君と出逢って 知った世界。。。

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偏見

アイが私に何か物を要求する事は無い。

 たった一つだけ、アイが私に言ったことがあった「オミセ シゴトデス。 ヤキモチ シナイ クダサイネ」

店が忙しくなってアイに指名が入って、私のボックスを離れても私は、1人で只管飲んでいるのです静かに。

そんな時、誰とはなしに女の子がついてくれるんです。アイの友達で指名のない子が私の周りに集まってくるんです。

 アイの彼氏だという既成事実が、彼女たちに親近感と安心感を与えるのですね。私1人に二人も三人もなんてこともある。

この頃、アイは私にタイ語を教え始めていたので、片言でタイ語を話す私を面白がってるふしもあったのだ。

彼女たちが感じる安心感、それは日本人の嫌な部分での裏返しだったんです。  
 それは偏見です、日本人のホステスやキャバクラ嬢にはしないこと、できない事を平気で彼女たちにはするんです。

 いきなり胸を鷲づかみにする、襟元から手を入れる。スカートのなかをまさぐる。そんな客が居るんです、見てるこっちが嫌悪感すら覚える。

 これも全て、日本人の東南アジア諸国に対する驕りからくるもの、同時に彼女たちを「ジャパ行きさん」などと揶揄する日本人男の偏見がさせることなのでしょう。

  当然、全ての日本人の客がそうであるわけじゃない、そうでない人達とも多くの出逢いがあった。

 私はアイが指名で私の席に居ない間、彼女達との会話で多くをする事になるんです。
彼女達一人一人の身の上話と共にです。そこには、平和で豊かな日本に住む私には想像もつかない事実があったんです。

 この頃まだアイは、私に多くを語りませんでした。そして、アイの友人たちもアイのことを私話す事はなかったんです。

 そして、やがて私は知るのです。この店がこんな女性達を、一夜の相手として客に斡旋する店だったという事を。

アイちゃんの旦那?

アイが私のボックスを離れ、ほかの客の席についた時だった。

「へェ~、おたくがアイちゃんの旦那かァ~」なんの前触れもなく、ボソボソっと右隣から聴こえてきた。
 「NO,1のアイの旦那なんて、羨ましい限りだね!」

「彼氏じゃなくて、旦那?なにそれ?」と思いながらも、声の主に眼をやった。

 そこにはサラリーマン風でもなく、その筋風でもないが遊び慣れた風の中年のオジサンが、人懐っこそうな笑顔で機嫌よく呑んでいた。

 私の視線にグラスを差し出し、乾杯を求められる。居酒屋で隣り合わせた客同士のような連帯を感じたのです。

 その時初めて、アイがこの店のNO,1だと知ったんです。そのことには疑問も持たず納得する。
しかし、「アイってNO,1なんだ?でもなんで、そのアイが俺なんかに?」って思う訳ですよ、それって当然ですよね。

 既にNO,1って事は、その気になればパトロン・スポンサーはいつでもセレクト出来るって事ですよ。

 彼女達、東南アジアから出稼ぎに来てる女性の目的なんて、一つしかないわけですよ。

 その為に、自らの身体さえも投げ打つ事さえあるって事だから。まだこの時私は認識して居なかったのだが。
 そうでなくても、やっぱり「なんで?どうして?俺なの?」改めて思うのだった。

 外国人でなくてもホステスやキャバクラ嬢たちとの攻防は、いわゆる「擬似恋愛」だって割り切らなくちゃいけないとわきまえている。
 それを勘違いしたら、人生を踏み外す事になる。

そんな前例たるや枚挙に暇が無いことを、雑誌やテレビなどの記事や番組などで私だって知っていた。

そして何より社内にも居たのです!その社員は韓国の女性に熱を上げ、当社に転職する時、手に入れた「退職金」をつぎ込んだんです。それは千万単位だったと聞いていたのです。

  私は舞い上がっては居なかった。 だから 「仕組まれてる?」と思うです。当然ですよね?

