雨の日の娘の送迎で、出たり入ったりの嫁お母さん車

 

家族用に玄関ドアは、リフォーム時に増設したので、

1階の義父母のリビングを通らないと、出入りできない場所にある。

 

必ず顔を合わせるので、良いのだが。

 

お母さんニコニコ「ただいまー」

 

義母は、食卓に座って、通帳を見ていた。

 

おばあちゃん「おかえり~」

 

 

30分後時計

 

お母さん「違う娘ニコ、迎えに行って来る」

 

おばあちゃん「え?帰ってきてたの?いないと思ってた」

 

お母さん「さっき、ただいまって言って、ココ通ったじゃない」

 

おばあちゃん「えー、じゃあ私、その時、何してたのかしら?」

 

いやいや、さっきもそこに座って、通帳眺めてたから。

寸分違わず、同じ状態だからおいで

 

わざわざ、そんなこと言わないけどさ。

 

 

イチョウイチョウイチョウ

 

こんな風に、だいぶ認知症が進んできたことを実感する日々。

 

最近、夫と、先を予測するような話をする。

 

”あとどのぐらいで、いろいろ分からなくなる?”

”いつになったら、お金の管理を手放してくれるかな?”

 

認知症が進むのを待ってるようで、なんですがあせる

 

 

お金の管理、手放さなくても良いんですよ。

「一緒に管理して欲しい」って言ってくれれば、

義母に主導権がある風に、援護射撃してあげるのになぁ。

なにせ、信用の無い息子と嫁お父さんお母さん汗

 

 

お母さん「義母が、お金の管理を手放すころには、簡単な家事も出来なくなるんじゃない?」

 

お父さん「そうだろうね、自分で(お金の管理が)出来ないから手伝ってとは、言わんだろ」

 

お母さん「じゃあ、あと2年ぐらいは、こんな感じじゃない?」

 

お父さん「いや、年末ぐらいだろ」

 

お母さん「え、年末ぐらいには、何も出来なくなっちゃうって、思ってるの?」

 

お父さん「時間の問題だよ」

 

お母さん「えーー、それはそれで、困る」

 

 

今のQOL(生活の質)をなるべく長く保って欲しいと思っている。

でも、この抵抗の日々が長く続くのも、困る。

 

認知症初期を介護する人がみな、抱えている葛藤じゃないだろうか?

 

 

 

我が家にある、暮らしを便利にするものたち