到着した日には「横浜」である事は理解出来ていましたが、一体ここはどこなのか理解出来ず…


一夜明けたら?


目の前はパラダイスでした!



私の部屋からの景色をお友達に見せたら「これは当たりだ!」と言われました。本当にそう思います!



目の前に広がる赤れんが倉庫。



黎水那がキリアンワークショップを受けた場所。



しかも横浜は私の生まれ故郷…


目の前に広がる景色を眺めながら、改めて感謝の気持ちが湧きました。



マイアミでの「先が全く見えない生活」ではなく、とりあえず「6日間」と決められている隔離場所での生活。


「もしかしたら、最悪1か月、2か月、帰国出来ないかも」


と言う不安から解放された事は本当に救いでした。


先が見えない、と言うことは食事面でも同じで


「いつまでマイアミにいて、食料を蓄えておかなくてはいけないのか…」


と言うのも不安を助長させる原因ではありました。


しかしこの6日間の隔離生活は朝昼晩とお弁当が支給されて、自分で買い物に行く必要もなく…


全部美味しく頂いてます!鏡の前のデスクで食べるので、まるで楽屋弁当の感じです。



My SOS のビデオ通話も特に何の問題もなく(無言で30秒画面を眺めてプチっと向こうから途切れる)




お弁当はドアノブにかけてあり、だいたいドアの音がしてると「あ、かかった」とわかるのですが、それを勝手に取るわけにはいかず、このアナウンスで取ります。



1日のアナウンスの具合は、たぶん毎日不定期だと思いますが、昨日は


6:50 検査(3日目と退所日)のアナウンス

8:00 朝食のアナウンス 

12:00 昼食のアナウンス

17:30 夕食のアナウンス


でした。検温などの報告が8:00なので、必然的に早起きになっています。


白いビニール袋は食べ終わったお弁当たち。たぶんお弁当が悪くならないように(だと勝手に推測していますが)廊下は物凄く寒いです。



そして防音設備がしっかりしているのか、それとも単身者(家族連れはゼロだったと思います)が多いのか、全く音が聞こえません。マイアミではホテルの廊下で子供たちが運動会さながらに夜中も騒ぎながら走っていたのと、工事中の音に常に悩まされていたが故に、あまりの静かさが「ご褒美」でした。


ここでの生活が土曜日まで続き、自宅には戻らず別のホテルで隔離して来週月曜日に隔離がおわるため予定していたコンクール審査が出来ないことが非常に申し訳なく思っております。


経験してみないとわからない事、現地に出向かないとわからない事…


特に今回は日本で報道されるようなアメリカの具合は、現地では全然違う事もわかりました。


未だに無症状ですし、後遺症と良く言われている症状なども全くなく、マイアミの頃からずっと平熱なので


「なぜ元気なのに、こんな思いをしなくてはいけないのか?」と思うことも正直ありました。


しかし、たぶん私の経験は誰かのお役に立つのではないか?と思うようになってから、気持ちは変わりました。


「今まで忙しかったのですから、左右木先生はのんびりしてください」


と、沢山の方々からメッセージを頂きました。


のんびりするのと同時に、色々な軌道修正をしていこうと思います。


励まして下さいました方々、本当にありがとうございました!


左右木健一