問い詰められてしょーもない言い訳をしたり、理想を語るわりにその実が伴わなかったり、妄想に取り憑かれて道を誤ったり、そういうのが許せなくて自律と学びを追求していたら、倒れるまで疲れていることに気付かないとか突然涙が流れてくるまで何が嫌なのかわからないとか、そういうの。
そういう偏狭な脳みそを笑い飛ばす力が、音楽や映画なんかにはあるよね。
図書館の偉大さを思い知る。
だってお金が全くなくても、世界中を旅したり深海に潜ったり社交界で踊ったりすることができちゃうんだよ?
もちろん実体験がなければその想像の範囲も狭くなるかもしれないけれど。
言葉って不思議で、見たこともない情景なのに、形容と行間で脳内にイメージを作り出して見せてきたりする。
だから大して意味のないサービスのために公立図書館の運営を業者に委託して、腕のいい司書を手放したり蔵書を減らしたり、なんていうバカなことはやめて欲しいんだよなー。
お金のために無自覚に文化を殺すなんて、人間としてやばすぎる。
いい子になんかなるなよ、って誰かが言ってたのを真に受けて私はこれまで生きてきたし、たぶんうっかりするとすぐに馬鹿みたいに従順になっちゃうから、他人にどう見られるかよりも自分がどう在りたいかを考えるんだと思う。
綺麗なものを見せることがマナーだっていうのはわからなくもないし、ステージに立つ人間からしたら「見せられる泥臭さの範囲」をわきまえておくのも必要なことなのかもしれないけどね。
でもそれだって、決めるのは自分だよね。