原作ではドロケイ遊びの場(舞台)として「集合住宅・駐車場・公園」が設定されてい
ます。
私が子どものころ(昭和40年代)なら当たり前の(ような)光景でした。道路や厚生省
医務局の敷地(テニスコートや空地)で遊んでましたから(大笑い)……。しかし今の世
の中ではどうでしょう? 「こら~ッ。建物の中で走り回るな」と怒られそうです。今の
時代、こういったことにうるさいんですよね。
集合住宅内や駐車場で遊ぶ……設定上「道徳的」に疑問が残ります。
できれば町の中にある「公園だけ」が望ましいです。要するに、放課後みんなが集まれ
る場所、隠れ場所の数や追いかけっこのルートがあればいいわけです。集合住宅や駐車場
の必要はありません。一例として公園だけでも(広島には)次のような場所があります。
■千田公園
【なっちゃんの遊び場ネット】
ドラマの舞台設定は、作者が架空の場所をイメージする場合と、どこか特定の場所を想
定して描く場合があります。いずれにしても「様々な観点で適切か、あるいはドラマにと
って必要性があるか」などを検討したうえで設定するよう心がけてほしいものです。
補作も「集合住宅・駐車場・公園」の設定を引き継ぎましたが、本意とはいえません。
*--------------------*
■脚本『放課後泥棒』 作・塾生A
(補作前の原作/2014年10月15日掲載)
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(1)
(2014年10月23日掲載)
*--------------------*
※脚本内の ピンク色 は削除、 黄色 は変更、 緑色 は追加した内容です。
(1) 補作のト書きN03《周囲を見渡し、凝視》とN06《移動する》は、康太の「逃げなが
らの行動」を意識しました。
また台詞として原作N07「少しは」は控えめですが、補作N06「こりゃあ」とオーバ
ーにすることで、期待感の度合いも変わります。作者(塾生Aさん)によると、康太
のプライドの高さ(N02の台詞「真っ向勝負なら捕まる気がしねえ」)から余裕の意
味で《微笑》とか「少しは」とのことです。原作と補作の違いは、康太のプライドを
引き継いだ表現(原作)にするか、康太のプライドを揺るがせた(越前の速さを見た)
驚きの表現(補作)にあります。この場合、どちらがいいではなく「書き方ひとつで
違いが出る」のを理解してもらえたらと思います。
★シーンの内容や方向性は同じでも、ト書きや台詞をどう書くかで読む人のイメ
ージをどれだけ高められるかになります。
対比表1-C(2014.10.23掲載)の★印の説明で「何をどのようにどこからど
こまで書くか」のうち「どのように」に相当します。
(1) 原作S6(対比表2-C含む)は大幅に削除しました。ねらいは序章(プロローグ)
の意識化です。原作にタイトルクレジットはありませんが、付けるとしたら原作S7
後と考えます。そこまで原作は四百字詰め9枚あり、長すぎます。補作は7枚に圧縮
しました(本意は4~6枚でしたが、これ以上削ると意図が断片的で不明瞭になるた
め7枚で妥協)。
原作ではS6で(対比表2-Cも含めて)ドロケイ遊びの様子が3枚半に渡って続き
ます。捕まった泥棒たちが康太によって解放され、それをまた越前が捕まえ、最後に
康太も捕まえる展開です。ドロケイのルール(原作N19~22)を、さらに流れでも見
せつつ越前の走力の凄さと康太のあわてぶりを強調しています。
補作の基本姿勢は「削減とドラマ性の追加」にあります……。
まずドロケイのルールは台詞として伝えてあります。これを流れ(行動)としても見
せる必要があるかです。シーンの主目的は「康太のプライドが越前によって震撼する」
であり「ドロケイのルールを伝える(見せる)」はサブ目的です。したがって「行数
(枚数)確保」と「早期にタイトルコールを迎える」の観点で補作(対比表2-Bお
よび2-C)のように改訂しました。
★推敲(改訂)する場合、シーンの位置づけ(この場合序章)と主目的を客観的
に捉えて、必要なら大幅な削除も行うべきです。
(2) 原作N30にある「スポ少」は文字で理解できても、音声だけで聞いたら「スポショウ」
はどうでしょう。脚本を書くとき放送を意識するかどうかの問題ですが、私は意識す
