Sonia's Travels -3ページ目

マリー・アントワネットの影

ヴェルサイユ宮殿の庭園の奥にひっそりと佇む大小2つの離宮、Grand Trianon(グラン・トリアノン)とPetit

Trianon(プチ・トリアノン)。巨大できらびやかなヴェルサイユ宮殿とは規模も雰囲気も全く異なる。例えるなら、あちらが真っ赤なバラでこちらの2つは白百合──。

そもそも使用目的が最初から違っていた。ヴェルサイユが大勢の貴族や外国からの賓客を謁見するなど公の場所だったのに対し、トリアノンは国王が公務を離れてのんびりとすごす場所だった。

グラン・トリアノンは、ルイ14世が家族や愛人マントノン夫人とすごすために建てさせた。一方プチ・トリアノンは、ルイ15世が愛人ポンパドゥール夫人とすごすために建てさせた。どちらの離宮も、国王の寵妃のために造られたというのがポイントだろうか。



プチ・トリアノン
プチ・トリアノン


その後、プチ・トリアノンはルイ16世から王妃マリー・アントワネットに贈られた。彼女はここを大変気に入り、庭園部分にいろいろ手を加えていく。劇場を建てて自ら演じたり、イギリス風の庭園や田舎風庭園を造ったり……。

この田舎風庭園には、酪農小屋・水車小屋・鶏小屋も含まれていて、本格的な村の様相を呈していたようだ。この中で村人気分を味わっていたのだろうか。なんとも贅沢な村である。


「ベルサイユのばら」を読んで育った世代の私にとって、プチ・トリアノンは憧れの場所である。ここでマリー・アントワネットが何を夢見て、あるいは苦悩したのか、等身大のひとりの女性としての彼女を少しでも感じたい──。そう思いながらいつも庭を散策するのである。

そして、今回の旅で初めて宮殿の中に入ることができた。パンフレットによると、特定の日を除き1年中庭園には入場できるが、宮殿内の見学は4月~10月だけのようだ。



プチ・トリアノン
プチ・トリアノンの階段部分


左手の壁の向こうの部屋に、マリー・アントワネットの最も有名な肖像画がかかっているのだが、残念ながら撮影禁止だった。そこで、パンフレットの写真を拝借させていただくことにした。



マリー・アントワネット肖像画
ヴィジェ・ルブラン夫人作「バラを持つマリー・アントワネット」


この絵がヴェルサイユ宮殿ではなく、プチ・トリアノンに置かれていることに意味があるのだろう。お気に入りの場所でお気に入りの画家に描かせた1枚の肖像画。この時のマリー・アントワネットは、後に襲い掛かる悲劇など知る由もなかったに違いない。



プチ・トリアノンの庭園
愛の神殿


マリー・アントワネットとスウェーデンの貴族フェルゼン伯爵との恋物語が知られている。まるでそんな二人にちなんで名づけられたかのようなロマンチックな東屋が静かに建っていた。こうして見ていると、今にもあの肖像画のマリー・アントワネットが現れそうではないか?

ヴェルサイユの庭

ヴェルサイユというとあの華麗で広壮な宮殿が注目されるが、実は庭園こそが真髄を表しているように思えてならない。

庭園の広さがどれくらいかというと、なんと800ヘクタール! ただの荒地だった所に広大な森や運河を造り上げ、さらにその中に美しい彫刻や噴水を効果的に配した夢の庭園。ルイ14世の強力な意志と情熱が感じられる。しかも、王自らその設計に加わったとか。



ヴェルサイユ宮殿の庭園


パリに到着してからずっとお天気に恵まれなかった私たち。ところが、ヴェルサイユを訪れた日は素晴らしい晴天だった。お決まりの宮殿見学を終えてから、初夏の日差しが降り注ぐ気持ちのいい庭園へと繰り出した。



ヴェルサイユ宮殿の庭園


無料で入れる庭園は、課外授業で訪れたフランスの子どもたちで賑わっていた。運河のほとりで楽しそうにピクニックしている。ここにはボートもあって、運河を吹き渡ってきた風の中を歓声をあげて水遊びしている姿が印象的だった。



ヴェルサイユ宮殿のカフェ
La Flottille(ラ・フロッティーレ)