チャージ

ちょっとだけ このままで 居させて


 この腕に 君を抱いて 居させてよ


  今は ただ 君の温もりだけを 感じさせてよ


       それだけ でいいんだ

                  それだけで 

最初のタイ語

かくして私はメグとアイ、その狭間を彷徨い始めるのです。

 アイには、メグの存在を話し認識させている、しかしさすがにメグにはアイの存在を話す事などできなかった。

 これも私の弱さなのか、狡賢さなのか。私を信じ一生懸命私に尽くす、そんなメグを見てるととてもではない言えなかったのです。

 そして、どこか私にはあったのですよ。
「アイは、いずれTHAILANDにかえるんだ、だから、今だけだ!」って。
「一時的なことだから、だから許せよ」ってね。

 でもそれは、自分自身に言い聞かせ、自分自身を正当化するための台詞だってわかってるんだ。

 とは言え、結婚もしてる子供だってまだ小学生、女房子供を捨ててメグだってアイしろ私にどっちかをセレクトして、新しい生活を始めるほどの度胸と根性は無かった。なにより、こんな男でも子供に対する責任を考えていたのです。

 それが結果として、子供にとっていいのか、悪いのかはまた別の話なのだが。。

ともあれ、メグとアイの二人からポケベルで呼ばれる日々がはじまったのです。

 ある日、アイに呼ばれて私は店に行った。
するとアイは私に「ポム ラック クン コン ディアオ」って言えと言うのです。

 聞きなれない、その言葉に「なにそれ?」当然私は聞いてみた。

「タイ コトバ デス」アイがい言う。

「意味はなに?」

「イウ シナイ」

「意味わからないは 言うも意味ないでしょ?」アイにつられて、私の日本語もおかしくなりはじめる。

「ハイ ワカリマシタ I LOVE YOU デスヨ」

 アイは言うのです、自分の国の言葉で貴方に「お前だけを愛してるよ」と言って欲しいのだと。

 妙に哀愁を感じた、そして同時に無性に可愛さを感じた。

自分の国の言葉で「愛してる」って私に言って欲しいだなんて。

「ポム ラック クン コン ディアオ」
「私は 愛してる 君を  君 だけを」直訳である。

アイが私に初めて教えたタイ語。

同時に私が覚えた最初のタイ語だった。。。。。

ポケベル。。

ウェーク・デイはメグに用事が無い限り、メグのアパートに寄ってから自宅に帰ってようになっていた。小岩駅南口、京成の深夜バス、ラストは12:15だった。

 どんなに遅くても、この深夜バスで帰路に着くようにしていた。
この頃はまだ外泊ができる理由は成立しなかったからだ。  

 やがては私は、社長と常務の社内分裂騒動に巻き込まれ、常務率いる工事部隊が退職して別会社を設立した事によって、常務派に協力した事もあって社内で孤立しはじめたのです。

 そんな時だった、一本の電話が私にこの会社からの退職を決断させたのです。

 この会社を退職された部長から、新設される会社に誘われたのです。将来的には株式公開をも視野に入れて設立されるという会社だった。

 私はこの年の9月末日をもってこの会社を退職した、メグを残して。

その一年後、私は転職先の会社にメグを引っ張るのです。急激な業務拡大にともない、マンパワーがたりなくなったからだった。

しかしメグは、この会社の社長・会長が前職の会社から、連れてきたお気に入りの秘書さんと、ぶつかったのだ。
女同士というのは難しいもんです。こじれると修復などできなもんですよね。

 そこで私は、前職の常務が始められた会社にメグの話をした。実は常務が会社設立されて以来、経理関係を個人的にお手伝いしていたのだ。常務の会社もバブル景気にのって順調に業績を伸ばしていたのだ。

 短期間とはいえ常務とも、そして共に新会社に参加した人達とも、メグは一緒に仕事をしており知らない仲じゃない。そんな気安さもあって、メグはそちらの会社に請われて転職するのです。

 この時です、メグが私に「ポケベル」を持たせたのは。

このポケベルがメグと私の、これから始まる紆余曲折を呼ぶ事になるんでよ。

なにが切っ掛けで、思いもよらぬアイテムが人生大きく変えちゃうんだって、今改めて考えさせられます。。

メグの手作り弁当

メグは東急沿線の短大を卒業、専攻は「家政科」だった。
経理事務担当としての入社条件が「日商・簿記3級」の取得が最低条件として提示されていた。

 入社後は、私のセクションで実務をこなしながら、簿記の知識を習得していった。
この年の6月、日本商工会議所主催:簿記能力検定試験3級を受験し、あっさり合格した。
周囲は、合格などは期待してなくていずれ合格してくれればと私も思ってた。

 そんなメグは昼食に自分で作った弁当を持って来ていた。
メグの部屋でインスタント・コーヒーを飲んだ数日後の朝だった。

 私が自分のロッカーを開けると、一番上の棚にハンカチに包まれた四角い箱らしきものが置いてあった。それが弁当箱であったことは言うまでもない。

 私が、デスクにつくとメグがお茶を運んでくる、「お弁当、ロッカーに入れておきましたからね!」ニコッと笑いかけてきた。

「おー、サンキュー」とっさの返事だった。やっぱメグだよなと納得しつつも不安がよぎった。

ひょっとして同じ弁当を私とメグが?そりゃマズイだろう、バレバレじゃん!

