今日はうちのスタジオの方針が改正されて、定まったお話をします。



「舞踏会の夢」は私が東京で働いていた頃、くみ先生が天塩にかけて育ててきた生徒たちを私が仙台に戻ってから指導をし始めて、今回彼女たちの為に作品を創りました。



この音楽「パピヨン」ですが、実は私が6歳の時の発表会で助教の先生方が踊っていた曲を覚えていて、沢山の子供時代(や大人になってプロで踊っていた頃)を思い出しながら振付していました。


この作品に出ている子供たちは、コンクールなどにはほとんど参加していません。バレエ的に言えば「舞台経験の少ない子たち」でしたが、このスクールパフォーマンスでは「コンクールの参加数と舞台経験値、本番における舞台度胸などは必ずしもイコールではない」事に氣付かされました。


今まで私が思っていた「指導法」をことごとく覆してくれたのは、この7人の子供たちでした。



いくら指導者が正しいメソッドや解剖学の正論を押し付けたところで、結局それを受け入れるのは子供なんです。子供が成長しないのは、指導者が悪いとか思っていましたが、それが全てではありません。

現に指導者が間違った指導法でも、解剖学を知らなくても、勝手に上手になる子は実際いるんです。


これは私が「自己受容理論」を学んで、やっと理解出来るようになりました。


何を採用するか、しないか?


何の指導法が正しい、正しくないのか?


のジャッジメントではなく


「何が生徒や指導者にとって心地よいか?」だけで良くて、指導する側が躍起にならなくても「指導者はキッカケを与えるだけで、あとは子供次第」と言うのも、今回学びました。


うちのスタジオの方針が定まった作品です!


「もっと早くにジャッジメントを手放せば良かった」


「もっと早く東京の仕事を辞めて、仙台に戻れば良かった」


とは思っていません。むしろ(今、振り返ると氣が狂ったみたいに)自分の指導法を改善しようと、ありとあらゆる事に手を出して、失敗したり、苦い経験をして、様々遠回りをしたからこそ、今の幸せがあると思っています。



全ての事には無駄がない…本当に日々感じます。


左右木健一