令和7年巳年11月5日
記録しているアクセス数が156になり、、
現在気になるお話を書き残しておこうと思います。
平家女護島 あらすじ 近松門左衛門の名作
実際の人物、俊寛の話で
平家物語との関係 WIKIより
『俊寛』は『平家物語』巻の三「足摺り」を題材にしているが、内容的には大幅な創作が加えられている。
最後に俊寛のみが島に残るという結末は『平家物語』でも『俊寛』でも同じだが、『平家物語』のこの場面には千鳥も妹尾も登場しないし、重盛の赦免状も登場しない。『平家物語』では基康が清盛の赦免状をたんたんと読み上げた後、俊寛のみを残して船を出す。俊寛は子供のように足摺りして涙ながらに船を止めようとするが、無情にも船は消えてしまう。
この「足摺り」の場面では俊寛は否応なしに島に残ることになってしまっており、滅びの文学である『平家物語』らしく運命に翻弄される俊寛の弱さが強調されている。一方『俊寛』では、俊寛は自らの意思により人を殺してまでも島に残っており、両者の俊寛像に大きな差があるといえる。
足摺の話が基礎になっています。
補陀落渡海
南国の海に渡海船に乗り、観音信仰、西国浄土への旅立ちということになります。
薩摩鬼界が島、硫黄島
この俊寛は村上天皇の系列になり、源氏の元になります。
近松門左衛門さんの書く平家の女として、千鳥という海女を助けることになりますので、
この千鳥は「にんぎょ」ということを口にするのです。
人魚=竜宮乙姫の御神霊を助けたのが、源氏ということになります。
平家と源氏は辯財天信仰です。
人魚ということを口にすると書きましたが、
そのソースは
有名な千鳥のエセ土地言葉
「りんぎょぎゃってくれめせ」
※かわいがってください
というセリフがあります。
私の脳内イメージでは、人魚やが~・・・と勝手に
思ったのでした。。![]()
それも、ギャッテクレメセなんて
般若心経の最後の言葉、羯諦羯諦ギャテイギャテイから来てるだろう・・・
可愛がるって、、愛、アイ、吾平、アイラじゃないか??とか![]()
薩摩の海女になっていますので、半裸の人魚だから
変換していました![]()
人魚画像を検索していて、伏見人形を見つけました。
胸に三宝があります。
胸鰭が、耳のようですね。
大英博物館所蔵の日本コーナーにある「白狐」に似てます。
映像は出てこないので、似たようなものをはります。
普通の狐の耳ではなく、横に張り出しています。

要するに、これよりも硫黄島の熊野神社の女神
山の神の好物オコゼに似ているのです。
胸びれが広がっているのと、角があり、棘には毒があるのが特徴かな。
私は、どんこが好きで飼育していたので、オコゼも好きな部類のおさかなですね。

これはハゼです。この写真を見ると、ハゼは人魚のようですね。
ネットスラングの「成仏してクレメンス」と同じような言葉を
近松門左衛門さんも、似たような音韻で使っていたもよう。
クレメンスとクレメセ 呉クレと滅すの掛詞みたいです。
2025/11/21
追記あり
光明真言満願達成しました。
その経緯はこちらに記載
やっと額を購入し飾りました→満願達成 | 虹色の架け橋を渡って
追記
達成祈願から一晩経ち、私の意識の様子を伺っています。
夜、のどが痛くて意識が目ざめるぐらいで、
その時に八雷神のことはこれ以上記載しないほうが良いなと思ったこと。
八雷神は、縄文の八岐大蛇である感じます。
石上神宮の剣、熱田神宮の剣。草薙の剣・・・
熱田、尾張の国からやってきた、草薙剣の神格を備えた豪族、和珥氏のことかな?
