どうも、
    写真うつりが

         『山賊』

            みたいなnandarou8です。
 
 いやはや、
   姉の子供を抱いた写真を見たら自分で自分がいやになりました(泣)。

 さて、今日は言い回しについてのお話。フジテレビで放送されている『スーパーニュース』に出演している木村太郎さん。その木村さんが毎回、同番組で『木村太論』として簡単なコラムを述べています。毎回的確な発言に信服しているのですが、今回は「ん?」と思う事がありましたので書きたいと思います。
 強制わいせつの現行犯で逮捕された自民党の中西一善衆院議員についての事。その時木村さんは外国の著名人(いかんせん聞き流してしまいまして固有名詞が出てきません。本当にすいません)が今回と同じような破廉恥を引き起こし、10年間福祉活動を従事した結果、赦された(爵位を与えられたと言っていましたのでおそらくイギリスでの事だと思います)事を例に出し一言。
 「まあ、同じように10年くらいボランティアに従事したら赦してあげます(100%の写しではありませんが「赦してあげます」と言うのは耳に残っています)」

 ・・・ん?

 ・・・・・・赦してあげます?

 ・・・・・・・・・あなたが赦す基準なの?

 とまあ、感じたわけです。確かに木村さんは的確な事例を出しています。しかし、
   何故、テレビという公共の場で「赦してあげます」という様な
              「自分が中心」的な言い回しをするのか。
 もっと
「この事例と同様な事(奉仕)をすれば世間の人が赦してくれると思います」
 という様にあくまで「世間の目」から言ってくれなかったのか疑問に思いました。
確かに、このコーナーは木村氏のミニコラムです。
しかし、
   視聴者は
      「木村氏の視点」
          が見たいのであって
             「木村氏の判断基準」
               を聞きたいわけではないと私は思う。

 さて、長くなりましたが、ここまで読んでくれた方は「?」と思っているのでは無いでしょうか。今私が言った「木村氏の視点」と「木村氏の判断基準」、同じことなんです。では何が違うのか、つまり、言い回しなのです。
 これは普段のコミュニケーションでも同じ事が言えることで、言い回しによっては全く取られる印象が違ってきます。
 「それを取って頂けませんか」と「それ取って」という言い方を例に挙げます。
例えば、親友に前者の言い回しは他人行儀すぎるが、偉いさんには丁度いい、
  しかし、後者は親友には丁度いいが、偉いさんに言ったら危険である。
いやはや、言葉とは場所や時を鑑みないで使うと何と取られるかわからないものです。
「まあ、そーゆー聞き方もあります」
では。
       「言葉は時として『言刃』である」
                     nandarou8