ドラマとは“人間性・葛藤・変化”の三要素をいかに描くかにあります。
この作品は、人物像やテーマも特異とはいえません。ありきたりで素朴といっていいで
しょう。しかしながら、人物の役割やエピソード、台詞などを再検討再構成すれば、原作
とは違った印象を提供できると考え、補作に踏み切りました。
いよいよクライマックスととラストです。脚本創作のノウハウを吸収し役立ててもらえ
たら幸いです。
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■脚本『放課後泥棒』 作・塾生A
(補作前の原作/2014年10月15日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(1)
(2014年10月23日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(2)
(2014年11月1日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(3)
(2014年11月14日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(4)
(2014年12月2日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(5)
(2017年8月1日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(6)
(2017年8月21日掲載)
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※脚本内の ピンク色 は削除、 黄色 は変更、 緑色 は追加した内容です。
(1) 原作N02のト書き《匍匐して》は、対比表1-Aの解説(1) で述べたのを受けて《上
から》に変更しました。S1にあった《壁に囲まれた通路》は削除しているので、ど
んな通路かは読み手のイメージに委ねた(ある意味不親切な)書き方です。
(2) 原作S22の書き方だと、前のシーン(対比表6-B)の展開に合わせてカットを切り
替える形で書くのがベストといえます。しかしそれでは2~3回の切り替えが必要と
なります。行数を費やすことになり、なんといっても前のシーンの主観的流れに客観
的(第三者の傍観)シーンが挟み込まれ、テンポを損ないます。
とはいえこのシーンは、仲間(水谷ら)も状況を把握し参戦する姿を見せておく必要
があります。
補作では改善策として、パツキンの台詞を「さっきまで絡まれてた」(補作N06)と
過去形にし、前のシーンの続きといえる康太が逃走したところから展開させました。
このシーン内にも、康太が逃げる様子を3階から捉えたシーンを挟む考えもあります
が、行数が増えるので割愛しました。
(1) 康太が逃走してから、前のシーンでは康太の登場を割愛しましたが、このシーンでは
まず康太の姿を見せました(補作N02~04)。水谷らとの連携ぶりや、書き手として
“主人公(康太)の存在を意識している”をアピールします。
(2) 原作の作者意図は「パツキンはマスクを着けて口元を隠している → 誰が喋っている
のかわからせないため、陰に隠れたドスの低い声で脅す → パツキンが言っているよ
うに思わせる」といったコンビネーション技を表現したとのことですが……。
確かに《金髪・マスク・目つきが悪い》というト書きは原作S1N03~04にあります。
しかしながらこのシーンのト書きには何も書かれていません。むしろ《暗闇に薄っす
ら見えるのはパツキン》(原作N06)とあります。となると金髪・マスク・目つきは
どこまで見えるか不明です。また、作者イメージでは、パツキンはマスクをしている
のに《笑って》(原作N20)とあります。これでは笑顔(口元)は見えません。
作者本意のイメージが先行して書かれたシーンといえます。
このシーンの目的は“康太を追ってきた少年たちを脅して追い払う”です。ならばパ
ツキン・ドス・水谷の三人が立ちはだかるほうが、明瞭な執筆イメージを与え、少年
たちを脅すにも一層効果的と考えます。
(3) 脅しの効果として、原作は「反社会的精力とのパイプ」(原作N15)としていますが、
そこまで飛躍させる必要はないと考えました。「あいつら不良だ」(補作N18)とす
れば、補作S4N15でパツキンを見た越前が“不良”と勘違いしたように、キーワー
ドの利用(伏線の受け)になります。ドスの低い声(声変わり)に越前が後退りした
のも同様です(補作S4N28~32)。
(1) 作者がイメージしたテーマは『人と比較することでアイデンティティを保っていた少
年(康太)が、あらゆる面で自分より優れている転校生(越前)に出会い打ちひしが
れ、友だち(パツキンや水谷ら)の思いに触れ自分を見つめなおすうちに、劣等感を
克服する姿を描く』とのことです。
終章として『劣等感を克服する姿』に着眼すると、原作では“ドロケイから遠ざかっ
た康太がまた遊びに行くようになる(原作S21)”と“その原因である越前と互いの
気持ちを吐露し合う姿(原作S24N08~20)”になります。
