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私が日本を離れたのは(こんな性格もあったと思いますが 笑)キッカケが2つありました。

1981年 パリ・オペラ座バレエ学校公演。

シルヴィ・ギエムをはじめ、それはそれは衝撃的な公演。その日見た帰りに

「もう一度見たい!」

と親に言って、チケットを購入して上野に行きました。12歳の時でした。

そこで見たものは、私が日本で習っていたことと真逆でした。

まず…笑って踊っている!

え?当たり前、と思いますか?いえいえ、私が子供の頃は笑うなんてとんでもなかったんです。

「笑わないで!ヘラヘラしないで!」

歯を見せるなんて論外。口をへの字にして頑張ることが美徳。ありえないですね(笑)

その後、アメリカンバレエシアターが来日。

ジョージ・バランシン作品を見て、更なる衝撃を受け(そのバランシン作品がプロとしての最初の作品でしたが)

とにかく動きがダイナミック。上半身をひねる、うねる、傾ける、足さばきのスピードのはやさ。衝撃的でした。

え?当たり前?いえ、当時の日本は上半身をたくさん使うと

「癖だらけ!もっと上半身真っ直ぐ!」

と言われたものです。

そして「え?なぜ?なぜ?」

と思っていた矢先に見つけたのが、ユニバーサルバレエ団 日本人ダンサー募集 の案内。16歳でした。

韓国でしたし、設立したばかりのバレエ団に入ることに、日本の先生たちは冷ややかでした。

「韓国にバレエなんてあるの?」

みたいな感じで言われました。

しかし、その当時、藁をもすがる気持ちで日本を離れたかった私は、逃げるように日本を離れました。

その韓国にいた人たちが

カナダ国立バレエ学校のセルジゥ・ステファンスキー(いま、ローザンヌ国際バレエコンクールの男子指導はパトリック・アルマンでしたが、当時はセルジゥが指導者でした)

アメリカンバレエシアターのミストレス、ジョージーナ・パーキンソン 

アメリカンバレエシアターの現ディレクター、ケビン・マッケンジー

ロイヤルウィニペグバレエのイヴリン・ハート

皆さんよくご存知のバリシニコフ版ドン・キホーテでエスパーダを踊っていたパトリック・ビッセルや、グレゴリー・オズボーンなどなど…

彼らのクラスを受け、リハーサルをする毎日が、私を変えました。

私を雇ってくれたエイドリアン。
とても怖いディレクターでした!ギラッとした目で見られた日にはビビりました(笑)しかし、今の私がいるのは彼女のおかげです。


バレエという世界ほど

「誰から何を学んだか」

が大事なのです。

自分の努力も大事ですが、環境を変えたり、人とのご縁に導かれる「タイミング」みたいなもので運命がわかれると思います。

現在、指導する立場なのですが、やはり子供たち(大人の方も)との出会いのタイミングは、指導者としても非常に重要だったりします。

同じ方向性を向いていないと、教師と生徒との信頼関係は生まれない。

ですから「出会いのタイミング」は大事。

今日は秋葉直美先生のご依頼で千葉で指導致します。

直美先生、よろしくお願いします!

左右木健一

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