3月10日(日)舞華パーティーです。

多数のご来場、お待ちしております。

 

初対面で踊る女性は、
身体が固いことが多いです。
理由は警戒しているから。
どんなリードをされるか
解りませんから
身体を固めておくんです。

そんな時は、男性が
ふわっとコンタクトして
やさしく包む感じでいきます。
女性が安心すれば

身体が柔らかくなって
リードしやすくなります。

リードは身体全体を使います。
女性には弱い力を与えながら
自分自身で動き始めます。
ほんの少しの間を置いて
女性が反応して動き始めたら
本格的に動きます。

巷のパーティーでは、
この「間」を取れない男性が
非常に多いです。
「間」を取らないと
女性は、いきなり動かされる
感じがして、びっくりするんです。

予備歩から
ナチュラルスピンターン
滑らかなスイング
そしてスムーズな回転
女性は、
「あらっ、いけそう」って
思うでしょうね。

ウイスクから
シャッセフロムPP
このあたりではもう女性は、
「この男性はできる!」
と確信するでしょう。

ターニングロック
「わ~、素敵~ζ^.^ζ」

そんな感じで踊ってくれる
男性はモテるでしょうね。

踊っていてトラブルが発生したら
たとえ女性が間違ったとしても
「リードが下手でごめんなさい」
と一言、言えば女性は、
(なんて器の大きい人)
と思って、好感を持つでしょう。

エスコートの精神を忘れずに
頑張りたいものです。


★其井湯♨アラカルト
四字熟語
「画蛇添足」(がだてんそく)
しなくてもよいことをする
「蛇を画いて足を添う」と読む。
ふつう2字で「蛇足(だそく)」
という語の基づくもの。
蛇の絵に足を描(か)き添える、
転じて余計(よけい)なことをする、
しなくてもよいことをする。
『戦国策(せんごくさく)』
(戦国時代の諸国の物語)に見える話。
楚(そ)の国のお祭りで、係りの者に
酒が振舞(ふるま)われた。その一人が
「数人で飲むには足りないが、
一人で飲むには十分だ。
地面に蛇の絵を描いて早くできた者が
一人で飲もう」と提案する。
最初に描けた者が、酒を取り、余裕で
足まで描いた。すると2番目に描けた者が
「蛇には足はないぞ」と言い、
酒を奪って飲んだと。
足を描いたために蛇ではなくなった。
余計なことをしなければよかった。
「蛇足を加えて」しくじった話。 


★其井湯♨瓦版

<ケンさんのブログから>
教室の終焉を迎えて
2018-12-27 08:44:21
今年のクリスマスをもって、
我が教室は営業を停止しました。
開教以来、31年間に渡って
多くの人々に支えられて来ましたが、
遂にこの日を迎える事と成りました。
バブル崩壊後、多くの教室が閉鎖し、
近年にも、頑張っていた仲間が
次々とリタイアしていましたが、遂に、
私達も教室を終える事に成りました。

自分達の理想の教室を創るべく
頑張って来ましたが、現実は実に厳しく、
営業と言うだけでなく、人を育てる難しさ
社交ダンスを多くの人に伝える事の
厳しさに直面し、いかに人と関わる事の
難しさと大切さを知らされました。

しかしながら、その事が、
社交ダンスの持つ最も大切な事を
多く学ぶ事と成り、生徒に教えられ
生徒から育てられる、人として
大切な部分を多く学ぶ事に成りました。

若い頃は、社交ダンスの外見的な部分のみで
優劣を決めたり、人と比較する事で、
自分の踊の良し悪しに一喜一憂したりと
今思えば、本当に社交ダンスを
理解していなかったのが
とても恥ずかしい思いです。

とは言うものの、様々な事を理解するにつれ、
身体は次第に思い通りに動かなくなり、
生き物としての限界を感じる日々と成りました。
若い頃一日でできた事が三日かかり
更に一週間かかりと、心も身体も
老化を感じる様に成りました。

競技会を引退して、若い人達との
体力の差をまざまざと感じた頃、もう、
社交ダンスはこれ以上上達しないのでは
と思った時、何かが突然降りてきたように、
これまで、沢山の人達や多くの
コーチャー達が言っていた事が蘇って来ました。

それまで思ってもみなかった事が、
しっかりとコーチャーから習って来たと
思っていた事が如何に上っ面の事で有ったか
次々に、光が差し込む様に見えて来ました。
何故、現役の頃にこの考えに至らなかったのか、
何故、目に見える物しか心が動かなかったのか、
ようやく理解出来た時は、人生も後半に
入る頃でした。

しかし、自分の心と身体、そして
パートナーの心と身体が手に取る様に
解る様に成ると、社交ダンスが楽しくて
楽しくてたまりません。
人の身体は思う様に動けて、心は、
思うが儘に広がって行く、こんな快感は、
若い頃には感じられないものでした。
私を生かしてくれている全ての物に感謝し、
人の思いが素直に心に響きました。

と同時に、海外のコーチャーがレッスン以外で
言っていた様々な日本人に関する感想が、
如何に踊りに対して大切な意味を含んでいたのか、
何故、日本のコーチャーと海外のコーチャーの
言う事が違っているのか、様々な
長年にわたる疑問が一気に解決しました。

社交ダンスを習い始めた時、
これさえ知っていれば何でも踊れると言う
テクニックが有れば、と思っていたのが
現実に有ると確信した時、初めて、
ステップや運動表現から解放されました。
しかしながら、時代は、大きく変わり、
沢山の方にこの術を伝えることが出できず、
更には、教室が今月で営業を終えるに至って、
これからいかに多くの人に伝えて行くか悩みます。
ブログを通じて伝えるにはなかなか難しく、
何とか実際にやり取りをしながら教えたいものです。