 昼の食事は、社員が集まって食事できる部屋があって、そこで昼食をとるのが通例となっていた。
 設計機材や、現場の機器が保管されている部屋なのだが、厨房があることもあって、一角には応接セットも置かれ昼食時には社員に開放されていた。社員のロッカーもこの部屋に設置されていた。

 つまり、外食にでる社員以外は、みんなその部屋に集まって歓談しながら昼食をとるのです。
ロッカーもこの部屋にあるわけで、弁当を隠して持ち出すのにも無理があって、ひとり自分のデスクで弁当を食べるのもかえって不自然だった。

 午前中の3時間、弁当の事が頭から離れない。後のも先にも弁当の事でこんなに悩んだ事はない。

 いよいよ、お昼。ぞろぞろと社員がその部屋に集結してゆく。

 オフィスとその部屋を繋ぐのは一本の廊下だけ、早めに行って弁当を持って引き返して来る訳にもゆかず、遅めに行けば、かえって皆の視線が集中する。

 覚悟するしかない皆と一緒にぞろぞろと、後はドサクサに紛れてなんとかするっきゃないと思ったんだ。

出前やコンビニ弁当、自前の弁当e.t.c. それぞれの食事がはじまった。

周囲は私が弁当を持っていることを囃し立てた。
「あれ、小山内さん珍しっすね!弁当持参っすか?」
「あれま、愛妻弁当ですか。ハート・マークなんかあったりしちゃって!」

やばいよ!やばいよ!注目集めちゃってるよ。私の笑顔は引きつっていただろう。
それもその筈、入社以来手弁当なんて事は一度も無かったのだ、珍しいなんてもんじゃない、初めてだったのだ。

その時メグはと視線を移せば、彼女はそんな私を見ながら、セセラ笑っているように見えた!
もしやこの弁当は嫌がらせ?い~やそんな事ない!葛藤する。

私は自分の弁当箱を開けず、メグが弁当箱を開けるの待った。
彼女の弁当の中身を確認し、皆の熱い視線を感じつつ、恐る恐る蓋を開けて覗き込んだ。

おおお、お見事でした!
メグの弁当の中身とは、まったくの別物がキレイに詰まっていた。
息を呑んだ。同時に緊張がほぐれた瞬間だった。

 よくよく見れば、私の弁当とメグの弁当の中身、素材は同じだったんです。
そんな事ほかの皆は気にしない、とうぜんである。メグはと言えば弁当をほうばり、ほくそえんでいた。
しかし、反面さすが「家政科」と納得してた。

 皆の興味は蓋を開けるまで、その後はいつのもお昼休みに戻っていた。

食事が終わり、洗い物をしてるメグに「ご馳走さん!まったく冷や冷やもんだぜ!」と弁当箱をその場でそっと返した。

「面白しかった!」舌をペロっと出したメグのおつむを、コツンと小突いた。

 この年の9月、この会社を私が退職するまで、メグはそんな弁当を、私のために作り続けたのです。

その日から9年

「コーヒーいれます。インスタントですけど、いかがですか?」
メグが私の腕のなかでつぶやいた。

 この日三回目の「えっ!」
「あっ、うん!ありがとう、ご馳走になるよ」

メグに手を引かれ、建物脇の鉄骨階段を二階へと招き入れられた。
この日から私のメグとの9年が始まったんです。

 メグにチョッカイを出す、メグと同期の新入社員もさることながら、数人のオジサン社員すらメグに触手を伸ばしていたことをメグ本人から聞かされる。

 それはそれで男として変に納得もするのだが、それはそれで同じ会社社員として、メグの彼氏としては納得いかない。

 メグはこの日を堺に一ヶ月と時間を置かず、近所に居る同郷の彼氏と別れっちゃったのですよ。

 一度こんな事がありましたね。
私がメグのアパートに居たとき、彼氏が予告無しにアパートに来ちゃったんです。

 彼にしてみりゃ、いちいち連絡しなけりゃ行っちゃいけないなんて思って無くて当然で、私だって、いちいち「今から行くよ!」なんて言わなきゃいけないのなら、その時点で疑いを持つ。

