理想の私

ってやつが、ずっと私の頭に居座っていた。

小さい頃からの出来事、見たり聞いたりしたこと、人から注意されたこと、いろんなとこから仕入れた情報を元に

私自身が判断し、理想の私 を頭に住まわせた。


日々のモヤモヤ、イライラ、ザワザワを掘り起こして行くと、

理想の私

にたどり着く。


理想通りにならない自分にイライラ、ザワザワ

劣等感が刺激されるんだね。

理想の私から離れると、自分で自分を責めるから 苦しくなる。

私は、それを努力で挽回しようとした。

いっぱいいっぱい頑張って、理想に近づく努力を重ねた。

努力は報われる と信じて。

そうして自信を得た。中身がカッスカスの自信だけど。





子どもが生まれると、今度は 子どもを理想の私になるべく育てようとした。

我が子とは言っても、別の人格。

自分だけの時とは違い、理想通りにはさらにいかなくなる。

私の育児の悩みが
「私の思い通りにならない。」
本気で そう言っていたー。



子どもを通して世界を見ると、いっぱいいっぱいいっぱいのモヤモヤ、ザワザワのオンパレード。



そんなことしたら嫌われちゃうよー。
そんなこと言ったら1人ぼっちになっちゃうよ。
そんなだとダメダメ人間になっちゃうよ。
私の言う通りにすれば しあわせになれるのに。何で反対のことするのー!

あー、もう見たくなーい。
もう見せないでー。



見ないように目を閉じると、わざわざ他の人が

ねー、ねー、あなたのお子さん…
って教えてくれる。

それは先生だったり、
ママ友さんだったり、
習い事の先生だったり、
母親だったり。



子どもには常識という あたかも正当な手段を使い、私の理想に近づけようとした。

私は正しいと信じて疑わなかった。


三番目に生まれた子、マーたんは、障がいを持って生まれてきた。


ミルクも まともに飲めなかった。
歩くのは 普通の子の倍の月日が必要だった。



さらに思うようにいかなくなる。

理想の私どころか、みんなが普通に出来ることが
私もできない。マーたんもできないのだ。


マーたんを普通の子にできるのなら、何でもしようと思い、頑張った。

頑張っても 頑張っても、普通の子との差は縮まるどころか、広がるばかりだった。


疲れて立ち止まったときには、もう心がボロボロだった。


それでも理想の私が 君臨し続けた。


そんなんじゃダメだ!
頑張りが足りないからだ!
みんなは、できてるよ!



真っ白な地図を渡されたようで、どこへ行けばいいのか 分からなかった。


何が悪いのか分からなかった。









理想の私 が 私を苦しめているということを知った。

心底 驚いた。

理想に近づけば、しあわせになれるって 本気で思ってたから。




もうね、ほんと一つ一つ 理想の私を 壊していく。


小さい時に お母さんに言われた言葉が蘇る。
小さい時にお母さんが喜んでくれた顔が思い浮かぶ。
小さい時に誰かさんと比べて自分がそうあるべきと信じてしまった記憶がフラッシュバックする。


そっかそっか、こうして 理想の私
が 出来上がったんだー。

理想の私よ、ばいばーい。


長年、理想の私に支配されてきたから、
なかなか ばいばーい するのが 難しい理想の私もいる。



それでも、ばいばーいすると、この上ない安心感に包まれる。



私が 私に 戻れて 喜んでいる。
本当の私を 見〜〜つけた!





父と母からもらった 小学校に入学する時の手紙に 
こう書いてあった。

「何でも 普通でいいよ。」って。

この期待感 ゼロ の手紙…
何だこれ。って、ずっと思ってた。


今は、これをこう解読する

「普通にしてたらいいよ。頑張らなくていいよ。そのままでいいよ。」

「ありのままでいいよ。」 



あー、いいの。いいの。

都合よく解釈しまーす ‼︎


何かができるから価値があるんじゃない。
私は私のままで価値がある。
ダメダメな私に価値がある。


マーたんが全部 教えてくれてたことだったね。