場所選びは、目先の魅力にとらわれず、まず素朴な視点でチェックする必要があると思います。


 

2018年11月01日 11時28分36秒

紛争地帯を取材するジャーナリストの存在

テーマ:社会

安田純平さんの事件で、自己責任論が取りざたされる中、

ジャーナリズムの在り方も問われるところだが、

安田さんだけで話をしてはいけないように思う。

 

長期拘束されていた安田さんの持ち帰った情報が、

結果的に価値があるかどうか(何らかの価値はあると思うが)

ということにも焦点が行くかも知れないが、

仮に今回はさほど価値がなかったとしても、

だからだめだという風に考えてはいけないように思う。

 

安田さんを含め、紛争地帯を取材するジャーナリスト全体として

とらえなければいけないのだと思う。

危険を伴う地域を取材して、必ず価値のある情報が得られるとは限らないからだ。

何人か、あるいは何度か行く中で、価値ある情報が得られることが重要なのではないだろうか。

何事も、百発百中とは行かないし、ましてや命を落とす危険を背負いながらの取材である。

うまくいかなくて当然なのだ。

 

じゃあなぜそこに行くのかと言う声があがるだろうが、

彼らは、そこに自分の生きがい(使命感)を見いだしているからのはず。

そうでなければ誰が好きこのんで行くだろう。

 

一方、国や国民は、そういった彼らのおかげで、

そういった分かりにくい地域の状況が少しでもわかる。

既に言われているが、それはとても重要なことではあるはずだ。

危険な地域のことは何も知りません、関与しませんでは、

成り立っていかない時代だろう。

ある面、ジャーナリストの彼らの生きがいに乗っかっている部分も

なきにしもあらずではないだろうか。

そう言う面では、「国の警告を無視して行ったわがままな彼らを助けるのはおかしい」という論理も

バランスが悪くなる。

 

安田さんがどういう背景で助かったのか、

重要な情報は表に出てこないので、推測はできても真実は分からない。

世の中、重要な情報ほど表に出てこないのだ。

だから、白黒つけるのではなく、グレーな部分をうまく解釈していかないといけないと思う。


 

2018年10月31日 11時57分55秒

日本人の責任意識。

テーマ:社会

ジャーナリストの安田さんの解放はとにかくよかったのひと言につきるのですが、いつも出てくる自己責任論。
僕も以前は、こういうジャーナリストの行動については、自己責任であり、国に迷惑を掛けるべきではないと考えていましたが、いろいろな意見を聞くと、そうとも言えないと考えるようになりました。
こういう人の行動があって初めて分かってくる情報があり、それはそれで貴重なものであるという意見に共感するからです。
ただし、ジャーナリストや支援活動の関係者がやむを得ず行く場合以外の、何でもない人が興味本位で彼の地へ行くのはやめるべきだと思います。これは自己責任の前に、自粛するべきと思います。騒動になること自体で迷惑がかかります。

自己責任論がわき起こるから、日本人の多くが責任についてシビアなのかと思えばそうではないと思います。
一般的な日本人の気質としての責任感覚は歪んでいるように思います。
自分で責任を負うことを嫌がるくせに、他人の責任は追及するところがあります。要は「自分に甘く、人に厳しい」です。

例えば、航空機事故が起こった時に、海外は「何故起きたのか」という原因に目が向くのに比べて、日本では「誰の責任なのか」にまず目が向くというようなことが、以前読んだ「マッハの恐怖」(柳田邦雄著:航空機事故のノンフィクション)に書いてありました。
つまり、誰が悪いのかということをとても気にする気質なのではないかと思います。逆に言えば、その当事者になりたくない。
これは、モリカケ問題を始めとする、政府の役人などの対応が象徴しています。悪者にされるのがとても怖い。何とかして、悪者にならないようにしようとするのが、あからさまです。「記憶にございません」という答弁は、その最たるものかも知れません。

そもそも、一般社会でも、自分が関わっている物事に於いて、自分の責任範囲、逆に言えば、自分は何をするべきポジションなのかということを明確に認識してる人は、極めて少ないのではないでしょうか。企業に於いてもです。
その背景には、組織の仕組み自体が明快になっていないという事もあると思います。それらは、時として良い影響を与えることもありますが、責任範囲は、グレーなので、しばしばトラブルを引き起こします。
責任範囲をお互いが認識していないということは、信頼関係にも影響することのはずです。しかし、日本的な曖昧さが故に妙な信頼関係が生まれたりもします。明確にしない方がよい場合さえあります。つまり、そこをあまりシビアにやると「角が立つ」からです。やはりそうう文化だからなのでしょうか。

それに比べて外資系の企業は責任範囲を明確にします。契約社会、契約書、というのは、両者の義務と責任を明確に規定して、取引をするものだからです。
グローバルな文化が台頭してくると、日本人の意識も徐々に変わってくるのかも知れません。

2018年09月07日 11時50分06秒

「心より」には、心がこもっているか?

テーマ:社会

「心よりお悔やみを申し上げます」
「心よりお詫び致します」
などと、お詫びを始め、お悔やみなどで「心より」が添えられる。
テレビはもちろん、SNSなどでも、素人がそのようなコメントを書いていたりする。
何か表面的というかウソくさい匂いがするのだ。
そのコメントがウソだとは思わないが、その思いの程度の問題についてである。

お悔やみやお詫びというものは、そもそも「心から」思うものであり、そうでなければウソになる。なのに、なぜ分かっているはずの「心から」を添えるのか。
「心から」をつけるのは、「ウソじゃないよ本当だよ?」というような気持ちの深さの保険としてつけているのではないか?あるいは、心から思うのが当たり前のメッセージに「心から」を添えることによって、そのメッセージがウソ臭く聞こえてしまうと思う。

「心から」を添えるのは、そんなに深く考えていなくて慣習的につけていることが多いのだろうが、それはつまり、深い思いはないということだ。親しい人の葬儀に伺って「心からお悔やみを申し上げます」と言うだろうか?普通に「お悔やみを申し上げます」ではないのか?

「心から」がつく場合は、テレビなど、より親しくない関係へ向けてのメッセージの場合だと思う。だからこそ、「ウソじゃないよ本当だよ?」のニュアンスがつくのではないか。「心から」は、そのメッセージが「心から」ではないことを証明しているように思えるとうのは、解釈が歪みすぎているだろうか?
日本のその手の挨拶やコメントは、「人と同じように」を重んじる日本の文化性によって長年の間に慣習化されて、歪んできてしまっていると思う。

企業のお詫びにも現れている。
これはこちらの記事。

http://real-natural.biz/owabi/

 

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