人の一生は道を只、滔々と歩むが如し

その道の周りには崖が待つ

光は煌々と道を照らし

影は深々と崖を現す

光が無くては崖の深さが判らず

影が無くては道の輪郭は判らない

人の交わりもまた、光と影が如き

光は影を、影は光を常に意識し、

心安んじる道を導く、これが理想

                  nandarou8

相手がして欲しい事は判りにくい

相手がして欲しくない事は判りやすい

だから、相手を気遣う簡単な方法

相手がして欲しくない事を避ける事に他ならない。

                       nandarou8

取り返しのつかないミスを犯した場合、

その時点で最大の策を弄し、

身を立てる術をつけよ

さすれば相手にも誠意を伝える事だけは出来る

誠意を失ったらすべてにおいて糊代は消えてしまう

                      nandarou8

今日は自分がそれをしてしまった事に気がついたので

身にしみて判る。

何であろうか?

細い線のような物が見える。

そこには

飛ぶ者、走る者、歩く者、止まる者、頭を抱える者、また眠る者がいる。

それは道なのか?

それとも罠なのか?

皆は言う、それは道であると。

では皆に問う、

その道を歩いていいのだろうか?

歩くべき道ではないのだろうか?と。

師は言う、それがあるべき道なのだと。

しかし、師よ、これが本当の道と呼んでいいのだろうか?

私には到底理解できない。

これが本当の道だと言うのならば

私は喜んでこの道から外れようではないか。

後ろに続く者が戸惑うとしても、

私には私の考えがある。

前に進む者が嘆こうとも、

私には私の考えがある。

どうせ叫んでも響かない叫びなら、

飛び降りて叫んだ方が戒めになる。

戒めになるのであれば、

私は喜んで飛び降りよう。

それは本当の道などではない、

少なくとも私にとっては、本当なわけがないのだ。

そう叫び、飛び降りてやろうではないか。


飛び降り、叫ぶ事しかできない私が悲しい。


だから、誰かの為に飛び降り、

誰かの為に叫んでやる。

それが、私の信じる道だ。

自分の為だけに、何かするのは、もうやめた。

・・・や~めたっと。

後悔をしないものは勇者であり

後悔するものは正直者(臆病者)であり

後悔を忘れるのは愚者である

                nandarou8

ほーこりー            (誇り)

ちばまりんずー          (千葉マリーンズ)

どんなときもー           (どんな時も)

おれたちーがー          (俺達が)

ついてるーぜー          (ついてるぜ)

つーっぱしれー          (突っ走れ)

しょうりーのーためーにー    (勝利の為に)

さあいこうぜー           (さあ行こうぜ)

ちばまりんずー          (千葉マリーンズ)

らぁーららぁらぁーらぁーらぁー (ラーララーララーラ)

おいっおいっおいっ        (オイ・オイ・オイ)


「俺達」の皆さん


・・・もう最近この応援歌を家で聞く事が唯一の

モチベーション向上策となっています。


歌には「聴きたい歌」と「歌いたい歌」の二種類あります。

この歌は歌いたい歌ですね。


人前で歌うのが気が乗らないと余り歌いたくない自分でも

この歌は一人で熱唱してしまいます。


1998年7月7日の悲劇を知っているからこそ

この歌が単なる優越感への入り口の様な歌ではない事がわかる。


いやはや、人間万事塞翁が馬

イライラが募ると無性にバッティングセンターに行きたくなる。


月曜日、そして昨日もそんな一日だった。


月曜日は時間が無かったので無理だったが

昨日はまあ少しの余裕があったのでいつもの所へ。


ここには有名なおじさんがいる。

誰も理解してくれないと思うが、

マリーンズの福浦和也選手が

福浦選手

歳を取ったらこういう顔になるんだろうなぁ、

という好々爺である。


寒くなってきたからだろうか?人が余りいない。

というかゲージには一番端に2人いるだけ。


いつもの戦場


数ヶ月前に新たに設置された140キロコース(100キロコースと併設)、

ここが私のホームグラウンドである。


意外と140キロを打つ人が少ないので

カキンという打球音を鳴らすと

少し優越感に浸ることが出来る。


メダルの変換を終え、140キロコースのケージに入り、

里崎智也選手の打法(自然体打法』と自分は命名している)

『自然体』

の確認、前回は上手くミートできた。力も伝わる。


さて、打つか。

禍根を断つかの様に

(写真では頭の方にバットを持ってきていますが

このバットを反対側に寝かせて打つようにしました

左足を右足と同一した線に置くのではなく

オープンスタンスみたいにして打っています

バットも違うバットです)


メダルを入れ、2,3球打つとおじさんが見ていた事に気がつく


誰かが見守ってくれると心強い、

しかもおじさんはちょうどいい距離から見てくれるので

うざったくない。


球もミートできる、一人で来ている時ではここ一番かもしれない


1回20球の真剣勝負も14,5球目を迎える。

上手く流した打球は

「ホームラン」と書かれている的(ホームランボード)に向かっていった。







いけぇ









しかし悲しくも右にずれた。


あ~


まだ終わってないのにしゃがみこむ。


しかしすぐ打ちに入り、

このタイミングを逃さない為に一球一球を大事に打ち直す。




その2,3球目だった。




また上手く流した打球は同じ方向へ











いけぇ、今度こそいけぇ!













ドーン・・・パンパカパーン、ファンファンファンファーン


その瞬間、おじさんの方を見る。







やりやがった








そんな声が聞こえる笑い顔を見せた。


20球目を打ち終わり、フロントへ、


おじさん

「初めてだよ、140(キロコースでのホームランボード直撃)。」


へぇ~まだいなかったんだ。


自分
「ロッテに里崎選手がいるじゃないですか、

そのまねをしたら上手く合ったんですよ」


おじさん

「いやさ、今日は上手く合ってたから(ホームランコースに)いくんなら

今日だろうなと思ってみていたよ」


そんなやり取りを交わしながら

ホームラン達成者の記録書に名前を書く、これが2回目だ。


ただ、

「140キロコースホームラン第1号」

として何か残したかったので

記載事項の上に


(140km)


と括弧書きしてまたバッティングケージに戻る。


トータルで100球打ち終わると帽子を脱ぎ一礼、


「又近いうちに来ます、

(ホームラン達成者のネームプレートを指差し)あれ見たいので


そんな事を笑いながら言い、その場を去った。


そしてまた、大事な一日が過ぎた。

頼る事

信じる事

愛する事

この3つは

似て非なるもの也

頼る事は自らは与えずただ恩恵に享受しようとし

信じる事は相互に恩恵を与えようとし

愛する事は自らは何も求めずただ恩恵を与えようとする

全ての者を愛ること

これが最も望ましい形である

nanadarou8

一縷の望みは諸刃の剣である。

その望みをかなえるためには

爆発的な努力を生みやすいが

無理だとわかった瞬間

その努力は絶望へと急変する。

従って物事を成す時は

多くの望みを持つ事、

そしてその全てに

過度の期待はしない事。

ほどほどに、である。

                 nandarou8