コンクール終了後…

ここが一番重要になってきます。なぜならその後の人生にも関わってくることですから。

たとえば自分が思うような成果が得られなかった、として…

その原因を考えてみることが必要だと思うのです。

「ヴァリエーションを踊りきれるだけの基礎力があったか?ヴァリエーションの練習ばかりではなく、普段のバーレッスンやセンターはきちんと行われていたのだろうか?」

「体型はどうだったろうか?女性の場合、チュチュを着ても恥ずかしくない体型だったか?男性はタイツ姿でも恥ずかしくない締まった脚だったか?」

「ポアント(男性ならバレエシューズ)が足に合っていただろうか?ぶかぶかすぎて踵がボコッと出ていたり、外反母趾が酷くなるくらい幅狭ではなかったか?」

「メイクや髪型は大丈夫だったろうか?」

「音楽と振付との調和は保てていたか?テンポは大丈夫だったか?ピッチを変えて変調して不可思議な響きになっていなかったか?雑音は?」

「役の解釈はどうだったろうか?」

「正しい振付で踊っていたか?変にアレンジしすぎて現在上演されているオーソドックスな振付から掛け離れていなかっただろうか?」

などなど…まだまだありますが、何気に書いただけで、これくらいのことは振り返ることが出来ます。

そこで、もう一つの問題。

振り返ってみて

「いや!振り返ってみたけど、正しかった!なので、結果に納得出来ない!」

と言う考え方は、建設的ではありません。

もしかして音楽の取り方が審査員からしてみたら、ずれているようにしか見えなかったかも知れない。

正しい振付と信じていたものが、実は日本だけで広まってしまったコンクール用の振付だったかも知れない。

私がそうでした。

日本に帰国したばかりで右も左もわからないでコンクールにエントリーさせていて、日本のコンクールで踊られている振付が正しいと信じて疑いませんでした。

しかし、2000年頃からYAGPをはじめとする奨学金授与のコンクールのため、海外の国立バレエ学校の方々がワークショップを開催することにより、日本で良かれ、と思われていたことが、徐々に崩れ始めてきました。そしてそれは現在進行形です。

今までテクニックだけは負けない、と思われていた日本人。2018年の今、ポアントでプロムナードをひとりでやってのけてしまうような外人たち(まるで山岸凉子さんのマンガ「アラベスク」の内容そのもの)とか、男子なら空中でダブルトゥールではなくトリプルトゥールが普通に出来てしまう外人たち…日本人のテクニックだけは負けない、はもう過去のものです。

そして、そのテクニックの強さはどこから来るか…というシークレットは、実は日々のシステム化されたレッスンが元であり、テクニックだけ降って湧き出たものではない、というごく当たり前のことに気がつかされたのは、本当に感謝でした。

それを気付かせてくれたのが、沢山の海外の国立バレエ学校の校長や教師たちでした。

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誰でも自分が信じてきたものが覆ると、守りに入ろうとします。いわゆる「保守的」な人。そして改革しようとする動きを力で封じ込めようとする。

しかし、そうやって封じ込めた結果、井の中の蛙となり

「私が一番」
「私のいる組織が一番」
「私の住んでいる国が一番」

となる…

コンクール、特に国際バレエコンクールに関しては、生徒よりも指導者が

「ちょっと待ちなさい。あなたの指導法、間違っていませんか?」

と問われる場所だと思うのです。

コンクールとは…実はそんな場所だ、というのは、たぶん世間一般には知られていないのかも知れません。

Part 14 に続く

左右木健一