日本には先輩後輩文化というものがある。

 

私はこの文化を尊重している。

尊重しているものの、嫌いだ。

 

この文化はそもそも年功序列の文化の延長線上にある文化なのではないだろうか。

私は年功序列の文化に最近疑問をもっている。

 

佐賀県に住んでいたときに、現地の中学校で先輩後輩のヒエラルキーのようなものを目の当たりにした。初めのうちはそう苦痛には感じず、むしろ興味さえ持っていた。もともと、誰かの下で働くといったことがそれほど嫌ではない性格だったのだ。

クラブの先輩にもきちんと敬語で話、敬意を払って接していた。同級生たちが裏では悪口を言っていても、あまり加わる気にはなかった。

 

だが、ある時勘違いで先輩に注意されることがあった。同級生に話していた時に近くに先輩がいて、タメ口で話していたことを先輩が自分に向けて話しているのだと思ったのだ。当然、敬語はどうしたという注意をされた。もちろん自分は同級生に向けて喋っていたと弁解したが、あまり信じてもらえなかった。

 

この時に真面目に文化を守っていた自分がとてもバカらしく思われた。そして、このモヤモヤした感情をもったまま海外へ移住した。そして高校を海外で過ごし、上下関係が少ない文化に慣れた。海外には先輩後輩文化はない。そして日本を外から見る中でこの文化が好きとは言えなくなった。

 

この前、同じく海外渡航経験がある同級生の友人と話した時、この文化が話題になった。彼は年功序列の文化自体が嫌いだそうだ。何もかもを年齢のみで判断し、歳を取ったら自動的に偉くなることに納得がいかないそうだ。この話を聞いて、気持ちは分からないことはないなと思った。自分は歳を取っている分人生経験が豊富だから尊いと考えている。だが、この友人は年齢にはそぐわない様々な経験をしている。確かに彼に勝る数の経験をしているものは少ないだろう。

 

先輩後輩文化。

もちろん日本文化の代表的なものの一つだと思っているため、これからも従うが、これを好いていくかは変わっていきそうだ。

…前回(1/12)のつづき

 

 

人と関わる大切さに触れた自分は、現京都期間では積極的に人と関わろうと決めた。おかげさまで、京都期間ではこれまで以上に仲良く接してくれる人が多いように感じる。さて、これからどうなるのか、ヒヤヒヤである。

 

さて、自分のことばかり書いてしまったが、ここからが本題である。

 

先にも書いたが、自分は「ボッチ」のときも「リア充」を敬遠したことはなかった。むしろ、カップルなどは見ていて微笑ましいものもあったため、嫌ったりはしていなかった。

 

ところが最近、どうやら「ボッチ」のキャラの人は「リア充」のキャラをあまり良く思っていない人もいるようだということを知った。

 

どこまで信憑性があるのかは皆目見当もつかないが、人の妬みは怖い。みんなから好かれるとかそのような阿呆なことは考えないが、好き好んで敵を作りたくないであろう。

 

はてさて、どうしたものか、自分がリア充だとは到底思っていないが、他人からはそう見えているのかもしれない。

 

これまで、ニューヨークのこともあって、ボッチキャラにも関わろうとしていたが、あまり関わりすぎるのもよくないのかもしれない。いわゆる「ポライトネス理論」というやつだ。

 

 

考えすぎだろうか…

まあ考えるのが好きなので、考えることで他人に迷惑をかけているわけでもないと思うので、いいのだが、考えれば考えるほど、分からなくなってきた。

 

人間関係とは難しいものだ。

 

 

− 終 −

前回(1/5)のつづき

 

 

もちろん、いいことも「楽だ」ということ以外にもたくさんあった。クラブ活動だ。友達と出かけるなどということが皆無なので、高校は授業時間外はほぼクラブ活動などに打ち込んだ。最終的には10以上のクラブに所属し、5つほどクラブの部長やら代表やらを務めた。

 

だが、クラブなどで人と関わるうちに、人と関わるその面白さや大切さが見えてきた。大切さといえば、まず情報網だ。一人でいると、手に入らない情報がたくさんあった。特にアメリカ社会は基本「情報は取りに行く物」なので、どんな重要な情報でも誰かに聞くしかない。これには一番困っていた。

 

例えば、宿題が出されたとする。日本であれば流石に内容が変わったりした際には、きちんと全ての生徒に情報を回そうとする。だが、アメリカは違う。先生によっては一人に伝えておいて、その人から広がっていくこともあるのだ。もちろん、それは大した「変更ではないからだ」などといった根拠があるのであろうが、これがテストのヒントだったりすると、非常に損をする。

 

しようがないので、高等部の後半ごろからは同級生のグループチャットにお邪魔させてもらうなどして、情報収集に努めた。ここで「大切さ」はカバーできたが、やはり物足りない。もちろん、高等部の後半に入った時点で「友達」と呼べる存在はそれなりにいた。

 

インターナショナルスクールというところは元来生徒の転入転出が多い。中等部の終わりから高等部卒業までいた自分は、比較的古参の存在になっていた。その転入転出が多いという性質を使って、ニューヨーク期間の最後の半年は友達と街へ出るということができた。

 

それはそうだ、新入生は自分がボッチキャラだということを知る由もないのだ。さらに、コロナ禍で学年がグループ分けされ、さほど大きな学校ではなかったが、そもそも同級生で知らない人がいるという状態が生まれた。

 

このような好条件が重なり、高等部の卒業式前後は友達とかなり出かけることになった。ボッチに慣れている身には度々めんどくささも感じたこともあったが、それも出かけて帰宅する頃には「ああ、行ってよかった」のように満足するのが醍醐味だった。なにより楽しかった。

 

 

次回(1/19)につづく…

新年早々の話題にすべきなのだろうが、思い付いたのだからしょうがない。

 

 

最近「人間関係」というテーマについて思うことがあるので、少し書いてみようと思う。

自分はたびたび引っ越しをするたびに自分の「人間性」を微妙に変えてきた。

 

茨城期間ジュネーブ期間はひたすら明るいキャラだったと思っている。佐賀期間(山内)の時は明るく、面白いキャラであろうと心掛けていた。その結果、言葉が通じることもあり、友人にも恵まれたと思っている。その反面、自分を出しすぎたとも考えていたため、次のニューヨーク期間では初めは非社交的・秘密主義なキャラに変わった。

 

すると、言葉が通じないことも大いにあったが、あっという間に孤立した。いわゆる「ボッチ」という立ち位置だ。もちろん「友達」は少しいたが、あくまで話し相手であって、佐賀のような近しい友達はいなかった。

 

休み時間は図書室の角で必ず一人でいるし、話し相手は両親や兄妹、そしてせいぜい先生だった。だが、楽ではあった。そもそも話さないので、人に全く気を遣ったりすることがないのだ。昼食もほぼ一人でとって、悠々自適に過ごしていた。

 

日本と比べ、非常にオープンでフレンドリーなアメリカ社会ではとても勿体無いことをしたと考えている。当時から自己分析はできていたが、まじめに問題視をしていなかった。むしろ、正当化していた。ニューヨーク期間の最後の半年までは完全に孤立したキャラだった。

 

だが、いわゆる「リア充」の人たちを妬んだり、悪く思ったことはなかった。

 

まあ何より、話し相手には妹がいるし、山内に彼女はいるしと不自由していなかったのだ。それが、この状態をより悪化させていた。

 

 

次回(1/12)につづく…