それで描ききったといえるでしょうか。そもそも『克服』とは何かです。ドロケイに
戻ればいい、越前と分かり合えばいい。果たしてそれで克服といえるでしょうか。実
に短絡的な発想としか言わざるを得ません。
こう考えてください。挫折でマイナス1ポイント、遠ざかり(逃げ)でマイナス1ポ
イント、計マイナス2ポイントです。原作は、このマイナス2ポイントを解消し、0
地点に戻したにすぎません。克服する姿を描くなら、設定した困難を乗り越える姿ま
で描かないとドラマとはいえません。つまり“ドロケイに復帰するだけでなく、何事
に対しても前向きになるという姿”や“越前の事情を理解する(分かり合う)だけで
なく、越前の力になって友情を深める姿”が必要です。
これらを描く要素として“一ノ瀬の存在”があります。0地点に戻った康太の前に一
ノ瀬が現われます(補作N25)。すなわちそこに大きな山(壁)が立ちはだかる状況
があるわけです。逃げるのではなく乗り越えてこそ成長した姿、ドラマでありひとつ
のメッセージを残したといえます。(脚対比表6-B(3) “康太の成長”関連説明)
(2) 対比表1-Dの解説(7) で、補作S4N18の康太「知らねえ。どうでもいいことだし」
とN19のト書き《チョリースポーズ》はドラマの核心を担う伏線です、と述べました。
これについて説明します。
原作では、パツキンが金髪であるのに対し、越前が「不良?」と訊き、康太は「地毛
だ」と返しただけで、次の展開へ流れています。これでは“その場限りの説明”で終
わりです。そこで補作は、まずN17で「遺伝子変異ですか?」として越前の学識を覗
かせます。このあと康太の「知らねえ。どうでもいいことだし」と、パツキンのチョ
リースポーズを見せておきます。やりとりをもう一歩進めることで、キャラクターに
深みをつけ、核心用の伏線を投げるのが目的です。
★康太の「知らねえ。どうでもいいことだし」は、補作S27で越前の「落ちこぼ
れ」告白に対し「もうどうでもいいよ」(N08)の返しにリンクした台詞(伏
線)です。つまり“外見や過去云々で遊んでいるのではない”の気持ち(創作
的にはひとつのメッセージ)を表しました。
ドラマの核心エピソードの入口と出口のキーワードは確立できました。次の課題は、
そこに至る展開の組み立てです。
◆康太が越前に嫉妬しライバル意識を抱く。
◆その後康太は追い込まれドロケイに行かなくなる。
◆そんな康太にパツキンが意見する。
◆そして康太がドロケイに復帰する。
ドラマの構図としては“衝撃 → 挫折 → 悟り → 復活(克服)”というありきたり
ですが、要所では根拠が必要です。たとえば転機であるパツキンの意見(補作S23)
ですが「なぜ康太に意見したのか?」と、あえて疑問を投げかけてみましょう。
★創作において、こういった自問自答は重要なプロセスです。これにより根拠や
意図の有無を確認していきます。
答えといえるパツキンの真意として、まず補作S4でパツキンの金髪は地毛であるが、
なぜそうなのか、康太は「知らねえ。どうでもいいことだし」(N18)と言っていま
す。本当は知っているのかどうかはわかりませんが、それは(パツキンのドラマでな
いため)問題ではありません。康太は“一緒にドロケイができればいい、髪の毛の色
(外見)なんて関係ない”と、パツキンは受け止めているからです。その表れが補作
S23で、康太に投げかけるパツキンの台詞「足が速いからら遊んでるわけじゃないっ
しょ」「何でって言われても……康太だから?」「康太は康太のままだろ? 何か変
わるのか?(チョリースポーズ)」です。
「どうでもいい」の台詞だけでは補作S4とS27で、位置的(時間的)にも離れてい
ます。思い出す人は少ないでしょう。そこで登場するのがチョリースポーズです。最
初の登場(S4) → パツキンの意見(S23) → 改心した康太(S24) → そして
最後(S27)の4箇所で見せることでこのポーズを印象づけます。ポースが登場する
ごとに“外見を気にしない康太がいる → パツキンはそれを理解している → 改心は
パツキンのお陰 → 外見だけでなく過去は気にしない康太がいる”といった心境論理
(気持ちの変化)を展開させました。
補作S27N15~16で康太「友達が教えてくれた(チョリースポーズ)」の“友達”と
は、言うまでもありませんが“パツキン”を指します。名前を出すのではなく、ポー
ズで匂わすのと、ポーズを見せることで伏線の着地点としました。
チョリスポーズ自体の印象を深めるならS4とS23の中間にもう少しあってもいいで
しょう。たとえば補作S10の後半N25やS11N10が適切なタイミングと考えます。
(3) ファーストシーンが“いかに惹きつけるか”と重要視されるのと同様に、ラストシー
ンも“どんな印象を与えて終えるか”、最後まで力を抜かず書き込むのが作者の務め
です。
ラストに当たるのは、原作では一ノ瀬が康太と越前を見つけたところ以降(原作S24
N22~40)といえます。流れは“一ノ瀬に見つかる → 越前の小芝居 → 二人が逃げ
る → 「二人一緒に泥棒だな」 → 仲間が待つ公園に向かって走る → END”で、
作者の意図は「走る姿で温かい余韻を残す設定にした」、また(1) で記した「テーマ