庭園内にはお腹を空かせた観光客のためにカフェまである。ホテルを朝早く出発してきたので、私たちもここで一息つくことにした。オニオングラタン・スープを頼んだ。トロ~としたチーズの下に熱々の玉ねぎがいっぱい入っていて、とても美味しかった。以前訪れた時にはカフェの存在に気がつかなかったので、比較的新しくできた施設なのかもしれない。


広大な庭園には様々な表情がある。



ヴェルサイユ宮殿の庭園


自然な樹形を生かした木々もあれば、



ヴェルサイユ宮殿の庭園


ユニークな形のトピアリーもあって、長い時間散策していても少しも退屈しない。このような植え込みの向こうにも、まるで秘密の庭園のようなひっそりとした空間があって、美しい噴水や彫刻で飾られている。その中を昔の王侯貴族がそぞろ歩きしたり、あるいは恋を囁いたりしていた様子が目に浮かんでくるようだ。

ヴェルサイユで買い求めたガイドブックによれば、敷地内の樹木の総数は20万本。そして、毎年植えられる花の数は20万本以上とのこと。維持管理にどれだけの人手と費用がかかっているのだろう。

私たちが訪れた日は、残念ながら噴水は上がっていなかったが、4月~10月の土日には”大噴水祭”が行われるそうだ。いつかぜひ見たいものだ。

ヴェルサイユ宮殿は工事中

17世紀に太陽王ルイ14世によって建てられたヴェルサイユ宮殿は、パリからおよそ20kmの所にある。

初めて訪れたのは学生時代のツアーで。観光バスでのパリとの往復は確かに楽だったが、宮殿の建物内を駆け足で見て回るだけのおざなりな内容だった。美しい庭園を横目に急き立てられるようにバスに乗せられた悔しさから、以来ヴェルサイユには自力で行くようにしている。

パリ市内でRER(高速郊外鉄道)に乗って30分もすれば、ヴェルサイユ宮殿に最も近い駅Versailles Rive

Gauche(ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ)に着く。そこから10分も歩けば壮大な宮殿の正面ゲートが見えてくる。


実は、ヴェルサイユ宮殿は170年ぶりの大改修の真っ最中。

ある程度覚悟していたとはいえ、まさか宮殿の正面がここまで大々的に「工事」の様相を呈しているとは思わなかった。表側はほぼ全面に足場が組まれ、白い垂れ幕に被われている。正面広場の中央で辺りを睥睨するように見下ろしていたルイ14世の黄金の騎馬像もない。

夫や私は以前に来たことがあるのでまだいいが、可哀想なのは息子のJerryだ。旅行前に「ベルサイユのばら」まで読んできたというのに、これでは興ざめではないか。でも、せっかくここまで来たのだから、とりあえず宮殿内に入ることにした。


ほっとしたことに、内部は「鏡の間」以外は工事されていなかった。さらに、過去3回訪れた時には立ち入れなかった部屋にも一般券で入場できたのだ! これは嬉しい驚きだった。具体的にいうと、王室礼拝堂・王室オペラ劇場・王の寝室の3ヶ所である。



ヴェルサイユ宮殿(王の寝室)
王の寝室


ここはルイ14世の寝室だった。息を引き取った所でもある。また、フランス革命勃発時、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが押し寄せた国民の前に姿を現したのは、この部屋のバルコニーだった。いろいろな歴史を見てきた部屋である。



ヴェルサイユ宮殿


庭園側から見た宮殿の外壁である。このように一部は工事用の足場が組まれていたが、お化粧直しを終えた外壁が見違えるようにきれいになっている。窓枠の鮮やかな黄色が目を引く。



ヴェルサイユ宮殿


さらに今回気がついたのは、窓枠の上部に人の顔の像が飾られていることだ。面白いことに、窓ごとに顔が違う。こんな厳しい顔もあれば麗しい女性の顔もあり、一つとして同じものがない。ヴェルサイユ宮殿が細部にまでこだわって造られていることがよくわかる。



ヴェルサイユ宮殿の消防車


宮殿脇の目立たない場所に消防車が停まっていた。大規模な工事が行われているのだから、もしもの時にすぐ対応できるようにしているのだろう。

車好きなJerryが惚れ惚れした顔で、「カッコいいー!」を連発していた。どうやら宮殿の豪華な装飾品よりも気に入ったようだ……。

こらっ、君はいったいヴェルサイユまで何しに来たの!?

