walkが青森県にはいった。
六ヶ所村まであと3日。
吹越烏帽子まであと5日。
とうとう到着。
歩きはじめたころ。歩くのがうれしくて、うれしくて、しかたなかったころ。
このまま3ヶ月間歩いたら、最後は宙に浮いて、空を飛べるかもしれない、などと思っていた。
だけど実際には、やっぱりくたびれて、今は地を這うみたいに歩いている。若者たちも、力を振り絞って歩いているように見える。
もちろん、もっとインターバルをあけて歩けば、力はついているわけだけれど、休みの日だって忙しく、3ヶ月間歩きつづけてきたわけだから。
といってもぼくはこのごろ歩かない日が多い。トークをしたり、原稿書いたり、一昨日は六ヶ所村まで行ってきたりして。でも、ほんとうはトークはすごく疲れる。歩くほうがずっといい。山陰から若狭へかけて、何も考えずに歩いていた日々を、なつかしく思い出したりして。
巡礼ははっきり3つのパートに分かれていた。
出雲から白山までは弥生時代以降の渡来系の神々の聖地巡礼だった。越の国(越前・越中・越後)ではよくお寺に泊めていただいた。道元、親鸞、日蓮たちの仏教の聖地を巡った。そうして福島県から東北地方に入ったとたん、神々の雰囲気がガラリと変わって、縄文の神々の世界にはいった。そこにはまだ「森のお母さん」がイキイキと息づいていた。
つまりこの3ヶ月かけて、縄文の神々の世界、渡来系の神々の世界、仏教の(神々の)世界を巡ってきたように思う。これら3種の神々は、これまで歴史的に支配・被支配関係にあって、軋轢もかかえてきたのだけれど、みなこの国の神々であり、私たちの内に在るものであり、「おむすび巡礼」はそれらの神々の世界を結んできたように思われる。
Walkはまた、別の意味で2つのパートに分かれていた。
出雲から白山までは、ぼくがはじめに歩こうと思った巡礼だった。その間ぼくはずっと先頭を歩いた。
白山で若者たちにバトンタッチした。若者たちが先頭に立ち、若者たち主導のwalkがはじまった。
マイサ(正木)の巡礼から若者たちのwalkへ。60年代を生きたエルダーから、2000年代のカルチャーをクリエイトすべき新しい世代へ。
そのシフトはすばらしくうまくいったと思う。
そして彼/彼女たちがグラウンディングというキーワードをしっかりと自覚しはじめたのは新潟あたりからだった。東北地方はすっかりグラウンディングの旅だった。最初から通して歩いてきた若者たちがつぎつぎに「お母さんに抱かれる」ような意識を体験するようになった。
それは彼/彼女たちの顔を見ているとすぐわかる。自然の母さんに抱かれると、顔が輝く。うれしくて、うれしくて、たまらないような、よろこびに輝く。それがいちばんの収穫だったと思う。
圧巻は早池峰山だった。
6と9は今年のムーヴメントのキーワードだ。
6ヶ所村へ向かうwalk9にとって6月9日はとても大切な日。
各地でさまざまなイベント、ギャザリングが開かれた。
ぼくもいろいろ誘われながら、どこで何をしようと迷っていたけれど、迷いながらとうとうどこへも行かず、walkのメンバーとともに過ごすことに決めた。それもイベントをやるのではなく、東北の森に抱かれて祈りの時をもつことにした。
岩手県の宮古で6月9日をむかえたので、早池峰山のバンガローに泊まって、一日すごすことにした。何もせず、ひとりひとり、東北の森の奥深く、静かな時をすごした。
すばらしい日になった。ブナの森が美しかった。森を流れる渓流も、森をわたる風も、光をたたえていた。お母さんの匂いを運んできた。小鳥たちが胸いっぱい歌い、蝉も蛙も虫たちも歓びの大合唱をした。
ぼくは遠野の早池峰神社にお参りをしてから、ブナの原生林の奥深く、滝へむかった。頂に雪を残す渓流の水は冷たかったが、みそぎをしてからお母さんにご挨拶をして、笛を吹いた。思いっきりお母さんに歌った。
うれしかった。気持ちよかった。
東北の森のお母さんに、九州・高千穂の民謡「刈干し切り唄」を歌った。すごく喜んでくれたように思う。帰り路、山を下りながら、両手をぎゅっと握りしめて震えるほどの喜びを感じたから。
胸が痛いくらいうれしかった。
それですっかりぼくは安心した。
東北の森の、縄文のお母さんに会えた。
あと一週間で夏至。
とうとうここまでやってきた。
みんなありがとう。
22日へむけ、日々walkの参加者が増えつづけている。夏至の日にはどれくらいになるのだろう? 100人くらいかな? もっと?
みんなに会える日が楽しみです。