《自己紹介》

 元シングルマザー

 2020年 初婚の男性と子連れ再婚。

 

 転勤族の主人と、6歳差兄弟の4人家族花

 パート助産師として働きながら全国各地で

 暮らしています。

 岡山県⇒福岡県⇒大分県指差し今ここ

 

 2015年生まれ しっかり者の長男ぴーと

 2021年生まれ イヤイヤ全盛期の次男ぽん助

 2024年1月 長女まるチャン出産
 ("生きてるだけで丸儲け"から↑まるチャンに看板持ち

 

 ☆第3子が妊娠28週に先天性心疾患

 ファロー四徴症疑いと胎児診断を受けましたびっくりマーク

 妊娠経過の振り返り、誕生後の治療について記録して

 いきます看板持ち{できるだけ明るく綴りたいなぁ

 

 

 

  赤ちゃんが『ファロー四徴症』と診断されて思ったこと

 

 12年前に他界した父の話になりますが、

 実は、私の父も先天性心疾患をもって

 生まれていました。

 (ちょうど3月7日が父の命日

  父が思い出させてのかなニコニコ

 

 

 

 元気に生まれて小学生までは活発な

 スポーツ少年だった父。

 

 

 しかし、小学校での集団検診(心電図?)で

 精密検査が必要となりました。

 

 

 

 父も祖母も亡くなっているので

 父の原疾患が何だったかは分かりませんが、

 小学生の時に「心臓手術が必要な状態」と

 診断を受けました。

 

 

 

 そして、その時の手術により

 術後感染症を起こしてしまい、

 心不全に陥ってしまいました。

 

 

 

 

 身体障害者一級。

 

 

 

 母と結婚した頃は仕事に就いていましたが、

 徐々に心臓の働きが悪くなり、

 私が物心つく頃には、もうすでに

 1日のほとんどを寝たまま過ごしていました。

 

 

 

 そして、59才で亡くなるまで

 何度も入退院を繰り返し、生きていくためには

 十数年に一度のペースで人工弁を交換する

 手術も必要でした。

 

 

 

 なので、父が入院している時は

 週末に母・姉と一緒に街中にある病院へ

 面会に行くことが楽しみのひとつでしたひらめき

 

 

 

 思い起こせば、コミュ力おばけおばけだった

 生前の父笑い

 

 

 

 すぐに同室の患者さんや看護師さんと

 仲良くなり、病室の雰囲気を明るくしちゃう

 父の姿を、小さいながらも鮮明に覚えていますニコニコ

 

 

 

 楽しい思い出とは反対に、

 私が幼少期だった頃、高校2年の時、

 そして最期となった27歳の冬の

 人工弁置換の手術。

 

 

 

 私の成長と共に、父の手術前後の記憶も

 鮮明に覚えています。

 

 

 

 

 

 人生をかけて生きる強さ、命の尊さ

 ”自分らしく”生きる意味を

 教えてくれた父の姿。

 

 

 

 『私があのとき手術を受けさせたから

   あの子(父)を障害者にさせてしまった』

 と、自分を責め続けていた祖母の姿。

 

 

 

 周囲から同情されるほど

 "苦労した"の一言では片付けられない

 人生だったにもかかわらず、

 いつも明るく強かった母の姿。

 

 

 

 

 

 

 私と家族の半生は

 父の闘病生活と共にありました。

 

 

 

 

 

 そして、

 私が職業として医療に携わりたいと思ったこと

 

 

 

 命に係わる助産師の仕事が好きすぎること

 

 

 

 私が今の職業にたどり着くまでに

 この”普通ではない”生育歴が

 間違いなく影響を与えていました。

 

 

 

 

 

 

 今回、第3子を奇跡的に妊娠し

 その子に先天性の心疾患の疑いが

 あると言われた日。

 

 

 

 

 心エコー検査までの数週間

 先天性心疾患について調べ尽くしていました。

 

 

 

 

 この子は心臓の他にも合併症を

 もっているかもしれない。

 

 

 

 染色体異常もあるかもしれない。

 

 

 

 いずれにせよ、奇跡の子。

 生命力の強い子に違いない。

 

 

 

 きっと、困難も含めて宿命や強い使命感をもって

 私たちを家族に選んでくれたに違いない。

 

 

 


 

 心臓病と共に歩む人生については

 よく分かっている。

 

 

 

 

 

 私をお母さんに選んでくれたことに感謝をして

 「どんな子であっても大丈夫」という覚悟をもって

 心エコー検査の日を迎えることができていました。

 

 

 

 

 そして、診断はファロー四徴症

 

 

 

 むしろ、たくさんある先天性心疾患の中でも

 ファロー四徴症なら、手術さえ乗り越え

 られたら予後はいい!

 

 

 

 「ファローでよかった」とさえも感じました。

 

 

 

 

 唯一、私が胎児診断を受けてから泣いたのは

 母に対して抱いた1つの感情からでした。

 

 

 


 

 何度も経験した命懸けの心臓手術。

 

 

 

 家族の無事を祈る手術待合室の

 独特の雰囲気。

 

 

 

 I術後にICUで面会するあの瞬間。

 

 

 

 その場面を知りすぎている母に、

 同じような不安・苦しい経験を

 再びなぞってしまうこと。

 

 

 

 

 なぜだかわからないけど

 母に対して「申し訳ない」と思えてしまって、

 その日だけ号泣しました。

 

 

 

 

 

 母にも、まるチャンが生まれる少し前に

 手術が2〜3回必要な先天性心疾患を

 患っていることを話しました。

 

 

 

 『家族が心臓手術を受ける苦しさは

  誰よりも分かってる。

  あなたも私と同じような人生を歩むのかと

  思うと、それが辛いわ。』

 

 

 と、静かに話してくれました。

 

 

 

 

 

 「あぁ、母親っていくつになっても我が子の幸せを

  願ってるんだなぁ」と改めて感じました赤ちゃんぴえん

 

 

 

 

 母に話す前に、もう十分泣いて

 自分の中で気持ちの整理もできていたので、

 

 

 『私は大丈夫から心配しなくていいよキラキラ

  むしろ、まるチャンが母親として私を

  選んできて「見る目ある〜指差し」くらいに

  思ってるよ飛び出すハート

  まるチャンの無事だけ祈ってくれたら嬉しいニコニコ

 

 と、心から伝えることができました。

 

 

 

 大丈夫スターまるチャンさえ無事なら

 母は強しだよニコニコ

 

 


 どうか、無事に生まれてきてね。

 

 

 

 

まるチャンが生まれる少し前の
長男ぴーと(8才)
次男ぽん助(2才)