1月28日(木)
手術翌日、
あまり眠れない夜を過ごし、やっと朝になりました。
まず看護師さんがうがいをさせてくれました。
朝からはお粥が食べれます。
お粥が食べれるようなら点滴がぬけます。
尿管はいつ抜けるのか聞くと、朝9時以降と言われました。
うーん、それまで動けないんだよね

なんか食べたらもよおして来そうなんだけど…(;¬_¬)
みんなそういうけど、大丈夫だから!おならかもしれないし、どうしてもの時は、私が付き添いますから…って言われてもねぇ…
気になって、なんか食べるに食べれない

また、ムリして食べると気持ちわるくなるから、ムリしないように…なんて言われると尚更

結局、六割ぐらい食べて、9時までは点滴もそのままにしておきましょうと言われたんだけど
あの~さっきから点滴の刺さってるとこが痛くて、うでが腫れてきてるんですけど…?
あれっいつの間に?じゃあ、点滴するのもあと一時間位だし抜いちゃうわね!!と言われ
さっきうがいの時も痛いっていったのになあ…
その時は腕触って大丈夫って言ったからわかんなかったのかな…
でも点滴の袋?もってきたばかりだったから、
お金とられるなら点滴の針をやり直して欲しいなあ…もったいない…なんて思ったけど
言えなくて

点滴も抜けました。
9時になり、たちあがってもふらつかないようなら尿管も抜けますとのことで尿管も抜けて、
心電図のもはずされ、身軽になりました。
あとはドレーンだけ。
動けるようになったら、手や肘から下を動かすように言われ、血栓予防の為に歩くように言われました。
ムリはしないようにと言われるので
とりあえず、病室のある階を一周してみました。
2周目はムリだったです。
そのあと、レントゲンとるよう言われ、1人で一階のレントゲンへ…
高層階だからエレベーターが時間かかるし、
(各階で乗り降りする)
やはり、心細いし、しんどくて…
2時頃だったのでレントゲンの辺りは、外来患者はもういなくて呼ばれた入院患者が5人ほど…
私と同じ乳ガン手術した女性は母親らしき人が付き添っててうらやましかった…
ふらつきながらやっとの思いで病室に戻り、休憩してると、
ティーサービスがやってきました。
紅茶のシフォンケーキとレモンティーを選び、口に運んだとき、
ホントに美味しくて、生き返った心地でした。
この晩は痛みよりかゆみに苦しめられました。
木曜日はシーツ交換にみえたんだけど、
その後、かゆくてかゆくて…ダニ?
ダスト?
かゆみで寝れないなんて経験は今までないのに

太もものまたのあたり、腰周りに
お尻と
胸のガーゼを止めてるテープの辺り
塗り薬欲しかったんだけど
先生が身体中になってるから、
出したら、塗りまくるだろうし、ステロイドあまり使って欲しくないから出したくないと言われ、
ニベア持ってたでしょ?あれは保湿になるからそれで我慢してって言われ我慢です。
でも目ざといな~手に塗ろうとテーブルに置いてたニベアのチューブによく気づくなぁ~と驚き


どうもあてられてた紙オムツでかぶれたようです。
テープは細胞診や組織診のあとのテープがかぶれてクリスマスイブにやったのに 、お正月すぎても治らなかったから
かぶれやすいみたいなのでテープはかぶれないのをってお願いしてあって
一番かぶれないのを使ってもらったのに
ダメでした。右のリンパの生検?に一瞬使ってただけのテープのあとでさえ、しっかりかぶれてます