八頭、、八頭、、ほんでもって、縄文なんで、東北地方、丑寅の金神じゃないかと思っています。
先ほど、塩竃神社の写真が送られてきて
広島や、播磨の牡蠣は全滅だと言われてるのに、宮城県の生ガキは 大丈夫な模様。
与沢翼のソフトバンクグループの株を15500株購入したのを気にしていること。
京都の縄文展に行くように話が来るのですが、、
あまり乗り気でなく、
本日は水回りの掃除に力を入れて、、窓ふきやら、ベランダ掃除を考えるとなかなか時間が取れない。
2025/11/23
光明真言の功徳を感じる
11月1日 福井県のお寺の住職の奥様に光明真言を254枚書いている
先祖7代の供養をしていると話しますと、奥様は音、唱えるのも大事ですよとアドバイスしてくださった。
その帰り、兄から電話があり母の再入院の知らせでした。
私の心は暗くなり、、11月3日に予定していた
友人との約束のキャンセルをして、
今までの出来事を思い出していた。
帰りのサービスエリアでパーキングすると、雨がざーっと降ってきて、、
びちゃびちゃになりながらSAで休憩して、車に戻るとき
琵琶湖の近く余呉というSAでしたが、、そこで大きな二重の虹がかかったのでした。
その時に、母の魂は空に昇ったのかと?感じたのです。
帰宅して、面会時間は過ぎていたので、、
翌日11月2日に病院に面会に行きますと、また母の意識は戻ったようでした。
母は認知機能が衰えていて、私の認知はたまにしかできない。
11月3日
三面大黒天と高台寺のそばの天満宮と霊山寺に出向きます。
霊山寺でまた大きな虹がでました。白い、白亜の観音様とともに大きな虹が地上から出現しました。
ここは戦争で亡くなった人の魂を慰霊する目的で建てられたお寺になります。
石川さんの出資です。バスの運行会社。阪神大震災の時に見かけた奇跡のバスの会社です。
やっと、254枚すべて仕上げて
砂を置いて、砂は出雲大社のいなさの浜の砂。
弁天島があり豊玉姫が祀られています。
光明真言を唱えます。
奥様に音を言われてから、光明真言の動画を流しながら書いていました。
昨晩、早くに就寝します。
鬱状態です。母の面会に行けなくて、罪悪感にサイ悩まされています。
自分が呪縛に囚われて苦しいのです。
どうしようもない。。
私の心は暗闇に閉ざされていました。
明け方、意識が目ざめ。熟睡できなく、苦しく暗いのですが、、
音が聞こえてくるのです。
光明真言です、、、
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだら・・・
ああ~奥様が音を唱えろと言う意味がわかった・・・
音写なのです。
地蔵菩薩が思い浮かびます。
暗闇の心の中を光が射すようです。
ようやく、光明真言の功徳を実感できました。
丹生都姫。赤い玉。あかるひめ。
地獄を照らす宝珠をもつ地蔵菩薩。
成し遂げてよかったわ~。ほんとによかった。
蘇我倉山田石川麻呂氏の仏頭造りから、不動明王の神髄から、それの教えてくれた友人の御主人の癌祈願から、四天王寺元三大師から、梵字教室から、東大寺二月堂から、254枚の光明真言
光明真言とは大日如来の功徳が光るさまを表していて、、この輝線はゐ
これより前へ進むには、何か人様のご縁がないと無理なような気がします。
太古の信仰、石に刻まれた文字に関わる人類の信仰が見えたのでそれで私の旅は終わりなような気がします。
それは、弁財天女、豊玉姫、天照大神、卑弥呼,天のうずめ////****///****と勉強してきた成果でしょう・・・・
なんと、高市発言により、中国との関係が悪化し、、京都のホテルは相変わらずお高いのですが、九州の宿泊が叶いました。二か月前から年内の予約状況を見ていたのですが、取れなくて諦めていたのです。
2025/11/25
熊本地震1801震度五強
以前と同じ震源地。益城なのだろうか。
丁度、熊本地震の一時間前にこちらは雷鳴が轟く豪雨でした。ほんの20分ぐらいなのですが、
急に土砂降りの雨と雷が地響きのように鳴り、家が揺れる感じでした。
先ほどまで、晴れていたのに、、天気の急変に驚いていたら、、
2025熊本地震の発表でした。
一応、私の家近くを通る太陽光輝線line上でありそれは熊本の震源地を始めとし、
比叡山山王院を貫く形になっていますので、、
2025/3に、郡浦神社や天草にて、地震除け祈願をしたからです。
本日神戸の隈病院にて検診だったのですが、カバンに郡浦神社で授かったkoalaのキーホルダーに似たものフクロウを付けている女子を見かけたのです。
あれ![]()
郡浦のkoala??と思い出したのです。
フクロウは、熊本市の西原白山姫神社ですね。
友人が御朱印もらってきたから。。
私はフクロウを思い出すのは、
三輪山の鳴宮神社、久延彦神社
と筥崎宮になります。筥崎宮でフクロウってなんでだろう??