を伝えるのに(それ以降は)必要ないと思った。康太が劣等感(越前)を受け入れら
れるところまでいけば、そこで終わらせて良いと考えた」とのことです。
しかしこれでは、
◆急転直下の展開で強引にラストを見せた印象で物足りない。
◆“逃げる”ではドラマの展開を逆行させている。
◆“二人一緒に泥棒だな”ではタイトル『放課後泥棒』から逸脱している。
ドラマを崩壊させたラストといえます。原因は、制限枚数(四百字詰め30枚程度に対
し、この時点で32枚)を超えており「とにかく着地させねば」という焦りや、作者自
身がこのドラマを把握していない(検討不足)と受け取れます。
* * *
補作の考えは、まず大きな流れとして“ラストへの滑走部 → ラスト本体”を打ち立
てました。滑走部に当たるのが、康太の「もう逃げない ~ きっちり片を付けようじ
ゃないか」(補作S27N35~40)と一ノ瀬に挑む姿です。
◆“一ノ瀬の存在”をいかに使うかと考えたとき、(1) で述べたように“康太に
とって乗り越えなければならない山(壁)”である。ここへきて展開の逆行と
なる“逃げる姿”は見せてはいけない(検討で却下されるべき選択肢)。
◆逃げる姿でなければ何か。発想を逆転させると、立ち向かう姿「きっちり片を
付けようじゃないか」が導かれる。
◆これにより視聴者に「まだ続くの、どうなるか」と期待を抱かせて次へ渡す。
ラスト本体(S28)の検討・意図は次のとおりです。
タイトルはドラマの看板であり内容(展開)を匂わす必要があります。『放課後泥棒』
のタイトルからして“誰が誰に何を奪われるか”を観点に考えました。
◆“康太が越前にアイデンティティを奪われる”の考えはあるが、康太のドロケ
イ離れは自分の意思であり、越前も奪った自覚がない(補作S19N03~12)こ
とから、その印象は薄い。
◆“越前が一ノ瀬に新たな居場所を奪われる(転校したのに一ノ瀬が来て康太ら
との時間を脅かされる)”の考えもある。しかしこれは、越前と一ノ瀬の問題
であり、康太は第三者の印象になる。
★となると、上記二つ以上に強く明確で“康太に関する印象”が必要とい
える → 現状ではない → 新たに設定する必要あり → カギは補作S24
(対比表6-B)で設定した“康太と一ノ瀬のイザコザ”が伏線になる。
【裏を返せばS24の“イザコザ”はS27~28の展開も考えたうえの設定】
◆“康太が一ノ瀬にドロケイの時間(放課後)を奪われる”の構図を作ればタイ
トルを物語る印象になる。
S27で康太が一ノ瀬に「片を付けようじゃないか」としました。その方法が康太らと
一ノ瀬らによる“ドロケイ対決”です。“一ノ瀬がドロケイ遊びをするか”の疑問に
対しては、傲慢な一ノ瀬にしたら当然受けて立つと考えられます。さらに勝敗の条件
として“ドロケイ禁止”を提示することで、やっとここではじめて『放課後泥棒』の
意図が明確になりました。(安堵)
(4) 原作S24N13で越前の台詞「僕が、無自覚だったんだ」がありますが、音声として聞
いたとき、まず(役者の)滑舌の問題は別として「むじかく」と聞き取っただけで意
味をすぐに理解できるか、大いに気になりました。言葉としてはありますが、耳慣れ
ないのは、私だけでしょうか……。
原作S16N12~13の水谷と越前のやりとりで「自覚」という言葉は出てきます。作者
は、この場の表現では、これに“無”をつけて“無自覚”としています。正しく発せ
られ正しく聞き取られ瞬時に理解されれば、なんら問題はありません。
滑舌の問題を加味して考えてみましょう。果して「正しく聞き取ってもらえるか」の
懸念が取り巻きました。“むしかく(無資格)”“むちこく(無遅刻)”“みじかく
(短く)”など聞き違えの問題ないか……。懸念が拭えません。
“脚本は文章(文字)で書くものだから、それで伝わればいい”の考えは、決して抱
いてはなりません。あくまでも“音声や映像で表現したときに明確に伝わるか”を念
頭に書いてください。
したがって補作では安全策をとって「僕に自覚が足りなかったんだ」(S27N14)に
しました。
★難語理解や伝聞問題がある場合、対比表6-Bの補作N26~29で“高尚性”の
ように、ドラマのやりとりとして伝える方法もあります。
このやりとりには別の意図もあります。康太の知らない言葉で一ノ瀬と越前の
秀才さを表現しました。結果、一ノ瀬が康太の気持ちを逆なでする展開にも持
ち込めました。
(5) ドロケイ対決の結果は描きません。正確には四百字詰め30枚程度の制限があり、この
時点で30枚です。したがって“克服すべき山に登りはじめる姿”を見せてエンドマー
クとしました。それでも充分“康太の成長した姿”を表現できていると考えます。
水谷やパツキン、そして越前の姿も忘れずに取り入れました。脇を固める人物たちの
様子を伝えることで“事の重大さ”を盛り立てていきます。そして締めの雄叫びとし
て康太の「絶対捕まえて、俺らの放課後も越前も、渡すもんか……このッ泥棒め!」
(補作S28N69~70)です。ラストをタイトル観点で考えた結果導かれた台詞です。
【補作と解説 END】
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■脚本『放課後泥棒』の解説(おまけ)へつづく