私がこんなにかぶれやすいなんて知らなかった(>_<")
この日はかゆみも加わり、
あまり寝れなかったです。
この日は仕事を3時に上がり電車で次男が来て
定時上がりでパパが車で来てくれました。
1人は早く見舞いに来ようと言う配慮だったみたい…
長男は私の入院中、私がやってた事務や家事をどうやっていこうか?と考えてたのに
パパはお見舞いや付き添い体制を気にしてたようで…
まあ、2人とも私のことを思ってのことなんだけど…
現実的なのは長男じゃないかな~
お見舞いや付き添いにだれが何時に行って…なんて時間差でくるなんて考えなくても
1日に一回誰かが来てくれれば、洗濯も頼めるしさみしくないしって思ってたから
(自宅から車で30~40分かかります)
何か重要視してることがあまりに違いすぎて、笑えてきてしまった

やっぱりパパは私の事務や家事のこと軽く考えてんなーと思いました

手術した日の夜、姑からどうだった?と電話があったそうで
私の実家は来てたか聞いたそうで
パパが『そりゃあ、1人娘が手術するんだから来てるわさ!(私は3人兄弟で弟2人です)』と言うと
姑が『お母さん身体不自由なのに来てたんか…わし、いかんかったらやらしかったがや~』と言ったらしく
パパがカチンときたらしく、
『心配して来るんじゃなくて、建前でくるだけなら来んでいいでな
』とぶちギレたらしい…姑はよく言えば裏表がない…悪くいえば無神経なんです。
乳ガン手術日が決まった時も、黙ってて後で知るのも良くないだろうと、病院帰りに寄って言ったら…
姑の発言は『乳ガンはたち悪いでな~』
『わし、日曜日しか行けんでな~』
です。
手術後の私の精神状態も誰にも会いたくないかも知れないし、
お産の時も、親戚のおばたちが、入れ替わり立ち替わりきて、それぞれ一時間くらいはいるし、何回も同じ話するためになったのに疲れたので
親戚には誰にも言うなと言ったせいもあるかもですが
うちの息子たちに日曜日に連れてってもらいたいみたいな感じだったのかな?
でも私が感じたのは、乳ガン患者にむかって、真実かもしれないけど、たち悪いなんて言わなくてもいいじゃない!?
ってことと
普段、整形外科に通い、帰り道にお茶してるか、買い物しか用事ないくせに(姑の妹夫婦たちを足につかいます)
その気になればいつだって見舞いにこれるじゃん!?
(パパや息子たちに乗せてってと言うとか)
洗濯してやる気持ちもないってことね!?
これが自分の娘だったら、何回も行くんじゃない?
てゆうか、別に来て欲しいってわけじゃないけど
聞いた今すぐにわざわざいわなくてもいいのに…
結果、日曜日にしか来れなくてもそれはそれでいい…
わざわざ宣言するとこが、なんかイヤだな…となんか
言いに言ったのにイヤな気持ちにさせられて帰ってきました。
まあ…あーゆう人だからね。
息子たちも、働きだした正月に
姑から『わしに小遣いくれんといかんのだわな~
年とった時にもらおうと思って、今までお前らに、小遣いやってたんだから…』
と言われ、次男はぶちギレて
絶対やらんと思ったそうで、
長男はその時、悲しい顔してたらしいです(次男曰く)
そんなことをわざわざ口に出して言わなきゃ、うちの息子たちもあげてただろうに…
心の声が出ちゃうんですかね。
長男は機嫌損ねてもと思い、関係がわるくなるのも嫌だからとあげてるようですが…
次男は頑固だからね~一旦イヤと思ったらもう変えません。
姑も冗談で言ったのかもしれないけど
息子達は、かわいがってくれてたのではなく、そんなつもりでくれてたのかという失望感でいっぱいだったみたい…
笑えないことは冗談とは言えないよね。
まあ…手術当日来なかったジジイと姑に対して
あの人たちがこうゆうことになった時に
私も行かなくていいんだわ!!って思いました。
でも現実問題、
そんなとき、私が行かないと、
なんて嫁だなんて言われちゃうんだろうな…
見舞いに行って、洗濯とかしないとめちゃくちゃ非難されるんだろうな…
まあそんな時がくるかどうかわからないけど…
ではまたね

