ドラマのシーンにはそれぞれ役割(意図・目的)があります。単独で存在するシーンは
希(まれ)です。必ずといっていいほど、どれかのシーンと関係し、ドラマを物語るため
に描かれなくてはいけません。
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■脚本『放課後泥棒』 作・塾生A
(補作前の原作/2014年10月15日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(1)
(2014年10月23日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(2)
(2014年11月1日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(3)
(2014年11月14日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(4)
(2014年12月2日掲載)
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※脚本内の ピンク色 は削除、 黄色 は変更、 緑色 は追加した内容です。
(1) 行を稼ぐため簡潔にしました。
(1) フラッシュですが、一ノ瀬が初めて登場します(実登場は原作S21:対比表6-B)。
クライマックスからラストにおいて引き金となる人物です。主人公の康太、相手役の越
前に次ぐ格付け(パツキン・水谷と同格)といえます。後半になって初登場というのは
残念な構成です。しかもフラッシュなので一瞬です。
一ノ瀬の扱いについては、解説の冒頭(2014年10月23日掲載)で指摘したように“問
題アリ”の状態です。本来ならば、もっと早いタイミング(タイトルクレジットまで、
もしくは起句)で登場させて、越前との関係を匂わせておくのがベストな構成といえ
ます。
とりあえず現状として、少しでも印象を深めるために“ブレザー制服”を追加しまし
た。
(1) 原作N04栞奈の台詞「小学生なら外で遊びなさい!」については、対比表5-E (2)
で解説します。
(1) 原作S16の流れを受けたシーンですが、ドスがいる必要はないと判断しました。S16
でも康太についての話を深めているのは水谷です。ここは越前と二人のほうが深刻さ
が伝わると考えました。
また水谷は塾に通っている(原作S2)ので、それを理由に別れていく形をとりまし
た。キャラクターの継承です。補作S28N64の「知恵を絞りましょう。塾は休みます」
に繋ぐためにも、冒頭とラストだけでは印象が薄い(唐突な)ので、中間となるこの
タイミングを利用しました。
(2) 補作N07で水谷の台詞「これから塾なんだ」に対し、作者(塾生Aさん)から「これ
から塾なので」はどうかという質問(意見)がありました。
「これから塾なんだ」……口語印象。
「これから塾なので」……文語印象。
原作S2N10水谷の口調「塾があるので」に合わせるなら後者が適当といえます。
(3) 補作N11、一ノ瀬のフラッシュをもう一度見せて印象の強化を計ります。
(1) 子ども(小学生)が主たる人物の中にあって大人の登場は教師と栞奈(康太の母親)
の二人です。教師は授業の流れとして登場している程度ですが、栞奈は展開に関わる
役割があります。宿題の作文を書く康太にヒントを与える(原作S11)のと、家に閉
じこもりがちになった康太を外に出す(原作S17・S19)の二点です。前者は直接的
に作用する展開ですが、後者は“怒ること”で反発した康太が外へ出ていきます(間
接的)。原作S17N04栞奈の「小学生なら外で遊びなさい!」の直後に出ていくより
自然な展開を感じます。
(2) 原作S17N04栞奈の「小学生なら外で遊びなさい!」ですが、作者(塾生Aさん)は
キャラクターとして“軽い教育ママ”をイメージしたとのことです。そのため“命令
形”なのでしょう。
補作の考えは、補作S13で康太の宿題(作文)の相談に乗る栞奈の優しさを受け継い
で“促す形”にしました(補作S20N04)。そこだけ突然命令形になるよりは、いた
って自然の流れと考えました。
原稿用紙30枚程度の短い作品で、しかも栞奈はサブ人物です。優しさもあり教育ママ
でもありといった複雑なキャラクターを伝えるのは難しい設定です。一方に絞り込む
のが妥当と考えます。
とはいえ、補作S22で怒る(N03~04)のは、まだゲームをしているわけですから、
自然の流れといえます。しかもこれにより康太が外出する展開に導けたわけですから、