 「テッチャンごめん!いま大学の時のヒロコちゃんが来てるのよ、あとで電話するから」なんて言って彼氏を追い返してた。

 彼氏の名前が「テッチャン」だってこの時知った、そして私は「ヒロコってよくとっさに名前がでたね?」って聞いた。

「あっ、ヒロコ?私のお母さんよ!ヒロコって言うのよ」だって!唖然とした。

 反面、ヒロコに反応しなかった彼氏は?なんて思ったね。そして同時にこの彼氏って男、もうメグに対するボルテージが下降気味だって感じた。

 結局、それがそのままメグと彼氏との別れに繋がったんです。
ただその後、テッチャンはいろんな女性と付き合ったらしいが、何度となく復縁を迫ってきた。

 その都度、その電話の脇で私がグラスの酒を空けていたんです。メグに迷いはなく、テッチャンの言葉に動ずる事はなかった。

 テッチャンは大学を卒業と同時に地元に帰り、地場の地方銀行に就職したとメグから聞かされた。

 この日からメグは、こんな私に尽くしてくれるのです。アイと出逢って変貌して行く私に、なんの猜疑心も持たずに。。。


 私はメグとアイとの三人で、これから始まる紆余曲折、修羅場を越えて今でも、メグを見守っている。。。

 そして今、彼女は娘を得て母親として自分を生きてるんです。当然、その子の父親は私ではありません!

でも、私の娘のように思っているのです。変ですか?。

紳士なんかじゃない!

この年メグの他に、男子社員二人も同時に採用していた。
彼らは、飲んでる最中もメグを二次会に誘っていた。メグの一人暮らしは社内でも周知の事で、彼らも気楽に誘っていたようだった。

 そんな若い彼らを、微笑ましくも羨ましくも思いながらグラスを傾けていた。

およそに2時間、宴会時間もリミット、飲み会もお開きになった。こんな時、経理担当がお決まりの「幹事さん」というのが暗黙の決まり事。

支払いをメグに任せ、私はその場で待機。お勘定を済ませたメグから釣銭と領収証を受け取って外に出た。

外は雨が降っていった。
その所為か会社の皆は、もうその場に居なかったのです。

「須藤さんは、次の二次会行くんじゃなの?雨だから気をつけて行くんだよ。私はこれでね!」と駅に向かって一人で歩き出した。

「いいえ、私も帰ります!」と後ろから傘を差してメグが私に寄り添ったんです。

「えっ?行く約束してたんじゃないの?彼らと」
「いいえ、いいんです。雨も降って来ちゃいましたし、遅くなるの嫌ですから」とメグは私に微笑み返すのですよ。

軽薄な私は、自制心が揺らぐのを感じたんです。
メグは、女優の「ブルック・シールズ」をチョッピリ和製にしたような派手な顔立ちで、幼い頃からクラシック・バレーを習い、高校では器械体操をしていた。

 整ったルックスに、まだまだ均整の保たれているスタイル。
そんなメグが、9歳も年上のオジサンを相手にする筈ないと思いつつも「あれれ?」なんて考えちゃうのも男のなんでしょうね。

 なぜか私もメグも同じ駅を利用していたんです。会社はJR秋葉原、私とメグはJR小岩駅だった。
ただ、私は小岩駅南口からバスで、メグは北口から徒歩で京成線方面へ。

この日、私とメグがたった一つ小岩駅の改札を出て、そのまま北と南にすんなり別れていれば、その後に始まるものは何も無かったのだろう。

だが改札を出た私は、一言口を開いてしまった。「家の近くまで送っていこうか?」と。
その時は、まだ「下心」もなんの「思惑」もなく、ある意味、社交辞令的だったと記憶している。。

なぜなら、メグの近所には彼氏のアパートがあり、どうせ彼が迎えに来ると高をくくってたから。。

するとメグは「ハイ!ありがとうございます。」
この日二度目の「えっ?」なななんで?断んないの?

