地元民が語る芸備線がマイナーな理由 | わしゃねこブロ 〜 子ネコでもネコ。爺さんネコでも猫。いろんなネッコがいたっていいしゃないか。仕事以外のことを書いてます

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本当にネコのような人ですね。
一匹で気ままにフラフラと…できなくなっていた。
ちび娘がついてきたのは過去の話。

あれから、ちび娘も大きくなり、おひとり様が増えている。
カネはないけど、暇でアル。
まだ、老けるニャ早い。

西日本のなかでも、非電化路線で力を入れていた芸備線南部

重くて遅いキハ47の機関更新車を集中配置して、

軌道強化しローカル線高速化の第一弾となった


急行『みよし』と快速『みよしライナー』の差は

ズバリ、停車駅が多いか少ないか


本来、中心となる急行列車がダイヤ改正の度にいじられた


可部線三段峡みたいにメジャーな観光地に乏しく、広島方向への普段使いの通勤用の路線だ


沿線に高校まではあるが、大学はない

この点が可部線と異なる


通勤時間だけ混んで、データイムはサッパリなのだ

当然、データイムの区間列車は短い

キハ20 加古川色1両なんて時期もあったくらい


朝夕の客車列車は2往復、JR化後も残った

一時期、時代に逆光するかのように客車列車が増えた時期があった

そのため、極初期グループの中にオハ50 273やオハフ50 401なんてナンバーが広島配置になった(今でも出るって、どんだけインパクトあったんだ)


ある日の夕方、客レに変化が!

七尾線とかにいたはずの帯のない12系が現れた

7両編成たすDE10が最長で、広島の隣、矢賀や戸坂では最後尾のドアカットが行われた

機関車がJR貨物持ちだったためか、数年しかもたず、姫路からロングシートを拡大したキハ47 2000がやってきて、客車列車終焉となる

12系が芸備線から去ると広島運転所から営業用の客車の配置がゼロになる

と同時に朝の区間列車の拡充

気動車による最長8両編成が現れた

客車列車のスジはそのまま修正がなされず、客車時代より1両ずつ減車した

5両編成をつくるためにキハ47 3両編成が誕生

3両編成はひと組みしか組成されず、同じメンバーがループ運用していた

この頃からキハ40の数が少なくなり、

1両編成の列車がだんだん見られなくなる

お客さんが増えたのではなく、他所へキハ40を持って行きたかっただけと推測する

当時のキハ47は3グループに分かれていた

三次まで行くワンマン運転対応になったグループ

ラッシュ対応のセミロング仕様で広島に転入してきたグループ

広島生え抜きで、何も室内を改造してないグループ

8両編成はこの3つのグループ全てが入った編成でした

現在の最長は6両かな

また、ワンマン運転は2両編成までらしい

どこぞの電車は6両でも、ワンマン運転しているというのに


芸備線上三田〜志和口と思われる急行『みよし』


ロケーションの良い区間で短い列車が多く、変化に乏しい

川に沿って走り過ぎて、鉄橋(2両くらいの長さばかり)やトンネルが少ない

とネガティブなことしか浮かばない