出会いと別れ
年末に、熊本の--huluでも紹介されていたのを昨日、登録して知った--寿司屋で、初めて新政酒造の意志の強いお酒を知って、
あ~、佳かったけど、ま、次に飲めるのは100年後かなと
思っていたら、
住む町のなじみの海鮮居酒屋が、休暇の間にこれら新政の一献を仕入れているのを、家飲みしている途上で店のfacebookで知って、
予定外だったが確保してもらって、リーデルをもって、22時過ぎに、極寒の中を店にTAXIで駆け付けた。
なんと、この日の昼にはfacebookに情報出ていたのに、抜栓は僕が来たこの時。
まず、亜麻猫のスパークリングの方。
あ~、満足じゃ。完全に自然体。かんきつが素敵という評言もあるようですが、もうあまり難しいことは言いたくない。おいしいね。
店の突き出しも旨い。
いい言葉。
シマアジと真蛸。値段で、長崎の蛸が明石を超えてしまったらしく築地に流れる率が上がっていると別の店で聞いた。
そこでこの店でも尋ねてみると、良いものが有れば買い占めるというのは基本らしい。お金かけても買わないとよいものは消えていくらしい。
スパークリング2杯飲んでやっとスティル。
大将にも、私から、の形で、両方飲んでもらう(小さな店なので入荷本数は一本づつで、店側でテイスティングする余裕はない)。
ただ優しい。深い味わい。粘性の高いワインの涙。
今の時期の白子の焼き。旨いばかり。
お皿もいい。
言葉もいい。
赤貝。スライスで出してくれるとまた寿司での食べ方と全く違う味わい。
なんだかほろよい(家飲みで既にコンビニワイン500ml飲んでから来てます)になっているとなんだか真蛸の旨いのがキターーーー!!!
ええ色しろるよね~。この、真っ赤じゃなくて少しくすんでるのが良いのだ。
咀嚼するほどに旨い。咀嚼するほどに旨みが。。。
「あの、よかったら、スパークリングの方は、ボトルでどうでしょうか、(泡だから)明日はもう出せないので」勿論、うれしい提案。。。。
よいで出会い。翌日も私の家にいてくれるこの一本。
でも、それもまた、情熱が無ければ、すっと出会うことなく去って行ったであろう機会。
★
僕は美食家ではないから、未だにフランスのお店に行った事はない。でもポール・ボキューズさんは大事な里程標。
フランス、アンテンドゥーでの、告別式の画像。
「アデュー・ムッシュー・ポール」
コックコートが正装。
私はこの本の冒頭を思い出す。
20世紀後半のフランス哲学最高峰の、レヴィナスの追悼の際の、デリダの、追悼の言葉の、その最後。
最後の、感動的な数行。
「彼が応答することはもうありませんが、その非応答は、私たちのなかで、私たちの心の奥底で、彼が応答することでもあります。そうした瞬間=契機に、私はアデューと言いたのです。」*
わたしたちは、わが心の中で、絶えることなく彼の遺産を応答し続けます。デリダ風に言うならば、レスポンシビリティ=応答可能性(Response+Ability)を、私たちは、責任=レスポンシビリティとして、担っているからです。
アデュー、ムッシュー・ポール・ボキューズ。
*:「エマニュエル・レヴュナスへ~アデュー」
ジャック・デリダ、岩波、2004、Page-20~21
