美しい町ジヴェルニー

印象派の画家モネの家があることで有名なジヴェルニーの町。モネの家や庭園が美しいのはもちろんだが、町そのものが一見の価値がある風光明媚な所だ。



ジヴェルニーの民家
ジヴェルニーの民家


このように手入れが行き届いた可愛らしい家が数多くある。ピクニックがてら一軒一軒見て回るのもとても楽しいだろう。



ジヴェルニーの生垣
民家の生垣


生垣も素敵な色のグラデーションに仕立てられて♪

住民の努力によってこの景観が維持されているに違いない。本当に素晴らしいことだと思う。


モネの家の前に、こんな愛らしいお店があった。



ジヴェルニーのお店
軽食スタンド


ジヴェルニーのお店


ジヴェルニーのお店
フランス雑貨のお店


景観を損ねることなく周りと調和した店構えだ。古民家を改造したこのお店には、乙女心(?)をくすぐるような、実用的でしかもエレガントな小物がいろいろ置かれていた。


もっとゆっくりとジヴェルニーですごしたかったが、ツアーで連れてきてもらったためにわずかな時間しか滞在できなかった。いつかまたぜひ訪れたい、素敵な町だった。

モネの家

睡蓮の絵で有名な印象派の画家Claude Monet(クロード・モネ)。彼が43歳から86歳で亡くなるまで暮らした家が、パリから70km離れたジヴェルニーの町に今も残っている。モネが丹精こめて造り上げた美しいと評判の庭園を見るために、マイバス社の「印象派モネの家ジヴェルニー午前半日観光」に参加した。

冷たい小雨が降るあいにくの天気だったが、モネの世界を十分堪能することができた。



モネの家
モネの家


なんて可愛らしい色彩だろう! ピンクの外壁にグリーンの鎧戸の組み合わせが、不思議に違和感なく周りの景色に溶け込んでいる。

家の中の写真撮影が禁じられていたので、ここに載せられないのが残念だ。キッチンはイエロー、ダイニングはブルーで統一されていて、壁には日本の浮世絵が所狭しと飾られていた。モネがいかに日本に傾倒していたかがよくわかる。

モネが日本から取り寄せたのは、美術品ばかりではなかった。浮世絵に描かれた景色を再現するべく、植物の苗や種を手に入れて自ら日本風の庭園を造ったのだ。



モネの庭園
水の庭


特別な許可を得てセーヌ河の支流から水を引き込んで池を造ったそうだ。ここからあの数多くの睡蓮の絵が生まれたのだ。



モネの庭園


右端に見えているのが太鼓橋だ。枝垂れ柳と合わせて日本を表現したかったのだろう。でも、モネの感性が加わって独特の庭に仕上がっている。



モネの庭園


池のほとりに咲いていたカラーの花が鮮やかだった。


この水の庭園はモネの家とは道路を挟んだ反対側にある。

家側にはもうひとつ庭があって、そちらは西洋風に造られている。



モネの庭園


モネの庭園


大輪のバラもあれば可憐な花々もある。このような美しい庭を維持するために、なんと12人もの庭師が働いているそうだ。以前、ガイドさんが庭師をつかまえて、

「この庭にはどれくらいたくさんの種類の花が咲いているのか」

と質問したところ、彼らにもわからなかったとか。



モネの庭園


生きている間は絵が売れずに貧窮した画家が多い中で、モネは幸せな暮らしを送ったのだろう。数多くの支援者に囲まれて、愛する庭で絵を描き続けたモネ。だからこそ、彼の絵を見ると穏やかな気持ちになれる──。

少しだけモネに近づけた、そんな素敵な旅だった。



バス My Bus (マイバス社)

18, rue des Pyramides 75001

(メトロのPyramides駅から徒歩2分)