宮地嶽神社の眷属らしいね。宮地嶽神社と筥崎宮って同じなのかな??
2025/11/26
朝起きますと、あの雷鳴轟く豪雨の時に、吹田大阪万博公園に隣接している大観覧車が止まったようです。九時間ぶりに救出とか。それだけ、急な豪雨と雷鳴でした。雷による観覧車のシステム停止です。
箕面の滝のすぐそばのお店も火事になったようで、あそこ夜は無人だし。火元はなに?
とりあえず、山にまで火が回らなくてよかったけど、、、
佐賀関はお気の毒で見てられないです・・
箕面の滝ではその当時イルミナイトをしていましたが、実際の様子はどれだけおどろおどろしく不気味で怖いか・・
あれが箕面の滝本来の姿なんだと思います。
かなり大きな雷でしたから、、そのあと阿蘇地震ということですね。。
産土山、産山村と竹田市ということで、、連山になっている
祖母山、九重とかのあたりですね。
阿蘇神社の水源なのかな・・池山水源、山吹水源、扇棚田が気になりました。
丁度、そのあたりを奇遇でスケジュールに空きが出た旅に宿泊予定していて、
言ったほうが良いのか・・別府の亀川温泉に宿泊をします。
2年前阿蘇神社に参拝しましたから、その時に少しでも足しになるように
お金を落としたのです。
その後、地震によって倒壊した楼門が完成してよかったな・・と思ったのです。
あの時に、夢でピンクの白蛇が出てきたのですが、、
阿蘇国造神社には、鯰社があって、、あれは地震除けで作られたのかな?
違う方向を向いていたのです。
東を背に向けていたような・・それでものすごく気になったのです。
国造神社という名前で出てなくて、本殿は北宮だったか・・方位だったのです。
それで、太陽、東を背に向けた鯰の存在が気になったのでした。
佐賀の豊玉姫神社の鯰と同じなのだとしたら、神功皇后と関係あるのですけどね。
2025/11/27
熊本地震の震源地が分かりました。
それによると、
阿蘇国造神社、近くわくど石のあたりでした。
手野の名水 地域ブログ様より
てののわくど石 阿蘇北外輪山の坂道にいるわくど?と美容に良い手野の名水│Harada Office Weblog
わくど石
わくど石(奇石)は、「カコウセンリョク岩」と呼ばれる、マグマが地下深いところでゆっくりゆっくり冷え固まってできた火成岩です。そういう地下数十kmのところでできた岩石
熊本県の原始に関わるのですね。Wikipediaより
県内で人々が狩猟・採集活動を開始し、生活し始めたのは今から3万年以上前である。現在、県内で確認された最古の石器は、熊本市平山町の石の本遺跡出土の石器群である。アカホヤ火山灰や姶良・胆沢火山灰(AT)堆積の土層の確認や放射性炭素年代測定から分かった[2]。当該遺跡は旧石器時代に属し、石器製作地点としての性格を有するが、基本的にこのころは定住性の低い流動的な生活形態であった。
定住して集落をいとなみ、土器を製作するようになった縄文時代になると、遺跡の数が急増する。約1万年間にわたる当該時代、熊本県下にあっては約9000年前、縄文早期から生活の痕跡が認められる。同時期、鹿児島県を中心とする九州南部においては上野原遺跡にみられる先進的・独創的な土器型式を展開しているが、県下のそれは押型文土器・撚糸文土器など、西日本で広範的にみられる型式であり、南九州の影響は受けていないようである。