北口の階段を下って蔵前通りを渡りおよそ十数分、メグが持っていた傘はいつしか私が手にしてた。

「私、加賀美さんに憧れてたんです。」ポツっと小さな声でメグが言葉を吐いた。
「私は、紳士なんかじゃない!」反射的だった。私の両手はメグを抱きしめていた。
傘は、雨の駐車場に舞った。

そこは、メグのアパート前の駐車だったんです。

メグ。。。

25歳で結婚、26で父親になった。
けして「できちゃった結婚」ではない。

高校時代の同級生で21歳で結婚した奴がいる。
 彼いわく「この世の中、いい女は幾らだっている!しかしだ、その女がオレに惚れるてくれる可能性は極めて低い」
「だから、いい女どうこう夢見るより、今オレと結婚してもいいってを女大事にするんだ!」

 女性にもてたなんて経験もなく、女性にたいする自信など微塵もなかった私には、その言葉が心の奥に染み付いた。

 そしてその言葉は、友人に紹介された女性との交際の中で、増殖していき私をも早い結婚に駆り立て、「マイホーム・パパ」なんてもんを夢見せた。

 その後、劇的に自分を取り巻く環境が変化することなど、有り得る筈も無い平穏な日々だった。

 30歳で転職、現在の西新宿での仕事が始まった。その直前の会社で事務員をしていたのが彼女、須藤めぐみ「メグ」と呼んでいた。

私が29歳、メグが短大を卒業したての新入社員で20歳の時だった。

何度目かの社内の飲み会が予定されている日だった、メグと先輩女子事務員との会話が聞こえてくる。

「大丈夫よ須藤さん!加賀美さんだったら、紳士だから送りオオカミになんてならないわよ!」
「えェ、そうなんですか?それじゃ帰りは送ってもらった方が安心ですかね。」

男としては、複雑だ!信頼されているのは良いのだが、女子社員にとっては『安全牌』ってこと、男としてその存在を認められていないと言う事になるわけですよね。

メグは短大卒業を機に1人暮らしを始めていた。ただ、同郷の彼氏がいて、彼のアパートの近くに両親公認でアパートを借り、社会人生活をスタートさせていたのだ。

 そして5時終業、宴会が始まる。

雲行きの怪しい天気が気になりつつも、傘は待たずに宴会場に着いてた。

 そこから一つのドラマ始まるのですよ。 

アイと出逢う6年も前の話、メグとアイは奇しくも同い年だった。

不法就労。。。。

彼女達は、基本的にオーバーステイである。いわゆる不法就労だ!

 いい客を見つけて結婚する。そうでなければ、金ズルになる「パパさん」を捕まえる。それが最大の目的で母国に残してきた子供や家族に送金してる女性がほとんどだった。

 日本で働き母国に送金するために「偽装結婚」をする。婚姻関係を法的に手続きし、同居はしない。女性が毎月、男に一定の金額を支払う事で、在留資格を維持してる。そんなホステスだって少なくない。

そして、この偽装結婚を斡旋する者が居る事も事実である。
この後、私自信がある店の台湾人ママに、独身の結婚できる男を紹介して欲しいと依頼された事もあった。

日本円で200~300万円の借金覚悟で母国を出国、「偽造パスポート」で日本に入国する。パスポートは空港で取り上げられ、日本各地のスナックやパブ、クラブに売られてゆくと言ってもいいのでしょう。

 その店で働き、背負った借金を返すのです。返済し終わって初めて自由を手に入れる。

 この頃の私は、そんな事すら知らずに、彼女達の輪の中に入って行った。
彼女達ホステスの華やかな夜の姿からは想像できない現状がそこにはあった。

多くの外国人ホステスは、日本人の「パパさん」を見つけること、あわよくば結婚までもと考えている。
それは、彼女たちの「貧乏脱出大作戦」にほかならないのです。

そんな事が当り前なのに、アイは私にそれを求めようとしない!
求められても当然、金など有る訳もないのだが。

それなのに、自分の友人達に、私を彼氏だと紹介し始める。

彼女達はその辺ハッキリしている。どの男が誰の旦那・彼氏なのか明確にする。
それは、1人の男にホステス同士がバッティングしない為でもあった。
旦那・彼氏の事は、店の客には絶対に言わない、それがルール。

 そんな「アイちゃん」実は歌舞伎町では、言い寄る男が後を絶たない知る人ぞ知るタイ人クラブのNo,1ホステスだと、この後知る事になるんです。