私が受けた「自己受容コーチング」と市村よしなりさんの発信している内容はほとんど同じです。


私の最近の内側の声が反映されたのが、この写真です。



この幸せに辿り着くまで、そうとう遠回りしてしまいましたが、それも必要だったのかも知れません。


色々な意味で長年


「これは修行なんだから」


と自分を追い込み、自分を粗末に扱っていたために、もちろん良い事も沢山ありましたが


「なぜこんな理不尽な思いを何度もしなくてはならないのか?」


と言う出来事がいくつかありました。そのパターンはだいたい同じでした。


その原因は自分ではなかなか見つけられないんですよね。なぜなら


「それは修行だから」

「真面目に頑張れば認めてもらえるんだ」


とある意味自分を洗脳して、内側の声を封印しているからです。


しかし、実際は適当に仕事をしている人のほうが世間では認められたりする…なぜか?


そのヒントはコーチの松山文彦さんのインスタをご覧ください。



「適当で不真面目なほうが良い」というよりも


「自己犠牲のうえでの真面目さでは、外側の現実は変わらない」


と言う意味だと思います。


自分の内側の違和感を騙していると、内側が


「お願いだから氣付いてくれ!」


と外側の現実でとんでもなく不愉快な事が起きていきます。そうすると大抵の「自己犠牲標準装備の人」は


「これは自分が悪いんだ。自分の修行が足りないんだ」


と自分を責めて、頑張るのですが、それは悪循環でいつまで経っても不愉快な事しか起きない。


それをストップさせる方法は、ただ一つ。


自分の内側の声に耳を傾けていくんです。


「本当はそれ、やりたいのか?」

「その人間関係、無理してないのか?」

「自分さえ我慢すれば、それでいいと思い込んでないのか?」


ゆっくり、ゆっくり内観すると、聴こえてきます。


「本当は、もうやりたくない!」

「その人間関係、精算したい!」

「我慢したくない!」


その声を受け入れると…


こうなります。現実が変わり、本当の意味で平和が訪れます。



コーチングで聴こえてきた自分の内側の声は


「ただ純粋にバレエに携わりたい。誰かの評価を常に意識しているのではなく、自分がバレエに向き合うことだけが自分の本当の願い」


と言う声でした。その声を受け入れた瞬間から今まで築き上げてきた事(自分では望んではいないが、世間からしたら良かれと思う事)が見事に崩れもしました。


しかし「本当に残したいもの」は残りました。



昔は社会的に「良かれ」と思っていたこと(しかし内心では「それ、何かおかしいんじゃない?」と思っていたこと)が徐々に崩れてきていますよね。いままでのピラミッド社会が少しずつ崩壊してきているのは、もうそろそろ認めなくてはいけない時期に来ています。


ですから「何かおかしい」と言う内側の声に氣付かないとこの先、生きていくのは相当辛くなるみたいです。


「土の時代」に根性、修行、我慢、苦労をベースに築き上げてきた事を手放すのは勇氣が要ります。


しかし、手放したとしても「本当に大事なもの」は残るんだな?と実感しています。


自分自身に対して十分に満たされた状態の上で、初めて人にも貢献出来る。逆では誰も幸せになれません。



「自分を甘やかす」と思わなくて良くて


「自分が満たされていないのに、他人の要求を満たす必要は一切ない」


と自分に許可すれば、自然と他人の要求も満たされていく。


これが私が昨年から学んで得た事です。


左右木健一