縄文前期に入ると、宇土市宮庄町の轟(とどろき)貝塚・同岩古曽(いわこそ)町の曽畑(そばた)貝塚などで特徴的な土器が出土し、それぞれ轟式土器・曽畑式土器の標式遺跡となっており、いずれも九州地方に広く分布するが、曽畑式土器は九州を超えて南西諸島にまで及ぶ。
縄文中期には、熊本市南区城南町の阿高(あだか)貝塚・黒橋(くろはし)貝塚などにおいて汽水域に生息する貝類が優位となるなど、海岸線の内陸進出が一気に進む。阿高貝塚は、当該時期における九州地方の土器型式を代表する阿高式土器の標式遺跡となった。
縄文後期には、菊池郡大津町のワクド石遺跡においてモミの圧痕のついた土器が出土するなど、農耕の痕跡が認められるようになる。熊本市南区城南町の御領貝塚・菊池市泗水町の三万田東原(みまんだひがしばる)遺跡などで出土した土器が、九州地方の土器型式を代表するとしてそれぞれ御領式土器・三万田式土器の標式遺跡となり、いずれも熊本県外にまで広く分布している。石器については、合志市の二子山遺跡から当時の石器製作拠点が確認されたほか、前述の三万田東原遺跡からはクロム白雲母製の装身具未製品が大量に出土し、同遺跡が装身具の製作拠点であったことが判明した。
縄文晩期になると、上益城郡益城町の古閑(こが)遺跡から出土した土器には器形の大型化への志向が認められ、当該時期における九州地方の土器型式を代表する古閑式土器の標式遺跡となる。
大陸からもたらされた稲作と金属加工技術によって生産性が急増した弥生時代に入ると、稲作に適した低地への進出がみられる。
阿蘇の地震によって、超古代の縄文の女神が目ざめて動き出したのですかね。
日本の国難が始まっていますから・・・救世観音?目覚めてくれたなら嬉しいですね
そんな気がします![]()
このブログは私の感応をもとにしていますが
実態は元々熊本の霊能者の方の指導を受けて
書いてきました。
ここまで阿蘇地震の実態に迫れたのは、熊本の霊能者の方のお陰であり、
これからも感応の源泉を探りながら頑張っていきたいと思います。
2025/11/30
京都文化博物館 世界遺産 縄文展の最終日に行ってきました。
レプリカだらけで、写真OK
レプリカは迫力がなく、不思議なのですが、、
土の持つパワーが感じられなく、、
・アスファルトで目をかたどった宇宙人のような人形
縄文時代にアスファルトの不思議。ヒスイは有名だけど、アスファルト、道路に敷いている鉱物。
それも、目に使用している。黒いけどぴかっと光るのですね。
・ヒスイの首飾り 押しつぶしたような丸玉。あの形が良いのだろうな。
・縄文人も家に祭壇をもち、祭祀していた
・熊本県平山市で最古の土器がありましたが、東北の大平山遺跡というのがあり
平山繋がりを感じた
・遮光器土偶は空洞だった
つまり、筒の神様で、、中の空気が重要ではないかと
天御柱神というものをそこに感じた
頭の上は火を型つくり、火の神ではないか?髪の毛は冠になって
御髪神
冠を持つものは不動明王であり、水の気配が濃厚ですが、
この遮光器土偶に不動明王、の冠を感じる
水の神、火の神が合わさった農耕神ではないか?と感じた
空の思想が見えるのです。
母木神、荒母木神、アラハバキ。
今までの知識の総体性を想う。
縄文の女神はどっしりとして、土に突き刺さる形ですが
頭がハンマーで、穴が開いているのです
あれは、やはり、食べ物への感謝なのか??
