春のコンクールシーズンもそろそろ終わり、夏に向けて、と思われる皆様もおられると思うので、コンクールのお話をシリーズで書きたいと思います。

今でこそ審査員を務めておりますが、私もその昔はコンクールにエントリーしておりました。

初めてのコンクールは中3の終わり。私は誕生日が3月31日なので、まだ14歳。

東京新聞全国舞踊コンクールでした。

今でこそ、めぐろパーシモンホール、という立派な劇場ですが、私が参加したときは目黒区公会堂。まるで校舎のような建物。

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私はジゼルのペザント・パ・ド・ドゥの第2ヴァリエーションを踊り、見事に予選落ち!

先生や親の付き添いなど一切なくて、1人で会場入りして、1人でメイクして、1人で訳もわからず場当たりして、予選落ち(笑)

ただ誰からも期待もされずに放置されていたのが良かったのか?予選落ちしたことに、さほど落ち込むことはありませんでした。

私が子供の頃のレッスンは、教師が手取り足取り指導するスタイルではなく「見て学べ!」のスタイル。解剖学の知識もなく、ピラティスやジャイロトニックもなく…

ですから、不器用で身体の条件の悪い子は上手くなりませんでした。しかし昔と違ったのは

「練習すれば、どうにかなる」

みたいな変な信仰心があった。だからそんなに簡単にバレエはみんな辞めませんでした。

私も、誰に何を言われても絶対に辞めなかった。

レッスンは休むものではないと思っていたし、発表会の役は文句なんて言うものでもなく、いくらダサい衣裳だろうが、我慢して着ていました。しかも毎回毎回怒られながら…

よくもまあ逆ギレして辞めなかったよなあ、と言うくらい、ケチョンケチョンに貶されていました。レッスン後は帰り道、吐くまで泣いて帰っていました。

不器用 & 身体の条件最悪 & ブサイク

私は、全てが見事に揃った、いわゆる「望みゼロ!」のレッテルを貼られた子供でした。

そんな子供が、どうして今に至るのか?

Part 2 に続く

左右木健一