(『新・人間革命』第8巻より編集)
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〈布陣〉 23
わからないことは、納得するまで教官や先輩の飛行士に質問した。厳しい訓練も、粘り強く、愚痴も言わず、黙々とやり抜いた。
その徹底した頑張りは、宇宙飛行士第一号のガガーリンも、舌を巻くほどであったといわれる。
しかし、そうした激務のなかでも、故郷の母親に、手紙を添えて仕送りすることを忘れない、思いやりのある女性だった。
彼女は、優しく、しなやかな中に、鉄の意志を秘めた女性といえよう。
学会の女子部員にとっても、テレシコワは、大きな関心事であったようだ。
山本伸一は、聖教新聞社で女子部の幹部と懇談した折、話題が彼女の宇宙飛行に及ぶと言った。
「テレシコワさんは、女性も宇宙飛行士として活躍できることを、世界の女性に示した。
まさに、女性が社会の第一線で活躍していく時代の、幕を開いた一人といえる。
日本は、まだまだ男性中心の社会だが、やがて、日本も変わらざるをえない。また、そうしていくためには、女性の側にも、自分は女性なのだからという甘えがあってはならない。
もちろん、男性の側の問題は数多くあるが、女性もひとたび仕事に臨んだならば、男性以上の仕事をしていかなければ、社会的な面での、女性の地位の向上は図れないと思う。
そこには、確固たる人生観、生き方の哲学がなくてはならないだろうね」
すると、女子部長の渡道代が言った。
「山本先生、そのためにも、ぜひ女子部に指針をいただけないでしょうか。これまでは、女子部も、『青年訓』や『国士訓』を指針としてきました。
根本の精神は、男子部も女子部も同じですが、若い女性の生き方に即した指針が必要ではないかと思います」