どうしてもミケツ神、食べ物のことも思い浮かびます。
ミケツ神とは
国学院大学 古典文化学事業より
縄文の神様を勉強してきましたが、脳内のイメージは
「かごめかごめ」がでてきています。鶴と亀を統べる。
まずは、明後日の12月3日に何が起こるのか?その後、不動明王のところに年内最後の挨拶に行き、
鷹峯(鳥ですね)に行くことになり、最後亀川温泉ということになります。
2025/12/7
今朝は竹生島弁才天のお祭りをしました。
年内の神事は少し予定変更となります。
12月3日は、九頭竜弁財天(白蛇さん)とのご縁結びでした。
そこで、勉強したのは、福井の九頭龍信仰は白山信仰と結びついていることでした。
その福井の白山信仰と八瀬の九頭龍弁財天はもしかすると同じ系統かもしれないと思いました。
それは醍醐寺の奥の院ともつながっていて、、
山伏、箕面の弁財天女、天河弁才天、役行者
12月6日に足が痛くて、家族に車で連れて行ってもらった場所は
玄人集団というか、それでも、まだ本格的な僧侶、密教行者としては
未熟な者たちの集まりでした。
これから本格的な祈祷の道に進むために明かされた道筋でした。
私はそこまで玄人集団に到達していないのですが、、このまま玄人集団に到達するのか?と言われれば
その道にはまだ進まないと思います。
祈祷師養成講座。それも、弁財天女を通しての祈祷師のようでした。
財運、美貌、芸能、の功徳のようです。
知らぬまに、ここまで来たと言う感じです。
優婆塞ですね。
2026は真っ暗な星回りのようですので、地道に地面に伏せて過ごしたいと思っています。
2025/12/9
12/8の夜中地震があったようで、津波警報が出されましたね。
陸地でないので、まだましのような感じですが
やはり、日本の火山、地熱の活動が高まっているようで、、
ハワイのキラウェアも溶岩ドロドロです。
震源地というか、速報が流れたのは青森県で北海道沖みたいですね。
この前、京都で東北地方の縄文展を見に行きましたが、、その時に
青森県から始まったのです。
大平山元遺跡 青森県外ヶ浜町です
北の縄文時代の始まり、、縄文文化一万年の始まりです。
一番古いってことですよね。
九州阿蘇の次に、、やや大きめ地震が東北に来たことが気になりますね。
年内に火山の別府温泉に泊まりに行きますし、
何事もなく、無難になっていただければ嬉しいですね。
そういえば、この京都の縄文展に行くときに、
夫には事前に一言も縄文展に行きたいなど言っていなくて、
朝6時に夫の寝室に行って、いきなり今日最終日の「縄文展」に行きたいと申し出ますと、、
夫が、なぜ行きたいのか理由を答えろと言うのです。
夫への理由
この前、阿蘇に地震があったでしょう。2025年11月25日
あの時に、震源地が阿蘇の縄文の女神、白蛇さんと関わりがあると思ったんよ。
阿蘇神社や阿蘇国造神社に行ったでしょう。
それで、阿蘇の白蛇さんの為に
東北の縄文展に行きたいねん~
よしわかった・・夕方には広島時代の知人たちと飲みの誘いがあるから、すぐ帰るからな・・
本当にわかったのかな??![]()
疑問に思いましたが、あの辺り京都文化博物館は瑠璃光院に友人を連れていくため
調べ倒していた場所なので、大丈夫でしょう。
行き当たりばったり縄文展にGOTOです。
きっと、京都市内は紅葉が綺麗だろうけど、、夕方戻りということで、時間がなく紅葉には行けずに、クレイフィギュアを観に行きました。
その時に、最初に、大平山元遺跡を知るのです・・・
これの為に縄文展に来たのだなぁと理解したのでした。