日本での予約先 (マイバス代理店)

http://www.wti.ne.jp/mytabi/

ピエール・エルメの魔法のケーキ

今回のパリ旅行にはガイドブックを数冊持っていった。どの本も観光する上で役に立ったが、「食」に関して大活躍したのがこちら。



 「もっと!お菓子好きのためのパリ1週間の過ごし方Part2」小林かなえ著


 スイーツ中心に書かれているが、美味しいレストランなども紹介されている。




とにかくパリ旅行中、片時もこの本を手放さなかったほどだ。著者おすすめのスイーツはどれもこれも本当に素晴らしく、「これぞパリ」という味だった。

その中でも私が一押しなのは、本の表紙に写っているPierre Herme(ピエール・エルメ)だ。サンジェルマン・デ・プレにある店の前には10mもの列ができていた。並んでいるのはほとんどが地元フランス人のようだった。店構えは実にシンプル。しかも間口が狭く、行列がなかったら気がつかずに通り過ぎてしまうかもしれない。

ところが、一歩中に入ったらそこは夢の世界だった。ジュエリー・ショップを思わせるようなショーケースに、色とりどりの美しいケーキがいっぱい並んでいるのだ。どれもこれも本当に美味しそう♪

でも、私が選んだのは表紙と同じケーキ、Ispahan(イスパハン)。ちなみに、夫はミルフィーユ、Jerryはレモンタルトを選択。

店員の態度も申し分なく、まるで宝石を買ったがごとく丁寧に応対してくれた。


さ~て、タクシーに乗ってホテルに戻り、いざ試食タイム!



ピエール・エルメのケーキ


なんと贅沢にも、1つの箱に1つケーキが入っている。箱を開けると中から出てきたのは──、



ピエール・エルメのケーキ


ご丁寧にも透明のケースにケーキが入っているではないか。そして──、



ピエール・エルメのケーキ


こちらがイスパハン。ハート型のマカロンでフランボワーズがサンドされている。ほのかなローズ風味のクリームと、正体不明の爽やかなフルーツ味とが渾然一体となって、口の中に広がる(本で確認したら、ライチだった)。

私が今まで食べた中で、最も美味しいケーキだ。「この世のものとは思えない」という表現が少しもおかしくないといえば、わかってもらえるだろうか。

パリに出かける人にはぜひこのケーキを食べてもらいたい。絶対おすすめ!



ケーキ Pierre Herme

72, rue Bonaparte 75006

(メトロのSt. Sulpice駅から徒歩2分)

シテ島の光と影 後編

シテ島で必ず訪れるもうひとつの場所──、それは、コンシェルジュリー。フランス革命の際、王妃マリー・アントワネットが断頭台に向かう前の数ヶ月間をすごした牢獄だ。彼女以外にも2600名もの人々がここに囚われ、処刑台へと送られたそうだ。



コンシェルジュリー


特徴的な3つのとんがり屋根の塔があるので、遠くからでもすぐ見分けることがことができる。右側から、ボンベックの塔、銀の塔、シーザーの塔と呼ばれている。

華麗な装飾の建物が多いパリの中でコンシェルジュリーがひと際異彩を放っているように感じるのは、やはりここがフランス革命で果たした役割のせいだろうか。なんだか黒いベールをまとっているように見えるのだ。


内部は、フランス革命当時の様子が再現されている。



コンシェルジュリー

貧乏囚人の牢



コンシェルジュリー
著名人の牢


いくつかの部屋には、このように蝋人形が置かれている。でも、実際はこれよりも悲惨な状態だったのだろう。トイレもベッドもない狭い牢に大勢押し込まれていたようだ。

マリー・アントワネットの独房も再現されている。彼女を見張る兵隊とは小さな衝立で仕切られただけの、プライバシーなど全くない部屋。そんな所で最後の時を静かに待ち続けた王妃を想像すると、どうしてもカメラを向けられなかった。

特にマリー・アントワネットに対しての思いが強いのは、ご多分にもれず、子どもの頃に読んだ「ベルサイユのばら」の影響が大きいせいだろう。多感な年頃に知ったフランス革命の意義とその恐ろしさ。それも私がパリに惹きつけられるひとつの要素だと思う。


前編で書いたサント・シャペルと、このコンシェルジュリー。どちらもかつては王宮の建物だった。もともとあった王宮を14世紀にフィリップ4世が大改造を行った時、この建物が多くの罪なき囚人のうめきに満たされることになろうとは、露ほども思わなかったのではないだろうか。

