みんなの夢は僕の夢

みんなの夢は僕の夢

「ライフプランニングって何?。」
それは夢をかなえるもの。ステキな未来を築き上げるもの。
お客様との触れ合いの中で、皆さんの夢が叶えられることが僕の夢でもあります。そんな普段の活動の中から起きたエピソードを中心に書いていきます。

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普段、テレビを見ない僕でも、NHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀」という番組だけは、録画してでも見たい番組。
今日は自宅に早く戻ってきたので、1ヶ月前に放送された回をやっと見た。


その回は、壮絶な命の現場の回だった。


虎ノ門病院血液内科医 谷口修一先生。
他の病院で余命宣告された血液がん・白血病の患者さんに、臍帯血移植などを行い、希望を与え続けている先生だった。
治癒率3割。
たった3割という無かれ。
絶望の淵におかれた患者さんを「3割も」救っているのだ。



そしてその数字の影には、お引き受けした患者さんを「7割も」看取っているという現実がある。



谷口先生は、若い頃、九州大学の師匠である原田先生にこう言われたそうだ。



「助かるかどうかは関係ない。助けろ。」



なんと壮絶な言葉。
その言葉を背中に、最前線に立ち続ける先生の姿に涙が止まらなかった。


この放送では、ある50歳のお母さんを追っていた。
やはり白血病で、他の病院で余命数ヶ月と診断され、谷口先生の移植に一縷の望みを懸けた。



彼女には中学生の娘さんがいた。
その娘さんを想う言葉が、また心に刺さった。


「『子どものために生きる』というのは、自分が生きなきゃできない」


誰かのために生きる。
偽善的な言葉かも知れないが、誰もがそんな想いは持っているはず。
でも生死の狭間で、初めて「他己のため」に「自己を守らなきゃいけない」と気づく言葉は、余りにも重い。



移植後2ヶ月で、このお母さんは、谷口先生達の懸命な努力にもかかわらず亡くなる。
でもその闘いは決して無駄ではなかったはず。
そう、お子さんにとっても。
番組の中では描かれてないが、多分お子さんはそんなお母さんを誇りに持って、これからを生きていくだろう。
愛された記憶を胸に。



そして今日も谷口先生の闘いは続いている。
3割を4割に。
4割を5割に。
何としても助けるために。



僕らは、今目の前にいるその人のために、どれだけのことができるだろうか?。
その覚悟があるか?。
先生の背中に、改めて教えられた想いだった。


感謝。
先日、会社に一通の手紙が届いた。
流麗な筆文字で宛先が書かれた手紙を見て、宛名を見なくても、誰だかわかった気がした。



先月のシルバーウィーク。
僕がこの仕事に就いてもう8年以上になるが、初めてと言っていいぐらい長いお休みを頂いた。


そのお休みを使って、福島・栃木・茨城を旅してきたのだ。
お客様も何人かいる中で、お会いしに行くという目的はあったにしろ、むしろ震災以降初めて足を踏み入れるそれらの場所で、色んな人からお話を聞き、自分の目で色んなものを確かめたかった。


敢えてわかりやすい場所には行かなかった。
まだまだ復興は端緒の尾を付けたばかりだ。僕らが行って、全く手付かずの場所を見て、その現状を伝えていくのは、他の方におまかせしようと思った。
むしろ、その周り。表面上は何も問題ないように見えるところ。
そんな場所を回りたかった。


様々な場所で色んな人の話を聞いた。
額然とするものもあった。
思わず涙がこぼれたこともあった。
そんな何日かを過ごして、最後の夜。
僕は茨城の水戸にいた。


その日は3連休の最初の夜。
水戸に初めて降り立った僕は、大きな都市と言うイメージとは、およそかけ離れた駅前で夕食を取る場所を探していた。
時刻は19時。
駅前は若い人を中心にある程度の人はいるとは言え、駅ビルのわかりやすすぎるぐらいの照明の強さには、およそ不釣り合いな人通りだった。



そんな中で、一軒の居酒屋に入った。
地元の野菜を中心としたメニューに目が留まり、ちょこっと中を覗くと内装を含めて、ステキな感じだった。


話は逸れるが、なぜかこういう時の嗅覚は、自分でも感心するほど敏感で、まずハズレのお店に出くわしたことがない。
この日のお店「わびすけ」も、そんなお店だった。


女性2人がやってらっしゃるお店で、僕が入った時はカップルが一組だけ。
その後も、カップルが2組ぐらい入ってきただけで、総じて「ヒマ」な感じだったので、僕はお二人にずっとお話相手になって頂いた。


お店のこと、震災のこと、お二人のご自身のこと、水戸のこと、ご実家のこと。。。。
僕もなぜこの旅をしてきたのか、どんな想いで震災を見てるのか、自分自身のことも含めて、色んなことを話した。


この閑散とした状況はやはり震災以降のことで、水戸駅周辺はその昔、千波湖を埋め立てたもので、震災の影響で液状化が激しく、多くの店がのれんを降ろしているらしい。
その上、「わびすけ」は地元の食材を使うことが売りなので、原発事故による風評被害でかなりのダメージを受けたそうだ。


お二人のうち、店長と思しき人と主に話してたのだけど、


いつのまにか泣いてた。
目を真っ赤にして。
そして僕ももらい泣き。


でも、その店長がきっぱりと言った一言が突き刺さった。


「でもね、ここで生きて行くしかないんですよ。ここで頑張るしかないんです。」


その時、彼女は「ヤマトナデシコ」だった。


結局は閉店まで、ほとんど店を貸し切りにしていたぐらいの状況で、贅沢な夜を過ごした。
帰りにお店の外まで見送りに来てくださった彼女に感激しながら。


届いた手紙の筆文字は、まさに「ヤマトナデシコ」の文字だった。
彼女ならこういう字を書くだろうなと思った。
だから開けなくても、誰からだかわかった。


その手紙は便箋4枚もあった。
その中の一文が嬉しかった。


「中野さんの心に触れて、熱い気持ちになりました。」


想いは伝わる。
共鳴する。
だから伝える努力をやめてはいけない。
思いの丈を込めて「伝える」。
いつまでもそんな人でありたい。
だから、ブログに戻って来た。



「わびすけ」の伊藤店長、千秋さん。
また必ず行きますね。
震災を機に、ブログを書くことをお休みした。



自分自身にも色んなことが起き、今でも色んなことが起こっていて、心の余裕が無くなった。
いや、無くなったと自分で決めつけていた気がする。
「自粛」などという言葉に、圧倒的な反抗意識を示していたのにも拘らず、心はへたっていたらしい。


でも先日、あるお客様にいきなりこのブログのことを聞かれた。
そのお客様は、わざわざネットで僕の名前を検索して、このブログにたどり着いたと言う。
「~の話、泣きました。」とそのお客様は告白してくれた。



恥ずかしかったけど



嬉しかった。



だからまた少しずつ書こうと思う。
読んでくれる人がいるなら。


もう一つ


今日、ある手紙が届いた。
それが僕の背を後押ししてくれた気がする。



その手紙については、次のブログで書こうと思う。



とりあえず



ただいま。