話を先に進める前に、当時の私の話を
もう少しだけさせてもらうことにしよう。

当時私は自分のことを、
特別な人間だと思っていた。
 
他の大多数の人たちとは違うと。
 
他人より優れていると
信じていたし、
 
実際特別に扱われるような状況に
自分を置いていた。 
 
運がよかった、とも言えよう。

この特別扱いというのは、
例えば、経営する会社の机の上には、
レコード会社やアーティスト本人から
送られてきたCDが重ねられ、
 
周りにいた著者や漫画家たちから送られて来た
著作が積み重なっていた。
 
もちろんみな無料である。
 
私は、評論家でもなかったし、
マスコミ関係者でもなかったのに、だ。
 
 
また、人気アーティストのライブなどに招待されれば、
終演後にはユーミン、坂本龍一、
チェッカーズ、などにも楽屋に通された。
 
葬式などでお花を出せば、
なぜか中央に飾られた。 
 
クラブやディスコに行けば、
ポーターが車を運び、
外はどんな大行列でも席が空けられては、
最短時間でシャンパンが開けられた。
 
毎晩のように素敵なレストランやバーで遊び、
ビンテージのワインやシャンパンをいただく。 
 
関係者のみが入れるセール、
ファッションショウやパーティ、
新しい店やフォトグラファーなどの展覧会の
レセプションに招かれる。
 
毎日がハレだった。
 
 
 
 
さて結婚するはずだった某カリスマと私は、
20代の前半にも数年つき合っていたが、
私の自己肯定感の低さにより別れることになった。
 
痛い失恋だった。
 
傷心の私は、一人ニューヨークに引っ越しては
一年暮らしたぐらいだ。
 
(ニューヨークでの暮らしも刺激的でした。
この頃の話はまた、ね。)
 
それからお互いいくつかの恋愛や同棲をして、
私たちはまた付き合いはじめた。
 
以前一緒にいた頃は、
私は彼の家の居候のようなものだった。
 
家賃も生活費もいれず、彼の部屋で暮らした。
 
彼の仕事や打ち合わせの現場についていき、
彼中心に行動した。 
 
それがとても楽しかったのだ!!
 
それが高じては
付き合い始めたばかりの頃に
やっていた
 
条件も良く、面白くもあった
(半年のロンドン勤務、パリ、ローマでの撮影、
フランスのサーカスを招いてのファッションショーなど)
 
ロンドンのデザイナーのプレス(広報)の仕事を
もっと遊びたいからとやめてしまい、
 
たまに銀座の母の店の手伝いをしては
お小遣いをもらうくらいで
私は何者でも、誰でもなかった。
 
 
その頃の私は
当時二十代前半ながらもすでに、
とある世界では著名人となっていた 
彼の彼女としてしか、
まわりに認識されていなかったことと思う。 
 
 
「〜くんの彼女」
 
 
それが私のアイデンティティだった。
 
 
 
しかし今回は違っていた。
 
 
自分で会社を起こし、
音楽業界でも一目置かれるような
私は何者かになっていたのだ。
 
30代になっていた。
 
やっと対等に付き合えるようになった二人は
それぞれ数十万づつ出し合っては
一緒に暮らす部屋を探していた。
 
結婚も考えていたが、
今回はまだ彼が私の家に通うような
形のつき合いだったのだ。
 
 
そんな矢先出会ったのが、
七歳年下のこれまた
カリスマファッションバイヤーのBだった。
 
20代前半で裏原宿に、
のちに伝説となるような店をだし、
大ヒットさせ、
 
渋谷の一等地に女性ものの店を
出したばかりだった。
 
 
出会うとすぐに彼は臆面もなく私を食事に誘った。
 
「面白い子だな」
 
イケメンとは言いがたい、
小太りともいえなくはない容姿のBだったが、
その度胸が気に入り食事に行ってみることにしたのだ。
 
このときはほんの軽い気持ちで受けた食事が、
まさかこの出会いが、
私の人生を根本から変えることになるとは
これっぽっちも思ってもみずにいた。
 
 
(続く)
 
 
なかなかレクチャーにはたどりつきませんが、
しばしご辛抱を。
 
まだまだ続きます。
 
 

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