栞奈のキャラクターと役割は充分果たせたといえます。
(1) 友だちとドロケイをせず家に籠もりがちだった康太に転機が訪れます。クライマック
スへ向かう重要なシーンです。
次のシーンで康太はドロケイに復帰しますが、もしもこのシーンがなく公園(友だち
の前)に現われたらどうでしょう。栞奈の「外で遊ばないの?」(補作S20N04)と
か「ゲームは一日一時間まで」(補作S22N04)と言われたことが、康太が復帰した
直接の理由と受け取られてしまいます。これでは唐突な印象です。
友だち(パツキン)の後押しで、しかもドロケイに関するエピソードがあってこそ、
直接理由として生きます。
(2) 作者(塾生Aさん)から、康太「そんなことないって」(原作N14)とパツキン「あ
るって(目で迫る)」(原作N15)の台詞を削除した理由を訊かれました。
作者は……
◆いきなり康太が本心を打ち明け始めるのもどうかと思った。
◆康太は素直な性格ではないので、このくだりは必須だと思った。
◆パツキンが真剣だと悟って初めて真剣な会話に移行するために必要。
との意図で、あえてこの二つの台詞を入れたとのことです。
削除理由は次のとおりです。
◆前にあるパツキンの台詞「最近遊びに来ないけど、どうしたんだよ」(N12~
13)の受けが、康太「そんなことないって」になります。つまり「遊びにこな
いけど」を否定したわけですから、続きを想像したら「何度かは遊びに行って
るじゃないか」とも考えられます。
康太としてはお茶を濁したのでしょうが、却って「遊びに行ってる」事実を含
んだ台詞といえます。そうなると“お茶濁しの言葉”“照れ隠し”であること
を伝えるのが必要かと、波及課題が発生します。
対応すれば、さらに会話が続き行数が増えます。替わりの台詞を考えるより、
行削減とドラマの核心を描くのを優先しました。
◆作者の意図は“あえてタメを作った”とのことですが、ここは台詞ではなく康
太の「……俺が行く必要ないじゃん」(原作N16)にある「……」の間で充分
だと考え、削除しました。
(3) 康太「……俺が行く必要ないじゃん」に対し、原作ではパツキンは「?」(N17)で
返しています。言葉はありません。ト書きとして《康太を見る》とか《首を傾げる》
などの表情もありません。無言で走り続けているとイメージしました。
それなのに康太は、パツキンの心境「?」を読み取ったように、「俺より速い奴がい
るんだから」(N18)と返します。出来すぎた(都合のいい)やりとりに感じました。
したがってパツキンに「何で?」と発言させました(補作N14)。
(4) 走っているパツキンと康太が“足を止めるタイミングはどこか”と考えました。足を
止めることで会話の山場であるのを匂わせ、雰囲気を高めるのが目的です。
走っていたのはパツキンですから、止めるのもパツキンのほうが自然と考えました。
となると康太の投げかけ「何で俺なんかと」(補作N18)に対し、パツキンはどう返
すか、見どころ(聞きどころ)といえます。ここが足を止めるタイミングと判断しま
した。
止まったままではなく、「明日もドロケイするからな」とまたパツキンが走っていき、
康太を一人にすることで余韻を持たせました(補作N29~34)。
(5) 一人残された康太の余韻について説明しましょう。
康太の心境は“複雑”です。パツキンの言葉が頭の中を駆け巡っているでしょう。パ
ツキンが康太と遊ぶ理由は「足が速いから」ではありません。「康太だから」遊んで
いる(作者発想)。子どもらしい答えで、いいと思います。
康太もパツキンに対して似たような思いを持っています。パツキンの髪の毛は“金髪”
です。補作S4N14~18で、越前は染めていると思い「不良?」と訊きますが、康太
は地毛であることを告げ、その理由(原因)などは知る気もないので「どうでもいい
ことだし」と返します。このシーンに繋がる伏線です。
つまり“足が速いから”とか“金髪だから”は、パツキンや康太にとっては何ら関係
のないこと。お互いが個人を認め合った仲です。
余韻(康太の行動)は、こういった心根を覗かせた一瞬です。もっと詳しく書けば、
自分の髪の毛を触りながら「地毛ね。どうでもいいんだよな……パツキンだから遊ん
でんじゃん」とつぶやけば、パツキンの言葉「康太だから」と重なりをみせて、明確
な表現になるでしょう。しかしベタな感じになると考え、髪の毛を触る行為だけに留
めました。
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■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(6)へつづく