べきと考えます。ここで省略語を用いる効果を考えたら決して高いとはいえません。
ならば誰にでもすぐ吸収できる「スポーツ少年」(補作N19)にしました。
★省略語の使用については、登場人物の世界観を表現するのに有効とも考えられ
ますが、なんといっても意味が伝わらないと吸収性(理解度)に欠けます。
省略語のほかに専門用語や業界特有の隠語、方言なども同様にいえます。しか
しながら誰にでも理解できる言葉に翻訳していると「リアリティ欠如」という
デメリットも招きかねません。
余談ですが……
海外ドラマ『ER緊急救命室』には専門用語が飛び交います。リアルそのもの
です。いちいち翻訳していたらもどかしくてイライラしてきます。
手前味噌ですがこんな事例もありました。
広島弁の「ええがにいきよった(うまい具合にいく)」と「映画に行きよった」
の聞き違いについてです。
■ええがにいきよった
(2005年9月14掲載)
ドラマ内で相手に伝わらない(解らない)方言を逆手にとった例もあります。
映画『フラガール』では、フラダンスの先生(松雪泰子)に怒った発起人(岸
部一徳)が福島弁(?)でまくし立てて言い返します。
■フラガール:岸部一徳のまくしたてセリフ翻訳
【La Compagnia dell'Cantare】
聞いている先生(松雪)は意味不明できょとんとします。もちろん視聴者もほ
とんどの人が解らないでしょう。流れの中で説明はありません。でも憤慨して
いる様子は充分伝わってきます。おもしろい方言の使い方だと思います。
(1) 原作N01は“×××”でブランク(同一場所における時間経過やカット割りの意)を
とっています。すべて公園内の出来事ならそれでもいいでしょう。しかしB棟や駐車
場へと移動しています。補作N01では柱を立てて対応しました。
(2) 捕まえたときのカウントを「123」にしたのを利用して越前には「ワンツースリー」
(補作N08)を適用しました。「遺伝子変異」(補作S4N17)「運動力学」(補作
S6N20)のように学識とはいいませんが、康太の「イチニサン」(補作S1N06)
水谷も「イチニサン」(補作S25N03)との区別を計り、越前の象徴(伏線)にしま
す。先の展開(補作S27)で康太が「ワンツースリー」と言うことで、越前への仲間
意識(認め)の表れで使うためです。
(1) 補作N02~04で「放課後」の使い道を話し合う姿からタイトルであるキーワードを印
象づけます。
(2) 補作N10のタイトルクレジットはなくても問題ありませんが、表示のタイミング(そ
こまでが序章の意識)を考えているとアピールする目的で入れました。
(3) 序章の意図(問題提起)は次のとおりです。確認しやすいよう分解して書きます。
◎足が速いことでプライドを保ってきた康太だが、通りがかった越前の登場によ
り震撼する(崩壊の予兆)。
→康太の足の速さは仲間も認めている。
→チラホラ覗く越前の学識。正体はまだ不明(通学路の確認中。初対面)。
→越前に興味津々の仲間たち。
→康太も仲間も「速い」と実感する。 →震撼。
○それを放課後のドロケイ遊び(鬼ごっこの一種)をとおして伝える。
→ドロケイの言葉の意味。ドロケイのルール。
→カウント「イチニサン」と「ワンツースリー」。越前の象徴 →伏線。
○ドロケイ仲間として金髪のパツキン、策士の水谷・声変わりのドス(ほか4人)
がいる。
→パツキンの金髪は地毛。康太にとってはどうでもいい。→核心への伏線。
→水谷は塾通い。 →途中で帰り越前登場の引き金。
本来これらはネタの検討(素材・人物像・エピソードなど)や構成段階(いずれも脚
本執筆以前の作業)で固めておくべき内容になります。上記はネタ集めによる検討資
料に相当します。一見雑書き(メモ)のようですが、作者が理解出来ればいい世界な
ので、書き方などは自由です。(構成はまた別の書きものになります)
まとめてないにしても、執筆していて「何を書くべきか分からなくなった」とき、あ
るいは「何か違うと感じた」ときには、執筆を中断してでも「意図の再確認(意図を
書き出す)」をすれば軌道修正や推敲の道しるべになるはずです。
逆に、書き終えた内容をこのようにまとめることでも、その章の再確認につながりま
す。
*--------------------*
■脚本『放課後泥棒』の補作と解説(3)へつづく