ぽーるそんさんの記事は、特に縄文や古代史が好きな方、関東圏にお住まいの方には目から鱗な歴史やわたしたちのルーツが生き生きと書かれてあり、とても面白いですぽーるそんさんの文章に触発されて、熱いものが込み上げてくると思います。
私自身も知らなかったのですが、
私の地元千葉県は、縄文時代の頃、中心地だった可能性が高く、特に市原市においては古墳の数が全国の中でも極めて多い土地なのです。
(詳しくはぽーるそんさんの記事を読んでみてね)
自分の住む千葉県が、かつて縄文の頃中心地だったなら、
その当時この土地に暮らしていた先祖たちは、どんなことを考え、何を祈り、どんな風に暮らしていたのだろう?
人々の中に、縄文へ回帰しようとする意識が大きく動いている今
今のわたしたちに、何を伝えようとしてくれるだろう
これからどうやって生きていったらいいんだろう
そんな漠然とした不安にも、何か知恵やヒントが、自分が住むこの土地からもらえるかもしれない。
そんな思いから、千葉の古代史について調べ始め、直ぐに市原の歴史の奥深さに辿り着きました。
そして、市原の歴史や土地を調べてみながら、
自分がどうしても気になったのは、戸隠神社の麓にある雷電池(かんだちがいけ)でした。
雷電池 と検索すると、
有名な埼玉県坂戸市の脚折雨乞が出て来ます。
奇しくも検索したその翌日、
丁度8年ぶりの脚折雨乞の日で、有り難くライブ配信にてご神事を見ることが出来たのでした。^^
大迫力の人々の祈り脈々と受け継がれる雨乞い神事。どれだけ雨が人々にとって重要なものだったか、伝わって来ました。
「あーめー降ーれー、たーんじゃくー(帝釈天)、こーこにかーかれ、くーろぐもー(黒雲)|
という掛け声が、忘れられません
地元を上げての一大行事(神事)、最早坂戸市のアイデンティティといっても良いでしょう
人と土地の神様が繋がるための重要な御神事に感じました。
その一方で、市原市惣社にある雷電池は、地元の方でも知っている人は少なく、もうその池の読み方も、その由来も、分からなくなっているようでした。
ただの溜め池と認識されており、雷電池のために訪れる人は、ほぼいないようでした。
一体この池は、なんなんだろう?
すごく気になった私は、更に雷電池について調べ始めたのでした。
続きます
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Shiori
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