こんにちは(^^)/

祖型塾の河村ジュンです。今日も思ったことを徒然に書いて参りますね♪

 

人生で一番つまらないこと、それは「自己否定」です。

 

自己否定は一見、自分だけを否定するような感じにみえますが、実際は他人に対しても否定感が強いので、結果的に責任転嫁という罪をつくってしまう。

 

私はこれまでたくさんの方と接し、鑑定をさせて頂きましたが、その中でしみじみ思ったのは、結局悩みなんてものは自分で納得して解決していかなければいつまでもそのままなんだな、ということ。もちろん作為的に誘導することは可能です。たとえば新興宗教などにありがちな洗脳とかマインドコントロールという手法を用いれば、そうした自己否定感の強い人々というのは真っ先に取り込みやすいだろう。

 

 

 

目はうつろ・・心ここにあらず・・

けれど妙にハイテンションになって修行とやらに打ち込ませ、徹底的に自分を外していく。洗脳やマインドコントロールというのは、自分を外すことが第一であり、自己否定感をますます強め、特定の他者に依存させるのが最大の目的である。

 

自分を否定したくなる時期というのは、それは誰でもあるかもしれない。しかし自己否定は何の得も産まず、苦しみだけがズルズルと引きずられるのみである。その苦しみは何でもない日常に蔓延しており、あらゆる可能性をも否定し、狭い殻に閉じ込めさせてしまう。

殻の中はすべてを否定できるので、苦しくても案外気持ちは楽だったりする。その楽こそが、いわゆる人間の持つ怠惰というものだ。

 

怠惰の中にジッと身を潜めていれば、あらゆることに愚痴や弱音を吐き出しながらも何となく気が楽なのである。しかし忘れてならないことが一つだけある。それは・・

命の時間を使っているという事実」である。

同じ使うでも刻むのと、消費するのとでは全く意味が異なる。自身の素直な心で刻んだものは、必ずその人の栄養となり血と肉になっていくだろう。しかし消費してきたものは無機質になっていくだけであり、それは希望の光を奪うものだ。その行く末に幸せなどは存在しない。いつまでも自己否定を続けながら、加齢とともに激しい後悔と嫉妬とに悩まされ、挙げ句、孤立していく。

 

 

 

自己否定の話を取り上げると、どうしても暗い内容になってしまうのだか、これは誤魔化しようのないことなので、そのまま綴ってみた。

 

次回は「自己否定」をどう克服するのか?について、これまでの経験や知識などをフル稼働させながら、さらに感性をもって書いて参ります。

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

すめらぎいやさか