同期のNが亡くなった。

奥様の電話で知った。


耳を疑った。

12月の9日に練習があり、

「来週の忘年会には出られないから」と、彼が毎年作成している花の写真をテーマにしたカレンダーをくれた。

「ありがとう。それじゃ、良いお年を、といっとくね」というような会話を交わした。



長年勤めた会社を退職してから、好きだった植木の手伝いやボランティア活動を楽しんでいたという。


その日、出先のシルバーセンターで作業中にハシゴから落下、周りが駆けつけた時はすでに事切れていた。

搬送された病院で緊急手術が行われたが手の施しようが無かった。

死因:急性動脈解離。


11月の健診で何処にも異常がなかった。もちろん心臓にも。

そうお話になる奥様の声に初めて無念さが滲んだ。

奥様が病院に駆けつけた時は手術中だった。ハシゴから落ちたと聞いたから骨折でもしたのか、と思ったが、医師に呼ばれて死亡を知らされた。


告別式の日時場所を伺い、同期のSとクラーククラブの主だったメンバーにメールした。

返信は突然で言葉にならないという内容ばかりだった。


告別式には北大合唱団OB会メンバー24名が参列した。

にこやかに微笑むNの遺影は1週間前に撮影されたものだ。棺に横たわるNの顔も写真そのままに頬の肉付きも良く、生気に満ちているように見える。

心臓だけがいけなかった。


献花と弔電の後、クラークメンバーで『都ぞ弥生』を歌った。音程が不揃いで出来は良くなかった。

Nは苦笑いしていたに違いない。


無宗教で読経などがないため、献花の折に2019年第11回演奏会で歌った『北の吟遊詩人たち』の録音CDをかけさせていただいた。

『北の吟遊詩人たち』にしたのは来年9月に札幌で開催される北大合唱団OB会の演奏会で取り上げられ、Nも一緒に歌うはずだったからだ。

ご遺族のご意向か、出棺まで何度もリピートされた。


ロサンゼルス在住の庭師をされているご長男よりご挨拶があり、12月16日Nが練習を休んだ理由が判明した。ご長男が十数年振りに帰国し、都内に住むご次男を交えて家族4人の団欒を満喫したのである。

遺影はご長男が米国へ帰る空港にて家族4人で撮影されたもの。Nの満面の笑顔が辛い。


ことの経緯を訥々と語っていたご長男が「オヤジィ!」と呼びかけ、悲痛な様子で

「これを云ったら終わっちゃう!」

そして絞り出すように

「これまでありがとうございました!」と深々と頭を下げ、父親へ別れを告げた。


Nはロサンゼルスまで長男の仕事を手伝いに行ったこともあったという。幸せな家族、素敵な親子だったに違いない。


Nとは特に仲が良かった訳では無い。同期生として即かず離れずの間柄ではなかったか。ただNは同期の間では情報センターのようなポジションで、彼が云い出し差配しないと同期会が開催されないのである。

今回難儀したのは、最新版のメンバーの連絡先を承知しているのはNだけだからだ。


Nは昔から酒もタバコもやらない、マージャンや囲碁とも無縁なタイプだったから、およそ私と一緒に行動する機会はなかった。合唱だけの付き合いと云ってよいだろう。しかしそれも向こうはトップテナー、こっちはべース、と立ち位置が離れている。


その距離が多少埋まったのは、私がクラークに入ってからだろう。とはいえ、彼の家族や仕事などは彼との別れで初めて知った。


数日経てもNのことが心から離れない。些細な昔のことが何かと思い出される。

ようやく心から離れない理由にたどり着いた。


喪って初めて気づいたのは、私が彼をどう思っていたかだ。

Nは大切な友人だったのだ。