12月3日の 河井継之助記念館の講演会はとても面白かった。
講師の先生は 小川和也先生。
ご専門は歴史思想史。
幕末は日本の国名でも様々なイデオロギーが衝突した。
越後、長岡藩は徳川譜代の小藩ではあるが、北越戊辰戦争の激戦地となってしまった。
何故、長岡藩はそんな熾烈な戦いに巻き込まれたのか?
小川和也先生は あの司馬遼太郎すら調査していなかった『思想史』という視点から その原因を分析された。
河井継之助が西軍と戦うことになった経緯はわりにくく、今も多くの人に誤解されている。
小川和也先生の著書はもっと注目されても良いのではないかと思う。
余談だが、小川先生の大学の講義で、毎年何人かは
「本当に中立を求めるのならば、長岡藩のように武装しなければ、西軍も攻めては来なかったのではないか?」というレポートを書く学生がいたらしい。
ところが、ロシアのウクライナ侵略によって、そんな学生はいなくなった。