仕事日記
こうして、成層圏の向こう側に行ったっきりになれるのならいいのに。
でも、いつも、地上に戻らなければならない。
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5日間の闘いのあとの休日の朝風呂は、夏だからこそちゃんと湯を浴びて、空調の聞いた部屋で寛げば、とても体が休まります。
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月曜日の、本社との電話会議で、ここ半月の厳しい技術交渉にやっと決着がついた。向こうの報告に、私は感謝の言葉を述べた。
ここですでに気持ちはくたくただったけど、先週の金曜日に部署のほかのところに任せていた件でトラブルが発生していたのに気づいていたので、直ちにこちらに全力を移動させ、修復に動く。
3つ重なった会議を関係者に割り振ってデータの分析と結論の導出に全力を挙げる。
木曜日に一旦先の懸案も解決する。
金曜日に出張先で情報のやり取りについて懸案が発覚し、会議の進行と平行して、mailと電話で対応策を練る。
なんとか、こなした。こなしたさ。
夜、移動して宴会に駆けつける。私は疲れていたけれど、いつも僕は皆に笑いを供給する役割で、面白おかしいことばかりたいてい喋らされるのだが、
だがこの日は本当に、心が疲れていた。
盛り上げは出来たからまあそれはいいとして、宴は、しかし、行くべきじゃ、無かった。
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帰宅して、何かがぽきっと音がした。
ブログ、当面やめたほうがいいかなって、また、思った。ぱっかりと開いたクレバスに落ちて這い上がれないような、砕け散って散乱したガラスのような感覚が、心を襲い、ダークな文章しかもう書けそうにもなく、そんなもの人さまにお見せできるものではないからだ。
だが、ぐっすりねる力は私にはある。
起きてお風呂に入ると、こころが落ち着いている。
そして、こうして書いている。自分に、自己制御している証拠を示すためであるかのように。
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このように、私は弱く、いつブレークダウンするかわからないので、僕は、読者登録依頼も、アメーバ登録依頼も、出来ない。
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「苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道も無い。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、(・・・) 心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。(・・・)」 (*1)
よく考えたら、親鸞の「歎異抄」の考え方って、これによく似てるね。
*1:「般若心経・金剛般若経」(岩波文庫, 中村元・紀野一義訳注, 1960, 2004(64刷), Page-13)