サント・シャペルと、コンシェルジュリー。光と影、正と負──。

同じ敷地内にありながら二つの建物の果たしてきた役割に、こんなにも大きな隔たりがある。だからこそ、パリに来る度にどちらも見なければならない、そんな思いに駆り立てられるのだ。

シテ島の光と影 前編

パリ旅行の度に、必ず足を運ぶ場所がある。

それは、シテ島。パリを流れるセーヌ河のほぼ中心に位置する中州だ。パリ発祥の地といわれ、歴史的建造物が点在している。壮麗なノートルダム寺院ももちろん素晴らしいが、私が惹きつけられるのは別の建物だ。

ひとつは、サント・シャペル。パリ最古のステンドグラスをもつ教会として知られている。初めて訪れたのは今から15年以上前のこと。私にとっては二度目のパリ旅行の時だった。ノートルダム寺院のついでに近いからちょっと見てみよう──、そんな軽い気持ちで行ったことを覚えている。

外観はどうといったこともない灰色のくすんだ小さな教会。それとは対照的な内部の美しさ。以来、すっかり魅せられてしまった。今でこそ、この教会は裁判所の敷地内に位置しているが、もともとシテ島には王宮があってサント・シャペルはその一部だったのである。

内部は1階と2階がそれぞれ礼拝堂になっている。1階は王家使用人用、2階は王家用として使われていた。1階の礼拝堂から入る。印象は、”暗い”。そのひと言だ。

「これがパリ最古のステンドグラス? たいしたことないわね」

などとぶつぶつ文句を言いながら、分厚い壁にうがたれた狭い螺旋階段を上っていくと──、

溢れんばかりの光の世界が私たちを迎えてくれるのだ。


ところが! 今回はいつもと勝手が違っていた。

まず、入場するのに1時間以上並ばなければならなかった。こんなことは初めてだ。6月とは思えないような気温の低さ。雲間から時折差し込む陽光は弱々しく、並んでいる間にすっかり体が冷え切ってしまった。それでも、息子のJerryになんとしてでも美しいステンドグラスを見せてあげたい一心でなんとか耐え抜いた。

やっとの思いでサント・シャペルに入場。

「2階が素晴らしいのよ! あのステンドグラスを見たら感動間違いなし」

大いにJerryの気持ちを盛り上げて、いざ2階へ。そこに待っていたのは──。



サント・シャペル


これは、いったいどうしたことだろう!? 工事中だということはわかる。わかるが、事前にひと言も説明がなかったじゃない。

あの魔術のような、あの荘厳な、あの天国を思わせる光が……、


ない!


茫然自失とはこの時の私たちの状態をさすのであろう。崩れるようにして壁際のベンチに腰を下ろした。でも、いつまでもがっかりしていてはJerryに可哀想なので、なんとか気を取り直して、工事用シートに覆われていないステンドグラスを鑑賞することにした。



サント・シャペル


本来であれば、三方を取り囲む大きなステンドグラスから眩い光が礼拝堂いっぱいに注がれるのだ。何色とも判然しない多彩な色がいっせいに降り注ぐ中、心が夢幻の世界をさまよう至福のひと時──。

残念ながらこの旅行では諦めざるをえなかった。

ルーヴルの彫刻芸術 後編

古代ギリシャの彫刻の次は、古代オリエントに目を向けてみたい。



ハムラビ法典
ハムラビ法典


「目には目を、歯には歯を」の条文でお馴染みである。1901年、イランのスサで発見された。紀元前18世紀前半、バビロン第1王朝時代のものだそうだ。上部に描かれているのは、ハムラビ王が太陽神シャマシュから法典を授けられている場面である。その下に法典の条文がびっしりと刻まれている。

