ありがとう | 体外受精 乳がん 大腸がん腹膜播種 に纏わる覚書

体外受精 乳がん 大腸がん腹膜播種 に纏わる覚書

大腸がんリンパ節転移 腹膜播種の親の介護中
体外受精(ショート法)による不妊治療
そのさなかに乳がん(疑)が発覚
アメブロでは多くの情報をいただき助けられました。
自分の記録も誰かのお役に立つ日が来ると嬉しいです。

ご訪問、いいねなど、いつも ありがとうございますニコニコラブラブ

ひとりの時間が多いため、リアクションいただけて、とても励みになりましたキラキラ


私の方の記事の内容が内容なので、こちらからのリアクションを普段より控えめにしていたのですが、にもかかわらず、気づいてくださったかたもいらっしゃって、たいへん感謝ですチューあせる

私の記事の話題が不妊治療中心となってきていたため、がん治療をされているかたのブログをウロウロしてもいいのか迷い、最近はいいねやコメントを遠慮していたかたがたからまで、思いがけずリアクションいただいてビックリしましたハッ


ちなみに、どのかたの記事も、リアルタイムで読めなかった時は、過去に遡り、いいねを押してないものも、全部読ませていただいていますグッド!(まとめて一気に いいね押したら、なんじゃこりゃあ滝汗ハッとビックリされるかと思い…)

 
 
さて、病棟に詰めて1週間少々。
 
深夜、静かに母が旅立ちました。
 
不思議なことに、人が旅立つのは、深夜明け方のことが多い。
そのため、付き添いが許可されてから、深夜明け方は母の側に付き添い、家で用事を済ませるのは日中にしていました。
ですが、いつもは起きているのですが、この日は、連日の徹夜 or 2~3時間ウトウトするだけの日が続いて疲れていたのか、ワタシ、うっかり眠ってしまっていたようなのです滝汗 ゴメンネ…母さん…
 

3時ごろだったでしょうか?

看護師さんがガラッと入ってこられた音で半覚醒。

看護師さんはすぐに出ていかれたので様子を見に来られただけかと思ったのですが、夢うつつ状態の中、母が痰を詰まらせるゴロゴロ苦しそうな音が聞こえました。

 

あ、看護師さん呼ばな…

 

と思い、そこで覚醒。

起き上がっている最中に、また看護師さんが入ってきました。

痰吸引をお願いしようとしたところ、看護師さんが、

 

「急に心拍数が下がって…」

 

と、多少慌てた様子で母に駆け寄りました。

 

 

付き添いが始まってから…

 


徐々に言葉で意思疎通できなくなり


完全に言葉が発せなくなった翌日には目で訴えることもできなくなり


その翌日には目を開くこともなくなり


次の日には呼吸が浅くなり…

 


日に日に別れが近づくのを実感しながら過ごしてきて、眠っている母の隣で、気が済むまで顔を眺め、手を握り、だるいと言っていた足腰をさすり、頭をなでて、頬に触れて、たくさん語り掛け続けてきたので、取り乱すことはありませんでした。


 

ただ、

 


 

ああ…お別れなのか…と。

 


 

大きな声で母に呼びかける看護師さんの声を聞きながら、母の手を握りました。

 

痰が絡む苦しそうな息をすると、しばらく息が途絶えましたが、看護師さんが、苦しくない程度に痰吸引をしてくださると、しばらくして もう一度、今度は静かな息をしました。

 

「親族を呼んだ方がいいですか?」と聞くと、

看護師さんは、ちょっと考えて、「呼んでください。先生ももうすぐいらっしゃると思います」と答えました。

 

夫に電話で「来てくれる?」とひとこと伝えるのがやっとでしたが、夫は、「分かった」とひとこと答えて、すぐこちらに向かってくれました。

 

夫を待つ間、改めて母の顔を見ると、左目に涙が溜まっていました。

私が寝ている間、なにか急激な変化が起こり、苦しかったんだろうと思います。

 

「母さん、ごめん! 私、寝ちゃってたよ! ごめんね、ごめんね!」

 

と話しかけていると、なぜか、看護師さんが

 

「いえいえ、大丈夫ですよあせる

 

と…謎のフォロー(?)をしてくれました。

 

 

その後、母の涙を拭いて、たくさんたくさん、感謝の言葉を伝えました。

 

これまで たくさん ありがとう

お母さんの子に生まれて幸せだったよ

大変だったね

よくやったね

頑張ってくれてありがとう

側にいてくれてありがとう

この1年と半年、たくさん一緒に過ごせて、話ができて嬉しかったよ。

 

その後、母は、もう一度だけ、すーっと息をすると、そのまま深い眠りについたようでした。

 

表情は、とても穏やかでした。

 

 

15分後、夫と主治医の先生が同時に到着し、母が旅立ったことが告げられました。

夫も先生も、その日の担当看護師さんも、みんなが優しく母をねぎらい、見送ってくださいました。

 

ここの病院とは、転院後の短いお付き合いでしたが、先生は、穏やかでよく話を聞いてくれ、患者に寄り添ってくださる、とても良いかたでした。

看取ってくださる先生が、このかたで本当に良かったと思いました。

 

その5分後、緩和の先生もいらしてくださり、やはり、優しい声をかけてくださいました。

麻酔の件では、やはり、事前説明が足りなかったことや、母の意思確認を取り合っていただけなかった当時の担当看護師さんの対応が飲み込み難く残ってはいますが、患者の苦しみを最小限に、最短にという、この先生の信念は理解しています。

とても優しく熱心な先生で、これまで、母に安らげる時間と言葉をたくさんくださり、とても感謝しています。

到着までの時間や服装からして、両先生とも、非番の日に自宅から駆けつけてくださったのだと思います。

 

転院前の病院では、母娘共につらく不安で苦しい日々が続いていたので、思い切って転院を決行し、最後の最後に、良い病院に出会えてよかったと思います。

入院中、いろいろご尽力くださり、母との思い出をたくさん残すことができました。

お世話になった皆さんには、たいへん感謝しております。

 

また、

 

本当の母のように接し、励まし、最も身近で介護に協力してくれた夫、

奔走してくれた幼馴染、

ご尽力くださった職場の上司、

情報提供、アドバイス、励ましをくださったSNS繋がりの皆さん…

関わってくださったすべてのかたがたに感謝しております。

 

 

そして、たくさん悩みながら頑張ってきたお母さん。

 

1年半の時間をありがとう。

 

いつか、私がやり遂げた後、また、笑顔で再会できますように。

 

 

私の語りかけというか、母との記録というか、の内容ですが、最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、そのかたがたにも、たくさんの感謝の気持ちを。

思い出を共有してくださり、ありがとうございます。