IoT~こいつはもう、つながっている[No.247] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

 IoT(Internet of Things)という言葉を最近、よく耳にします。インターネットにつながる機器と言えばパソコン、携帯電話(スマホ)は容易に想像できますが、家電、身につけている時計、工場の機械の振動を読み取るセンサー、畑の温度計や湿度計、家畜の場所を特定する装置、などなどをインターネットに接続し、種々の情報をクラウド(インターネット上のデータを保存しておく場所)に保存し、分析することで、暮らしを、仕事を、健康を、よろしくしてしまいましょう!ということが、IoTの意味するところです。

 

 私は、円盤型の掃除機、ルンバを10年近く使っています。我が家は共働きですので、家事を行う時間が限られています。そんな不足を補う時短家電としての効果は凄まじいものがあることを実感しています。最近、購入したルンバはインターネットに接続することで外出先からスイッチを入れることができます(床を事前に片つけておかないと、大変な事になってしまいますので、あまり利用する機会はありませんが・・・)。また掃除が終わると、通知がスマホに届き、掃除した部分が色で塗られている部屋の図を見ることで結果を確認できます。さらに過去に掃除した時間をもとに、ブラシなど付属品の交換時期を割り出し交換が必要になったタイミングで教えてくれて、その通知のそばの「購入」ボタン押すことで付属品を注文することができます。利用者は清潔、快適に使用を継続出来て、メーカーは定期的に付属品を販売できる、双方にとって素敵な仕組だなと、感動してしまいました。メーカーにとって機械を売った後のメンテナンス(付属品の販売、有償保証など)で定期的・継続的に稼ぐことが安定的な利益を得ていくためには非常に重要です。0円でスマホを売って、2年契約で縛って高価な月ごとの通信料収入でホクホクな携帯キャリアみたいに。

 

 医療技術の発達、経済力の向上による食糧事情の好転などによって高齢者の寿命が延びている一方で、教育費の高騰、女性の労働参加、価値観の多様化、により子供の数が激減しています。私が生を受けた1973年生まれは第二次ベビーブーマーなんて呼ばれていて、200万人超の赤ちゃんが生まれていましたが、2016年の出生数は100万人を割り込み、なんと半分以下!に減少しています。そんな中、少ない若者でお年寄りを支えていかなければならない状況が今後、加速していくことが確実視されています。また家族構成の形態として3世代同居が減り、核家族化が進んでいます。そこで問題になってくるのが、お年寄りの介護の問題です。私も田舎で一人暮らしをする父のことが気がかりで仕事に身が入らないことがあります。父の携帯に連絡して、2日連続で通じないなんて時は、下手すると、どこかで倒れいて、最悪の場合・・・なんて心配によって、近くに住む親戚の方に確認していただいたことが幾度かあります。そんな不安を少しでも緩和するための生存確認の方法として、インターネットに接続できる体重計や腕時計を利用し、遠く離れた親の状態を把握できるような仕組を開発していまして近日中に公開の予定です。

 

 

 アメリカの大統領選挙でトランプ大統領が選ばれたことにより貿易の自由化を促進するTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の批准が怪しくなり、同協定によって厳しい国際競争にさらされるであろう農業分野は暫くは今までのままでOKかも!なんてことには恐らくならないのかな?と考えています。というのは、日本は自動車などの工業製品をたっぷりアメリカに買ってもらっていてアメリカにとっては中国に次ぐ貿易赤字の大きい国が日本でトランプ大統領は不公平だ!と発言しているからです。今後行われるアメリカとの2国間貿易交渉でアメリカの安い農産物の輸入増を迫られることは必至です。ですので国内農家は生産性の向上による価格競争力の向上が欠かせません。その手段の1つとして、温度、湿度、土壌成分などの数値をセンサーで取得しインターネットを通じて送信し、莫大なデータを蓄積、分析することにより収穫量を最大化するお手本のような数値を割り出し生産性を向上させる試みが行われています。食べログの星の数を参考にすることで、こんなハズではなかった、トホホな、大切な人との大切な食事が激減するように。似たような話で、乳牛の首に位置情報を取得できるGPS機器を取り付けて、その行動を監視することで発情期を正確に把握し、タイミングよく確実に受精させ牛乳の産出量を増やす、なんてアプリも販売されています。

 

 以上のようにあらゆる生活の場面にインターネットに接続できる機器が入り込むことで多種・多様な情報が収集され、あらゆる角度から情報が分析されることで、余分が省かれ、生産性が向上することは素敵なことです。例えばロボットに作業を代替し人を必要としない作業が増えることで6人でやっていたことが、3人でできるようになるかもしれません。例外の少ないパターン化できるような作業は特に、その傾向が強く、先進国の中で、日本はIoTなどを活用して収集したデータをAI(人工知能)に学ばせ、代替させることによる、人を削減できる余地が一番大きいそうです(つまり現状は無駄が多い)。また、そんなことで将来的にAIに職を奪われ解雇されてしまう人が増えるといった懸念も指摘されています。こういった社会的混乱を防ぐためにベーシックインカム(全国民に生活するための必要最低限のお金を支給すること)を採用し、生身の人間は、食べるためのお金は保証されているから、リスクをとって創造(想像)力を活かしてAIではできないことに挑戦していこう、そんな、少し怖くも、オモシロそうな世の中になるかも、ひょっとしたら、な話を聞きました。

 

 去年の6月にスイスでベーシックインカムの是非を問う国民投票が実施されました。結果は否決でしたが、事前の予想に反して23%の賛成票が投じられたことが話題になりました(意外と賛成票が多かった)。私も、この結果について考えさせられました。生産性を過度に追求するならば、可能な限りAIやロボットにできることは任せて人件費を削減し、時間あたりの生産料を増やすことが効率的であることは間違いのないことです。そこで不要とされてしまう人間は、自分なりのセンサーを働かせ集めた情報から感じたことをもとにAIでは思いつかないであろう、感情とか、暖かさとか、情緒とか、そういう部分(AIでも忖度みたいなことが可能だという話もありますが・・・一体どこまで?と感じてしまいます)で個性を発揮し、協力し合える人とつながっていけばいいのかなと思っています。支給されるお金にかまけて、のんびり、なんてことにはなりたくないです(かといって人より稼いで、みたいにガツガツするつもりもないのですが。)AIに使われるのではなく、奪われるのではなく、嫉妬するのではなく、上手く活用できる自分であり続けたい、そんなふうに考えています。

 


AIでは代替できないであろうLed Zeppelin