息子のJerryがこの石碑の写真を盛んに撮っていた。どうやら例の条文を気に入ったようなのだ。

暴力的な臭いのするこの条文、本当は何を表しているのだろうか? 「やられたら、やりかえせ」という意味だとばかり思っていたら、どうやら違うようなのだ。

Wikipediaによると、

倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ

ことを定めているそうである。

全く意味が違うではないか! いつから間違った内容として広まってしまったのだろう。もちろん、Jerryには本来の意味を教えておいた。


彫刻というと、圧倒されるような大きな作品が多いが、中にはこんな癒し系も。



古代エジプトの像


古代エジプトの彫刻である。穏やかな微笑みを浮かべている。



古代エジプトの像


こちらも古代エジプトの彫刻だ。ヒヒが4体並んで両手を挙げている。ユーモラスな雰囲気の作品だ。「降参です」と万歳しているのだろうか? それとも「これより進入禁止」と通せんぼうしているのだろうか? あるいは、古代エジプトでは動物の形をした神様が崇められていたので、もしかしたらこのヒヒたちもそうかもしれない。


ルーヴル美術館を訪れる度に思うのは、ひとつひとつの作品を時間をかけてゆっくり鑑賞したい! ということだ。今回の旅では2回ルーヴルを訪れたが、それでも時間が足りなくて、最後は作品の前をほとんど駆け足で通り過ぎてしまった。

子どもが成長して親の手を離れた頃にひとり旅を決行し、心ゆくまで芸術の世界に浸りたい──。

それが私の夢である。

ルーヴルの彫刻芸術 前編

ルーヴルは世界最大の美術館のひとつで、所蔵作品の数は30万点にものぼるそうである。巨大な建物は大まかにいえばコの字型になっていて、3つの辺(翼館)にはそれぞれ「シュリー」「リシュリュー」「ドノン」と名前がつけられている。

なんといってもこの美術館の最大の目玉は、イタリアの天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」だろう。ドノン翼の2階に展示してある。この部分には他にもイタリア・スペイン・イギリスなどの有名な絵画が多数あるので、ルーヴルで最も混雑する場所だ。

だからなのか、残念なことにドノン翼の2階ではいっさいの写真撮影が禁止されている。思い出の一枚をと思ったが、ダメなものはダメ。でも、館内の他の部分はフラッシュを使わなければ撮影OKなので、気になった作品を何枚か撮ってきた。その中でも今回は彫刻について書いてみたい。


実は、私がルーヴルの収蔵品の中で一番好きなのがこちら。



サモトラケのニケ
サモトラケのニケ


1863年にエーゲ海のサモトラケ島で発見された。紀元前190年頃の作品で、ヘレニズム彫刻の傑作といわれている。とても大きな彫刻だ。翼を広げて立つその姿の神々しさ。首がないことで、かえって神秘性を増しているような感じである。私たちには見えない遠い未来を見つめているのであろうか?

ドノン翼とシュリー翼との境にある大階段の踊り場に展示してあるのだが、まるで「サモトラケのニケ」のためにこの空間が造られたのでは? と思うほど、劇的な眺めだ。フランスが世界に誇る偉大な芸術のひとつに違いない。


そして、こちらの彫刻は誰もが知っているであろう。学校の美術の教科書に必ずといっていいほど載っている。



ミロのヴィーナス
ミロのヴィーナス


1820年にエーゲ海のメロス島で発見された。紀元前100年頃の作品で、美の女神アフロディテの彫像だそうだ。この作品もヘレニズム美術の傑作といわれている。

「ミロのヴィーナス」の本来の展示場所が改装中のため、一時的に他の部屋に移されていた。そのせいなのだろうか。かつて感じた迫力というかオーラというか、何かがいまひとつ欠けているように思えた。芸術というのは、ただ作品だけが輝いているのではなくて、それが置かれる空間も一役買っているということに気づかされる。


ところで、ヴィーナスの写真を撮ろうとしてデジタルカメラのファインダーをのぞいたら、ビックリ!

肉眼では見えず写真にも写っていないが、何本もの赤外線(?)レーザーの細い線が、この彫像を取り囲むようにして四方の壁から出ていたのだ。盗難や破壊の防止のために違いない。

以前観たショーン・コネリーとキャサリン・セタ・ジョーンズ主演の映画「エントラップメント」の中のワンシーンを思い出してしまった。


美貌の保険調査員を演じるキャサリンが、赤外線によって厳重に守られた至宝を盗み出す──。


でも、「ミロのヴィーナス」のように大きくて重い物は、盗み出すのも容易ではないだろう。