司会を務めた友人の結婚式2回。
謝礼金 各5万円。
司会を務めた友人、それぞれ数年後に離婚。
プライスレス!
30歳を過ぎた頃から友人の
結婚ラッシュが始まり、
35歳位から離婚したという言葉を
よく聞きくようになりました。
どうもソコウです。
ああ、不景気な世の中。
ああ、なんとも世知辛いですなぁ。
ちなみに私、1973年生まれの37歳であります。
1973年といえば「オイルショック」の年でありまして、これは社会科の教科書に載っているほど有名な事柄。で、ある日、パトラから(パトラとは ?←クリック)
「この年に生まれた人間は不景気に強いんだ」と
根拠の無い励ましのお言葉を頂戴しましたが、
私、不景気には強くありませんのであしからず。
ある日、実家に電話をしたとき、試しにパトラに「実は結婚することになった」と言ってみた。
するとパトラ、一瞬の沈黙があったのち、感嘆も哀愁も嫉妬も一切の感情を排除した寝起きのような声で、「まあ」と小さく呟いたのだった。「冗談だけど」と言うと、たった一言、「そうかね」とサラリと言葉をかわされる。前言の試みはあっけなく無きものとされた。
なんとも素晴らしい母親である。しっかりと子離れしている母親である。
だけど、そこはやはり母親なので、実家に帰ると、さりげなく「変わったことはないの」と暗に私から結婚のさわりが出てこないのかどうか探りを入れてくる。私は、「特にないね」と答える。パトラは、「相変わらずですか」と返す。それだけで、私の近況報告は終了する。
元来、リベラルな思考を持つパトラは、私が長男であるにも関わらす、父が死んでも会社を継げとは一切言わず、結婚するなら養子にいっても構わないと言いだし、リベラルをさらに拡大するような発言を連呼するようになりました。
で、ある日の夜、パトラから電話がありまして、
こちらは余程の事情に違いないと一瞬心構えをするのだが(前触れのない実家からの電話は往々にして嫌な知らせが多い)、
が、第一声が、
「今、ホストのテレビ見てた?」
「…見てないけど、ホストがどうしたの」
「年収一億円ですって」
「…ほほう、すごいね。で?」
「あなたもホストやれば」
まさかの
ホストへの転職アドバイス!!
「…」
「なんでも稼げる仕事をしている人は偉いものよ」
「まあそうだが…」
「あんたは話が面白いし、ホストに向いてるんじゃないの」
「…酒が飲めないから駄目だよ」
「あら、残念ねえ」
「………」
私、生き方に強張っていた全身が急激に弛緩し、
人生というものがなんだか格段に楽になったのである。
これが母親の力なのだ。
ちなみにパトラは今年に入って、
ある商業施設のキャッチコピーの公募で
最優秀賞をゲットし賞金を貰っている。
パトラには
もはや脱帽であります!