『寿歌(ほぎうた)』(作:北村想/演出:千葉哲也/シス・カンパニー公演:新国立劇場小劇場/2012.1.15)を観てきました。1979(昭和54)年に初演された「現代演劇の古典」といわれる出演者男二人女一人のこの芝居、東日本大震災とその後の光景と重なって、このところ、あちこちで再演されているといいます。


とにかく面白い芝居でした。訳のわからないところは随所にあるけれど、気心を互いによく知ってる男優二人(堤真一・橋本じゅん)の達者な掛け合いや、それぞれが戸田恵梨香演ずるキョウコの天真爛漫な「女心」に振り回される様子は単純に(しかも大いに)笑えました。大阪のしゃべくり漫才やドツキ、それに三河万歳風な大道芸など、独立のパフォーマンスとしても十分楽しめるもので、関西弁独特の嘘とも本音ともつかない口調の味わいとともに、出演者全員が兵庫県つまり関西出身だからかもしれません。

また、テーマ性や意味づけを拒んでいるような展開は、見る側に良い意味での緊張感を与えていて、私など、わかりかけた気になった途端、ただのおふざけだよ、と肩透かしを食わされるのがけっこう楽しくて爽快でした。

「ええかげん」でゆるい進行とその裏にある人情…、何やら松竹新喜劇風ですが、実際『寿歌』はその線上にあるといっていいでしょう。ただ裏にあるのは人情ではなく「ニヒリズム」だろうと思うのですが。


久しぶりに「ニヒリズム」という言葉を使いました。20世紀にはよく耳にした言葉です。使いたくなったのはキリスト教が扱われていたからです。とはいえ私にこの言葉を解説する資格はありません。


昨年の8月24日の朝日新聞に作者の北村想氏へのインタビュー記事が掲載されています。作者の想いはほぼそこで明かされているように思われます。同世代の私としては共感するものが多くあります。


もう一度観に行く予定です。今日感じたことも含めていくつかある謎のありかを確かめてきます。またあの頃のような青臭い議論をしたくなりました。