"戦争は終わりにしよう"からの"シュプレヒコール"でWhy can't we be friend?だったから、最近お店を出した友達のことと、こないだ見た『原爆の図』の「署名」という絵のことを思い出した。

それから、ずっとずっと音楽をやり続けている友達とまた会って、「ここに行けば会える」って思える安心とか嬉しさとかについて考えた。

私がなりたかったものだ。

人は変わるけど、変わらないこともある。

それでやっぱり、みんながちゃんと自分が幸せになることを考えて、毎日がどんなにつまんなくても楽しいこととか好きなものとかとちゃんと向き合って生きていけば平和になるんだっていう言葉は、本当だなって思った。






telmino to do el odio
私はすべての憎しみを終わらす

そんな強さ持てそうもないけど、人が刺してくるナイフみたいな言葉に傷ついて自分を殺すか相手を殺すか毎日グルグル考えていた14歳の頃よりも、私は今ずっと生きる力を付けていて、綿で受け止めて刃を握りしめて突き返すくらいできるし、吐き出された汚物を受け止めても洗い流したり燃やしたりできるだけの場所を知っている。

誰かのせいで消耗させられてる、なんてくだらなすぎるから、蹴散らすよ。

器を広げよう。