「フェニックスのように」
(最初の話題の後は重めなので、ご注意くださいませm(_ _)m)
今朝届いた泡。大雨の中も宅配業務ありがとうございます。
クロ・デ・ゴワセ2005は、セラーのこやしに。
セレブリス2002は、今月開店15周年記念のお店にお祝いで持っていきます。
泡はお祝いに一番わかりやすいですな~。
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34歳の若い母親の逝去のニュース速報を見たのは、昨日休んで行った人間ドックで、おおむね検査も終了したころ、昼前だった。
今日もどこかで発生している別れを体験しながらも、人はそれでも明日も、ご飯を食べ、息を吸い吐き、生きていく。
17歳で同性の親、つまり母親を失ったホープ・エーデルマン(右の一冊)も僕のと同じように、そうした喪失について書かれた書物を探し回って、そしてそういう書物が無いと気づいて自分で書くことにしたのだそうだ。
書くことは乗り越えであり、それを読むことは癒しになる。
初めて本屋でそういった書物の最初の一冊「死別からの恢復」を、父の死の5年後の高二の時に丸善で見た時の驚きと喜びは忘れることはない。
遺された2人の小さな心も、いつか、ここに「フェニックスのように」と書かれているように(ここまで、400ページ掛かっている)、
まだ幼いゆえにおそらくはかすかな記憶になってしまうであろうママの記憶と、長じて人づてに聞くであろうママの思い出を大切にしながら、未来を歩んで行けますように。(*1)
こんな風に。(*2)
*1:「Motherledd Daughters/母を失うという事」ホープ・エーデルマン、Page-404~405、NHK出版、1995
*2:「Life after Loss/喪失の悲しみを超えて」フランシス・マクナブ、Page-27、川島書店、1994





