國體と國家。

 

國體(こくたい)という字がありますが、現在では「国体」と書いてあり、どちらかというとスポーツ大会などを連想させる文字となっています。しかしここで申し上げたいのは、スポーツという括りの中での国体ではなく、もっと広義のものであり、深い真意のある文字としての國體(国体)について述べてまいります。

 

もう一つ、「国家」という字がありますが、こちらは辞書を引いたとおりのものであり、現代でも国家といえば、ああ国という組織について言っているのだなと理解できます。ちなみにこの「国家」を辞典で求めると、こう解説されてあります。

 

【国家(こっか)とは、国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織で、その地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。領域と人民に対して、排他的な統治権を有する(生殺与奪の権利を独占する)政治団体もしくは政治的共同体である。 政治機能により異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。またその地域の住民は国家組織から国民あるいは公民と定義される。】(ウィキペディア参照)

 

この中で「生殺与奪の権利」という読むだけでも恐ろしい言葉が書いてありますが、まさに国家となるとこのようなことが大いに含まれる可能性はあります。つまり、生かす・殺すということでさえも、個人が持つ命の尊厳云々以上に国家の尊厳が重いということになるのです。

 

それで先ほどの「國體」に話を戻しますが、國體とは何かと申せば、戦前までのわが国の印象としては「國體=天皇絶対主義」を浮かべる人も多いでしょう。これは実のところ、一部正解であり、一部誤りなのであります。まず國體は天皇であるというのは正にその通りで、しかし絶対主義というのは全くあり得ないことです。天皇の御存在は絶対者というものではなく、あるいは意図的に押し付けるものでもなく、それは誠に自然なるものであり、ただ「御座します(おわします)」というだけで十分通じるものであるかと思う。

 

また、國體をわかりやすい言葉で説くならば、

「天皇即日本」「日本即天皇」となります。

天皇の御存在は、そのままわが国であり、わが国の祖型(根元)は天皇の御存在ということなのです。このことは畏くも「現人神」として理解されていた戦前までの日本であれば全く自然のことであり、むしろ日本人としての証(あかし)であり誇りであったと思われます。

 

先の大戦に日本は敗北し、GHQに占領された中で徹底的に「日本」を潰された。その精神文化や伝統、歴史、言語、風習・・等々、古より「日本」が連綿と継承してきた道を、その途上で遮断し、代わりに異国の文化や風習、思考などを新しい風として吹き込み、隅々まで浸透させるべく執念を燃やしました。所謂、日本弱体化のための政策であります。アメリカなど戦勝国にとって当時の日本は脅威でした。武力による勝利は出来ても、それで日本人が屈服するなど信じていなかったのです。武力武器の放棄だけでは認めず、その精神性の破壊が必要であると判断し、細かなところまで気を抜かず実行したわけです。

 

恐らく彼らは、日本の精神性の最たるものは國體、つまり天皇であると知っていたはずです。だから天皇を個人として身柄を拘束し、他の敗戦国の首領のように縛り首にはしなかったのでしょう。もし天皇が国家という組織での長であるならば躊躇なく処刑されたのではないか、と私は考えます。ですが天皇は国家の長ではないし、権力者として存在なさるものでもなく、その御存在は日本そのものであった!という点が非常に大きいのです。

 

ここまで書いても、現代の日本人の中には「天皇即日本」「日本即天皇」などと時代錯誤も甚だしい!と不快感を表す者も少なからずいるでしょう。それは一体どうしてか?二つの理由が考えられます。一つは「無知」つまり知らなさすぎ、ということ。もう一つは、日本国籍を持った異国人。このいずれしかありません。それほど本来ならば単純明快なことなのに、現代の日本においてはすっかりタブー視されている感も否めなく、まことに寂しい限りであります。

 

大事なことは日本が日本らしくあること、なのです。これに尽きます。

諸外国を見渡しても、祖国のルーツを大切にし、誇りに思う民族は大勢います。こういうのを愛国心というのでしょうが、人間として世界共通、当然の感情でありましょう。

ちなみに日本では愛国心というより、和らぎの心、つまり、大和心(やまとごころ)といったほうがしっくりきます。ありがたいことにわが国には日本独自の文明・文化が古より既に根付いているのです。

 

國體と国家は、難しい話ではありません。自分たちの生きる道、ルーツを辿りながら「どう生きていくか?」を問うための、知るべき事柄であり、しかも重要な鍵を握るものでもあると思って頂ければ、難しいも何も知りたくなるのが自然な感情です。

 

次回に続く。