今日から新コース:願い続けたこと叶った

 

今日から新コース

 

 

今日のお仕事は折り込み。

そんな今朝も、いつものルーチンで行動開始。

 

28日間のピラティスコースを終えて、今日から新しいコース。

『どうしようかな』

少し考えて……

結局、あと1.5キロ落としたいってことで、減量コースを選択。

ターゲットにするポイントは……

これも少し悩んで「全身」を選択。

初心者向けで、エクササイズの種類は「お任せ」。

 

今回提案されたのはベッドの上でピラティスコースでした。

全て寝転がってするものだから、スタートのいくつかは床の上でしてみたけど、腰を痛めそうな感じがしたから、ベッドに移動しましたよ。

 

今日から、時々休みを入れながら28日間コースが始まりました。

 

 

こんな感じで、少々モタモタしていたから、身支度が終わったのは7時20分。

本当にモタモタしていたら、彼が帰ってきちゃう。

 

具だくさん味噌汁は、冬瓜、かぼちゃ、にんじん、玉ねぎ、高野豆腐、ワカメ、シイタケ。

ちょうどシイタケを切っているところで……玄関から音。

 

「おかえり~お疲れ様~」

「ただいまー」

 

いつもならお風呂を沸かしている水曜日だけど、

 

「今日はシャワーね」

 

明日、ガス給湯器の点検があるから、いつもと曜日が違ってる。

いえね、別に毎日お風呂を作ったって良いんだけど。

この辺りも、私と彼の感覚が似てるなって思うところ。

 

「お風呂好きだけど、シャワーも好きなんだよな」

 

そうなの。

私も全く同じ意見。

日曜日にお風呂を作って、月曜日は追い焚き。

火曜日はシャワー。

水曜日にお風呂を作って、木曜日は追い焚き。

金曜日と土曜日はシャワー。

 

湯船につかって「はぁ~」ってしたい。

でも、シャワーで手早く済ませる日も欲しい。

まだ子供たちがいたころは、お風呂・追い焚き・シャワー2日ってしてた。

子供たちが出て行ってからも、その法則は変わらず。

母と同居していた時に、「曜日が決まってた方が良い」という母の意見を取り入れて、お風呂を作るのは日曜と木曜に。

母が引っ越してからもしばらくはこの曜日だったんだけど、

木曜から水曜にずらしました。

ずらした理由は2つ。

1つは金曜に追い焚きをするとなると、お湯の量が少なくて半身浴になってしまうこと。

もう1つは、彼のシフト状況。

98%の確率で水曜は朝刊勤務になる。

同じ確率で金曜は日勤になる。

寒い時期だと、冷え切って帰ってきた水曜日は必ずシャワーってことになっちゃう。

だとしたら、水曜日にお風呂を作ったほうが良い。

これなら、木曜日に一緒にお風呂に入ってザパーっとお湯が流れ出ても問題ない。

 

 

 

 

願い続けるのをやめたら叶った

 

 

 

14日に冥王星が順行に戻ったのですが。

星読みさんが、逆行していた半年間に「過去の懸案」で動き出したものがありませんでしたか?って書いてまして。

「あぁ!」って思ったのが、家のこと。

本当に長年の懸念材料が「あれよあれよ」と動き出して決着しましたからね。

 

なんかね。

今までの大きな変化のことを考えたら、自分から働きかけずに動いていった感じがします。

 

なんていうかな。

「向こうからやってくる」というか……

「スルーしても情報がやってくる」というか……

「望んでいたことが願う前に叶う」というか……

 

願う前にってのは、正確じゃないですね。

願っている間は叶わなくて、願うのをやめたら叶ったってのが正しいかな。

これの顕著な例は【運命のパートナー】。

新月と満月のパワーウィッシュで何年も願い続けていたけれど、「なるようになるさ」と願うことを手放したら叶いました。

 

パワーウィッシュノート、最後の記入は2021年2月。

次年度のノートも買っているのに、記入はゼロ。

 

せっかく買ったけどね。

なんか、「書くことが義務」になってきてて、書いた願いはほぼ叶っていないのに、「叶えるためには書かなくちゃ」っていう強迫観念に縛られてた。

1回でも書きそこねると、願いは叶わないという変な恐怖まで生まれたりして。

だから、必死に書いてた。

そんな私が、ノートが切り替わるタイミング(2021年3月)で書かなかった。

どうしても書けなかった。

「書く」というのが苦痛で。

それからも、しばらくの間は新月や満月が近づくたびに、「今度こそ書こう」って思ってた。

けど、実際に満月や新月の日になると「無理、書けない」ってなってた。

 

心に負担がかかってるってことは、私には合っていないということ。

これをしなければ願いは叶わない、という思い込みを手放した切っ掛けは母との同居。

9月に同居に向けて動き出したとき、母と暮らすということは恋人だとかパートナーだとかってことからは遠ざかるってことだなって漠然と考えてた。

『この先、ずっと一人か』って。

諦めたというか、受け入れたというか。

『どうしよう』とか『焦る』とかっていうのは全く無くて、ものすごく気持ちが静かだったのを覚えてる。

 

【運命のパートナー】に出会える運命なら、そのうち会えるだろうし、今世では会えない運命なら、それはそれで仕方がない。

淡々と、あるがままを「そういうのも有りかもね」って思った。

 

パワーウィッシュも「書かなくてもいいや」って思ったら、とっても気が楽になった。

同時にムーンウォーターも作るのをやめた。

「作らなくちゃ」「飲まなくちゃ」っていう縛りから解放されて自由になった。

書かなくても見ていたパワーウィッシュの動画も見なくなった。

「見なくちゃ」ってのと、書いていないことへの自己否定感から解放された。

 

そうこうしているうちに……。

あんなに願っていたときには動き出さなかった運命が動き始めたのはわずか数ヵ月後の12月。

 

 

私が「願わなくちゃ叶わない」という思い込み(ストッパー)を捨てるのを待っていたかのよう。

 

 

 

 

シャドウ&ライトオラクル

 

 

 

明日は

 

後先考えずに行動する

 

と、いうのも有りな日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング

 

ブログランキングに参加中

 

よかったら、ポチっとしてあげてくださいな