「LGBT」非難の度が過ぎる~杉田水脈発言への批判① | 蒼介と申します。

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 自民党の杉田水脈衆議院議員が、月刊誌「新潮45」に寄稿した『「LGBT」支援の度が過ぎる』という文章が、問題となっています。

 既に、多くの人が批判をなさっていますが、自分自身が思うところも綴っておこうと思います。

 

 なお、この杉田水脈発言について、評論家の荻上チキさんが、ご自身のラジオ「Session-22」で細かく問題点を指摘されていますので、音声配信を聴かれることをオススメします。

 https://www.tbsradio.jp/275561

 

 以下、「新潮45」の原稿を引用しつつ、コメントします。

 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。

 

 「自分は、LGBTであっても気にせずに付き合ってあげられる。だから、差別はない」という理屈です。

 あまりにも視野が狭すぎるのではないでしょうか。単なる主観にすぎず、差別がないという根拠になり得ません。

 

 また、これは差別主義者が使う、典型的な「I have black friends」論法です。

 「俺には黒人の友人が居る。だから、黒人差別なんてしない(といいながら、思いっ切り黒人差別発言をする)」という、よく見る言い訳です。

 当事者の友人が居るからといって、差別は差別です。それによって、差別の度合いが薄まる訳でもない。

 

 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。

 

 言うまでもないことですが、LGBT当事者の生きづらさや困難な問題は、親子関係のみに留まりません。その点については、後日紹介します。

 また、「親が理解しない」という状況が、社会の無理解の反映であるという点に思いが至らないのでしょうか。

 

 なお、「キリスト教社会やイスラム教社会に比べて、日本はLGBTに寛容な社会だ」というよく聞く主張も、この原稿の中でなされています。

 しかし、未だに、LGBTは日常においても「存在しないもの」扱いされています。

 

 殴られたり、殺されたりしなければ、差別は存在しないのでしょうか?

 どうやったら、この息苦しさが伝わるのでしょうか。

 

 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

 

 生きることそれ自体の困難さと、LGBT当事者が抱える困難さが混同されています(おそらく意図的に)。それらは重なり合う部分もありますし、LGBT固有の問題もあります。「そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです」と一般論で語れるものではありません。

 このくだりは、「乗り越える力をつけさせる」「解決してあげる」と、上から目線の表現が目立ちます。

 

 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。

 

 ここが、一番の批判を受けている部分です。

 「子供を作らない」ことが、「『生産性』がない」と表現されています。

 この、「LGBTのカップル」の部分には、障害者だとか病人だとか、様々な属性が代入可能です。

 

 未婚の人に、税金を使ってはいけないのか?

 障害のある人に、税金を使ってはいけないのか?

 職のない人に、税金を使ってはいけないのか?


 これは、LGBTのみの問題ではありません。

 だからこそ、多くの人が批判し、抗議しているのだと思います。 

 労働や経済の分野でよく使われる「生産性」という言葉を、なぜ出産・子育てと結びつけるのかも、意味がわかりません。

 

 そもそも、「LGBT支援」に、どれほどの税金が投入されているというのでしょうか?

 『「LGBT」支援の度が過ぎる』というタイトルの割に、中身を読めば、支援なんか必要ないんだという本音が垣間見えます。

 「十分すぎる支援を受けているから、これ以上は必要ありません」なんて思っているLGBT当事者は居るんですかね?

 

 LGBTに対して、どのような政策が必要かという議論は、なされても良いと思います。しかし、それは具体的な根拠やデータに基づかなければなりません。

 

 しかし、いかなる場合においても、「生産性」なる言葉で、人間を選別する優生思想は、断じて容認できません。

 

 優生思想といえば、ナチス・ドイツが想起されます。

 ユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)は、多くの人に知られています。600万人ものユダヤ人が殺害されました。

 

 そして、残念ながら一般にはあまり認識されていませんが、ナチス・ドイツによって、ユダヤ人のみならず、少数民族や障害のある人びと、そして同性愛者も迫害を受けました。

 「ピンク・トライアングル」という三角形の胸章を付けさせられ、強制収容所で多くの同性愛者たちが、虐待・虐殺されていきました。

 

 ピンク・トライアングル

 

Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB)より引用

 

 なお、戦後のドイツでは同性愛が罪であり続け、収容所送りになったことに対しての補償もなされず、困難な日々が続いたことを付言しておきます。

 

 私たちは、20世紀の歴史から何も学んでいないのでしょうか?

 「子どもを残せない/残さない」あるいは「劣っている」と決めつけられた人々が大量に虐殺された歴史を顧みるとき、「生産性」などという言葉を人間に用いることは許されません。

 

 (https://ameblo.jp/sohsugay2525/entry-12395867488.htmlに続く)

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